専門研修インタビュー

2024-04-01

社会福祉法人恩賜財団済生会熊本病院(熊本県) 指導医(専門研修) 佐藤友子先生 (2024年)

社会福祉法人恩賜財団済生会熊本病院(熊本県)の指導医、佐藤友子先生に、病院の特徴や研修プログラムについてなど、様々なエピソードをお伺いしました。この内容は2024年に収録したものです。

社会福祉法人恩賜財団済生会熊本病院

〒861-4193
熊本県熊本市南区近見5-3-1
TEL:096-351-8000
FAX:096-351-4324
病院URL:https://sk-kumamoto.jp/

佐藤先生の近影

名前 佐藤 友子(ともこ)
救急科副部長 指導医

職歴経歴 佐賀県伊万里市に生まれる。1997年に佐賀医科大学(現 佐賀大学)を卒業後、佐賀医科大学総合診療部に入局し、佐賀医科大学医学部附属病院(現 佐賀大学医学部附属病院)で研修を行い、研修終了後は佐賀医科大学医学部附属病院に勤務する。2004年に総合診療部に籍を置いたまま、佐賀県医療センター好生館救急科、長崎医療センター救急科に勤務する。2012年に佐賀大学救急部に入局し、佐賀大学医学部附属病院に勤務を経て、佐賀県医療センター好生館に勤務する。2019年4月から済生会熊本病院に勤務する。
資格 日本救急医学会救急専門医、日本内科学会総合内科専門医、日本航空医療学会認定指導者・評議員、日本プライマリ・ケア連合学会認定医、日本災害医学会災害医療ロジスティクス専門家・評議員、社会医学系専門医協会社会医学系指導医、日本DMAT・統括DMATディレクター(JATEC/JTAS/AHA−PALS)インストラクター(AHA-BLS/PALS/JPTEC/JATEC/ICLS/JMECC/MCLS−CBRNE/エマルゴトレインシステム)世話人(JPTEC/MCLS−CBRNE)、管理世話人(MCLS)、臨床研修指導医など。

済生会熊本病院の特徴をお聞かせください。

 病院全体として、2本の柱を立てています。一つは救急医療です。地域全体の救急を含めた救急医療に力を入れています。もう一つは高度医療です。ダヴィンチによる手術や循環器系の疾患などに強みがあります。

佐藤先生がいらっしゃる救急科の特徴もお聞かせください。

 救命救急センターではありますが、地方の病院ということもあり、三次のみならず、一次や二次も含めた色々な患者さんがいらっしゃいます。
ただ総合病院ではないので、産婦人科や小児科の患者さんはいらっしゃいません。それらの科以外の科の患者さんで、お若い方からご高齢の方まで、歩いて来られる方から救急車までと幅広い疾患の患者さんが来院されています。

済生会熊本病院の救急専門研修プログラムの特徴をお聞かせください。

 救急には様々な側面があります。救急外来、ドクターカーやドクターヘリなどのプレホスピタルケア、地域包括の面での地域の先生方との連携、集中治療などです。救急医を目指して専門研修を行う人たちの中には救急に興味があっても、救急の中のどこに腰を据えるのかがはっきりしていない人もいます。
そこで当院の救急専門研修プログラムでは救急の全ての側面を経験したうえで、経験にとどまらず、深く掘り下げながら自分に合ったところ、興味を持てるところを見つけられます。私たち指導医も専攻医に合ったところ、専攻医が興味を持ったところを伸ばしてやりたいと思っています。

済生会熊本病院の救急科で専門研修をされた先生方はどのようなキャリアアップをされていますか。

 当院で専門研修をした1期生の一人は中堅として、当院の救命救急センターの真ん中で活躍しています。そのほかの1期生ではプライマリケアを学びたいとのことで、他院で家庭医療専門医のプログラムを専攻している人もいます。
またIVRのプログラムを専攻している人、集中治療専門医の取得を目指している人もいます。皆が当院の救急科専門研修プログラムで救急の色々な側面を学んだうえで、それぞれの道を選択し、それを掘り下げていくキャリアを積んでいると感じています。

カンファレンスについて、お聞かせください。

 救急科では朝8時から前日に入院された患者さんのフルプレゼンテーションを行っています。私たちはチームで診ており、かつ交代制の勤務ですので、救命救急センターで診たり、集中治療室に入院している、特に重篤な患者さんの経過については救急科全員が内容を把握し、方針を確認できるようにしています。
そのあとでチームに分かれて、一般病棟に入院している患者さんの治療方針を確認します。

専攻医も発言の機会が多いですか。

 もちろんです。専攻医が発言しないと始まらないし、終わらないです(笑)。

女性医師の働きやすさに関してはいかがでしょうか。

 私自身は産休、育休は当院に勤務する前に取っており、双子の子どもが1歳になるときに当院に来ました。
当院は女性医師だけでなく、ダイバーシティが進む社会に合わせた労働環境になっています。小さいお子さんを育てていらっしゃる方は男性にもいますので、皆で助け合いながら働いています。私も子どもが急に熱を出したり、怪我をしたときには皆さんに助けてもらっていますし、コロナ禍では誰かが数日いなくなることもありえますので、家庭のあるなしにかかわらず、誰かが休む可能性があることを皆が認識しています。
その意味では自分のフェーズに合わせた仕事ができている職場だと感じています。

勤務中の佐藤先生の写真

先生は院内保育所を使われましたか。

 私は使いませんでした。希望した保育所と当院の間に企業主導型保育所の提携を結んでいただき、そこにお願いしました。これから子どもは小学生になりますが、その保育所から繋がった学童保育所も見つかり、預ける時間を変えることがなさそうです。救急科の中に同じ保育所にお世話になっているスタッフもいます。

先生は最初は総合診療科にいらしたのですか。

 学生のときに何でも診られる医師になりたいと思い、母校の総合診療部に入局したんです。大学病院の診察室で「何番の診察室にお入りください」と言って、高血圧などの慢性期の患者さんを1カ月に1回、診たりして、それはそれで楽しかったです。特に症状がよく分からない患者さんを診断する臨床推論が楽しかったですね。
でも診断をしていくうちに、ここに座って、患者さんを待って、診察室に呼び込んでいるけれど、それでは間に合わない人がいると気づきました。それなら病院の玄関まで迎えにいくと間に合って、少しは早く助けられるのではないかと救急科に移り、病院の玄関でも間に合わない人がいるから、患者さんが発生したところまで行ってみようと、ドクターヘリにも乗り始めたんです。
それでプレホスピタルケア、救急外来、慢性期と一通りのフェーズを診たところで、私自身が何をしたいのかなと考えてみたら、私は救急外来で「お腹が痛い」「胸が痛い」などの色々な症状の患者さんを診て、それまで学んできた臨床推論と結びつけて検査をして、診断をつけたり、必要であれば専門科と上手に連携していくという仕事が楽しいのだと分かりました。

それで救急科に移られたのですね。

 当時の佐賀では医局に属していることを良しとする雰囲気がまだ残っていて、総合診療部に籍を置いてはいましたが、当時の教授が非常に寛大な方でしたので、救急医として佐賀県医療センター好生館や長崎医療センターに勤務していました。長崎医療センターではドクターヘリにも乗っていましたし、救急の専門医も総合診療部時代に取得しました。その後、教授が退官されることになり、救急科の教授に話をつけてくださって、救急科に移りました。

救急医になられた頃の思い出をお聞かせください。

 私と同年代の自治医科大学出身の先生と一緒に救急を始めることになりました。指導医の先生もとても危ないことをしないかぎりは私たちがしたいことをさせてくださるような方でしたので、血液浄化や人工心肺、色々な手術などを声をかけ合いながら、手当たり次第に経験しました。
その中でもいわゆる予測死亡率が非常に高い疾患の患者さんが良くなったり、重症の外傷で来院した子どもさんが歩いて退院できて、翌年に入学式の写真を送ってくれたりなど、とてもハッピーなことが最初の時期にあったことは有り難いめぐり合わせですし、遣り甲斐を感じることができましたね。いくら仕事をしても、全く疲れませんでした(笑)。

どうして済生会熊本病院に勤務されるようになったのですか。

 夫が熊本で働いていて、結婚した頃は熊本から佐賀まで通っていたのですが、さすがに双子を抱えて佐賀まで通うのは大変になり、熊本で病院を探したんです。
私はそれまで心肺蘇生や外傷などの教育コースを受けてきたので、九州内に知り合いや存じ上げている先生方が多く、当院の救命救急センター長も以前から存じ上げていたので、当院に勤務することになりました。

済生会熊本病院にいらしてみて、いかがですか。

 お互いがお互いの困ったときには助けようという雰囲気が良く、楽しく働いています。最近は管理業務も多くなってきましたが、患者さんを診ることが好きなので、救急外来や病棟業務などに携っています。
またコメディカルスタッフの皆さんと一緒に、栄養や感染などの病棟を横断するようなカンファレンスに参加する機会も多いです。

指導中の佐藤先生の写真

専攻医に指導する際、心がけていらっしゃることはどんなことでしょうか。

 上手にできているかどうかは分からないのですが、「したいことをしてもいいよ」と言っても、自分からはそれを言えない専攻医もいますので、したいことをうまく拾えていないのではないか、無理をしているのではないかということに気づくようにしています。
当院のプログラムでは3年の間の半年ほどを他院で研修することができますので、この専攻医は救急のどこを楽しいと思っているのか、何をしたいと考えているのか、そこを伸ばせる病院はどこなのかを探すこともあります。
この3年だけでなく、その先もずっと長く救急医をその専攻医に合った形でできるようになるためにはどうすればいいのかをできるだけ観察するようにしています。

今の専攻医を見て、いかがですか。

 3月に卒業して羽ばたいていった人、2年目、3年目になった人もいますが、それぞれの個性が非常に豊かです(笑)。
ベクトルの方向もそれぞれ違うのですが、共通点は非常に勉強していること、患者さんに非常に優しいことです。色々な病院の専攻医を見てきましたが、当院の専攻医は本当に勉強熱心ですね。こちらとしてはそれぞれのベクトルの方向の違いをうまく拾いたいです。

現在の臨床研修制度について、感想をお聞かせください。

 私のときにはなかった制度ですが、私はまさにこういうスーパーローテートがしたくて総合診療部に行き、2年で回りきれなかったので、4年をかけました。
そのため、色々なものを診て、その中から自分の好きなところを見つけられるのはいい制度だなと思います。この制度が始まったきっかけは何でも診られるジェネラリストを育てることにあり、その意味では必要な制度ですが、一方で2年間を学生の延長のモラトリアムとして過ごしてしまうという問題もあります。
2年間のプログラムの波に乗って、自分で取捨選択をしていけない初期研修医もいますので、そこを指導医がうまく拾い上げ、その先に繋げる必要がありますね。したがって、指導医の問題でもあり、初期研修医の問題でもあると感じています。

現在の専門医制度について、感想をお聞かせください。

 正直に言うと、この制度になる前に内科も救急も専門医を取っておいて良かったです(笑)。
ただ、私のときにはなくて良かったと思ってはいますが、初期研修をモラトリアム気味に過ごす人もいる時代ですので、その診療科の医師に見合うだけの骨格を作っていくプログラムは必要だと考えています。

【動画】佐藤先生

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