初期研修インタビュー

2023-09-29

荒尾市立有明医療センター(熊本県) 指導医(初期研修) 松園 幸雅(ゆきまさ)先生 (2023年)

荒尾市立有明医療センター(熊本県) の指導医、松園 幸雅(ゆきまさ)先生に、病院の特徴や研修プログラムについてなど、様々なエピソードをお伺いしました。この内容は2023年に収録したものです。

荒尾市立有明医療センター

〒864-0041
熊本県荒尾市荒尾2600
TEL:0968-63-1115
FAX:0968-63-1189
病院URL:https://www.hospital.arao.kumamoto.jp/

松園先生の写真

名前 松園 幸雅(ゆきまさ)
荒尾市立有明医療センター 統括診療部長 救急科部長 HCU部長 指導医

職歴経歴 1963年に佐賀県佐賀市で生まれる。1990年に熊本大学を卒業後、1991年に日本医科大学付属病院救急医学教室に入局し、
日本医科大学多摩永山病院救命救急センターに勤務する。1992年に日本医科大学付属病院救急医学教室に勤務を経て、1992年に会津中央病院救命救急センター、
1993年に順天堂大学医学部附属浦安病院外科、1995年に川口市立医療センター救命救急センター、1996年に山梨県立中央病院救命救急センターに勤務する。
1999年に日本医科大学付属病院高度救命救急センターに勤務する。2001年に山梨県立中央病院救命救急センターに勤務する。
2009年に荒尾市民病院(現 荒尾市立有明医療センター)に救急科部長として着任する。2019年に荒尾市民病院統括診療部長に就任し、
救急科部長、HCU部長を兼任する。日本救急医学会指導医・専門医、日本外科学会専門医、日本熱傷学会専門医、日本外傷学会専門医、社会医学系指導医・専門医、
JPTEC/JATECインストラクター、ITLSインストラクター、AHA(BLS/ACLS)インストラクター、MCLSインストラクター、日本DMATインストラクター、統括DMAT登録、熊本県災害医療コーディネーターなど。
日本臨床救急医学会、日本中毒学会、日本集中治療医学会、日本腹部救急医学会にも所属する。

荒尾市立有明医療センターの特徴をお聞かせください。

荒尾市は地理的には熊本県の北部、福岡県との県境に位置しています。当院はその荒尾市にある公立の急性期病院です。特徴としては、大きく二つあります。一つは急性期病院として、がん診療に非常に力を入れていることです。厚生労働省から地域がん診療連携拠点病院の指定を受けていることもあり、手術、化学療法、放射線治療のみならず、終末期医療としての緩和ケアも含めて、がん診療をトータルに提供しています。もう一つは救急医療です。分類としては二次救急なのですが、実質は一部の三次救急の患者さんにも対応しています。荒尾市の医療計画の中でも当院の救急は二次救急にはもちろん対応しますが、一部の三次救急にも対応するということで、2.5次救急だと言われています。2.5次という表現は何となくのニュアンスで理解していただければ結構なのですが、そうした救急医療も当院の特徴です。

松園先生がいらっしゃる救急科の特徴もお願いします。

当院は二次救急の急性期病院としては中規模なのですが、この規模の熊本県内のほかの病院と圧倒的に違うのは県内で初めて救急科を標榜し、専従医を配属したことです。熊本市内には三次救急病院が4つあり、救急科を標榜していますし、複数の専従医がいますが、県内の中規模急性期病院で救急科の専従医がいるところは当院のほかは山鹿市民医療センターだけです。そして当院は専従医が1人ではなく、3人おり、そのうち2人は救急専門医の資格を持って医療にあたっています。県内はもちろん、この規模の病院に複数の専従医がいる病院は全国的にも珍しいです。

荒尾市立有明医療センターの初期研修プログラムで学べる特徴について、ご紹介くださいますか。

1年目にできるだけ必修科目をローテートしますが、その中で特に救急科、あるいは救急の患者さんが多い診療科を重点的に研修します。2年目は当院での研修のほか、当院では研修できない精神科、産婦人科、小児科、地域医療などを協力型の病院で研修します。内科系研修は循環器内科、腎臓内科、血液内科、消化器内科、脳神経内科の5科で、外科系研修は外科、麻酔科、脳神経外科、整形外科などの幅広い分野での研修ができます。

プログラムの自由度についてはいかがですか。

かなり高い方かと言われると、難しいかもしれません(笑)。1年目で必修科目を研修しますので、2年目は希望の診療科を回れるよう、できる限り柔軟に対応しています。

初期研修医の人数は何人ですか。

1学年6人です。多くもなく、少なくもなく、良い人数ですね。当院の規模や指導体制の中で、できるだけマンツーマンで丁寧な指導を心がけていますので、その意味では最適な人数だと思います。

最近の研修医をご覧になって、いかがですか。

今に始まったことではありませんが、特に最近は興味のある診療科や症例は積極的に診療に携わるし、勉強もしますが、そうでないところに関しては興味が薄い態度の研修医を見かけるようになりました。これは研修医に限ったことではなく、今の若者全般に言えることかもしれないですね。

初期研修医の指導にあたって、心がけておられることをお聞かせください。

救急医療を指導しているということもあり、初期研修プログラムの中だけでなく、3年目以降にどの病院、どの診療科、どの専門研修プログラムに進んだとしても、勤務医である以上は救急から離れられることはまずありませんので、3年目以降に救急の患者さんをできるだけ怖がらずに診られる医師になってほしいという願いを込めて、指導にあたっています。

研修医に「これだけは言いたい」というのはどのようなことですか。

当院での初期研修のオリエンテーションで必ず申し上げていることですが、「救急をしっかり勉強してください」ということですね。救急の患者さんや初めての患者さんを診るにあたっては知識や経験がないと怖いものです。当院ではそれを怖がらせないような指導をするように心がけていますが、初期研修で今後に繋がるベースをある程度は身につけてほしいです。医師という職業を選んで、この先も働いていくうえでは救急対応は必須です。残念ながら、特殊な能力を持たない限りは救急からは離れられないんです(笑)。

先生はなぜ救急科を専門にしようと思われたのですか。

私が学生だった1980年代は救急車のたらい回しというニュースがよく報道されていました。また神奈川県の黒岩祐治知事がその頃、フジテレビのキャスターでいらしたのですが、日本の救急医療は海外、少なくともアメリカから遅れを取っているという特集をよくされており、そういった報道を目にする機会が多くある中で救急医療に興味を持ったのが一つです。もう一つは、私は学生時代は劣等生で、国試浪人もしたので、早く技術を身につけたいという意識が強かったことです。分かりやすく言うと、救急は手っ取り早く技術が身につくだろうと思いました(笑)。

入局先に日本医科大学を選ばれたのはどうしてですか。

当時の九州には久留米大学のほかは救急の医局がある大学は少なく、救急医療を学んだり、救急医になるための修練を積む環境が充実していなかったんです。全国的にもまだ少なく、その中から日本医科大学を選び、付属病院や関連病院で研修しました。

その研修医時代はいかがでしたか。

精神的にも肉体的にも大変でしたが、充実した研修を受けることができました。研修を始めた頃は技術を手っ取り早く身につけるには救急だなという先入観がありましたが、実際は手っ取り早く身につけられるものではありませんでしたね。2、3年でものにならなければ診療科を変えて出直そうという覚悟もしましたが、2、3年でもものにならず、それをずっと続けているうちに30年以上が経ちました(笑)。

外科の専門医もお持ちなのですね。

日本医大での研修の中で、救急科だけではなかなか太刀打ちできないところもあり、外科の専門医を取得しました。救急を選ばなかったら、消化器を中心とした一般外科の医師になろうと思っていたという理由もあります。外科専門医は順天堂大学医学部附属浦安病院で取得したのですが、この病院以外の勤務は全て医局人事です。山梨県立中央病院には長く勤務していますが、上司や同僚に恵まれて、働きやすい病院でしたね。現在の荒尾市民病院に関しても15年目になり、一番長く勤務している病院なのですが、やはり働きやすさというものが長く勤められる大きな要因になっています。

なぜ荒尾市民病院に勤務されるようになったのですか。

書類上、形式上は医局人事です(笑)。現在の臨床研修制度が開始されたことで、地方の病院は医師数が減り、医療過疎が始まりました。荒尾市民病院もその一つで、救急医療に破綻が出始めていたのですが、当時の院長先生とご縁ができ、救急の専従医を雇うことができると伺ったんです。私もいつかは九州に帰りたいという気持ちがありましたし、そういう当院の事情と私の個人的な理由というタイミングが合ったので、当院に勤務することになりました。正直に申し上げると、私が救急を選んだときのように「うまくいかなければ数年で撤収」という気持ちもありましたが、数年ではどうにもならないことが分かりました(笑)。今は10年、20年をかけて、救急医療をしっかり構築していかなくてはいけないという使命感を持って臨んでいます。

「こんな研修医がいた」というエピソードがあれば、お聞かせください。

当院に着任する前、この制度が始まったときから研修医の指導に携わっていますが、印象に残っている人は一人、二人ではありません。嬉しいことと言えば、私が直接、指導した先生方と学会などで再会することです。また初期研修医だった人たちが上級医になり、当院でまた一緒に仕事をするようになることもあるのですが、そういう先生方とは個人的に近しいと言いますか、同じ職場で働いている同僚以上の親近感のような感情を持って仕事をしています。若い研修医と一緒に勉強させていただいていることで、何事にも代えがたいものをいただいているような気持ちでいます。

松園先生写真

現在の臨床研修制度についてのご意見をお聞かせください。

私が研修を始めた頃は卒業と同時に診療科を選び、その中で可能な限り他科の研修をするプログラムでしたが、今は圧倒的に違います。臨床研修病院で実際の医師として複数の診療科の診療を行う経験の中で、3年目以降の専門研修先を選べるというのはとても意義のある制度だと思います。

専門医制度についてのご意見もお願いします。

専門医の標榜を一つだけにするようにということで始まった制度ですから、患者さんにとっては分かりやすくなったはずです。それから私が専門医を取得した頃に比べると、専門医取得にあたっての必要な症例や内容、手技などの基準が明確に、かつ詳細に示されたことは専門医として納得のいくところです。

これから初期臨床研修病院を選ぶ医学生に向けて、メッセージをお願いします。

当院は荒尾市立有明医療センターとして、建物も含めて、新しい病院になります。当院のような中規模で、こじんまりとした中で研修をしたい、丁寧な指導を受けたい、アットホームな雰囲気で研修したいという方はどうぞ見学にいらしてください。当院を研修先として選んでいただき、有意義な初期研修をしていただけたらと思っています。

外観写真

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