初期研修インタビュー

2022-02-01

日野市立病院(東京都) 初期研修医 佐藤壮泰先生 (2022年)

日野市立病院(東京都)の初期研修医、佐藤壮泰先生に、病院の特徴や研修プログラムについてなど、様々なエピソードをお伺いしました。この内容は2022年に収録したものです。

日野市立病院

〒191-0062
東京都日野市多摩平4-3-1
TEL:042-581-2677
FAX:042-587-3408
病院URL:http://hospital.city.hino.tokyo.jp/index.html

佐藤先生の近影

名前 佐藤 壮泰(まさやす)
出身地・出身大学 / 医師免許取得年度 神奈川県相模原市・ 群馬大学 / 2020年

医師を目指したきっかけをお聞かせください。

私の家は教員の家系で、祖父、母が教員ですし、妹も教員になりました。そのため、子どもに関わる職業が身近でしたし、私も教員になるのかなと考えていた時期もあったのですが、子どもに関わる仕事の中で、私の知る限り一番かっこいいと思ったのが近所の子どもクリニックの先生だったんです。その先生に憧れて、医師を目指しました。正確には医師というよりも小児科医を目指して、医学部に進学しました。

学生生活ではどんなことが思い出に残っていますか。

軟式テニス部での部活動です。群馬大学ではほとんどの学生が大学の近くにアパートを借りて一人暮らしをするのですが、誰かの家が溜まり場になります(笑)。群馬大学はキャンパスが広く、テニスコートが毎日のように借りられるんです。授業がない日はずっとテニスコートにいましたし、練習後には皆で食事に行ったり、溜まり場となった家で遊んだりと、昼も夜もいつも部活動の皆で過ごしていました。

大学卒業後、研修先を日野市立病院に決めた理由をお聞かせください。

今でも反省しているのですが、私はずっと友人たちと遊んでいて、病院見学に初めて行ったのが5年生の冬だったんです(笑)。初期研修先としては群馬県外に出たいと漠然と希望していましたが、実家や出身高校の近くの病院ぐらいしか知らなかったので、実家のある相模原市から高校のある八王子市などの西東京地区にかけて探すことにしました。日野市立病院に見学に来たのは大学の1つ上の先輩が研修していたからです。その先輩は中学、高校の先輩でもあったので、その先輩にほかの見学先なども相談しました。西東京地区は研修病院が限られてくるので、先輩からのアドバイスはとても参考になりましたね。私は興味のある科が小児科と外科でした。小児科は医師を目指した理由でもありますし、外科はポリクリで回ったときに面白そうだったからです。日野市立病院は小児科と外科が充実しているところが魅力的でした。大きな病院や大学病院だと市中病院で治せなかった疾患や最先端医療で治す疾患がどうしても多くなりますが、私は大学病院でしかポリクリができなかったので、「普通の外科」や「普通の小児科」を知らなかったんです。それで、大きな病院や大学病院ではなく、二次救急の市中病院で「普通の外科」や「普通の小児科」を診たいと考え、日野市立病院を選びました。

日野市立病院に最初に見学に来られたときの印象はいかがでしたか。

好印象でしたね。群馬では出身高校を言っても通じず、八王子市にあると言うとようやく伝わるのに、日野では「おお。じゃ中央線で通っていたんだ」と聞かれたり、実家が相模原だと言うと「あそこのラーメン屋、旨いよね」と言われたりしました(笑)。大学時代に気を遣っていたことが日野では不要で、そういうストレスがないのが良かったです。見学では教科書に載っているような派手な症例を見ることはありませんでしたが、もともと興味のあった小児の風邪や尿路感染、外科なら虫垂炎やイレウスなどの典型的なコモンディジーズを豊富に診ることができると分かり、私の興味とマッチしていると感じました。

日野市立病院での初期研修はイメージ通りですか。

恥ずかしい話なのですが、臨床研修病院に二次救急の病院と三次救急の病院があることを知ったのはマッチング後だったんです(笑)。初期研修が始まった頃は大きな病院でなくても教科書に載っているような症例が来るのかなと勘違いしていたのですが、やはり三次の症例は立川市の災害医療センターや八王子市の東京医科大学八王子医療センターに行きますし、新型コロナウイルスもあったので、症例数はイメージよりも少なかったです。ただ、診たかった症例は十分に経験することができました。

プログラムの特徴はどんな点でしょうか。

当院は少人数制で、自由度の高い二次救急の病院です。来年からは増えるようですが、私の学年は2人、1つ上も2人の計4人でスタートし、1年目だけ慶應義塾大学病院からのたすきがけの人が1人来ましたので、1年目は5人で研修していました。初期研修医が少ないと、どの科を回っても名前を覚えてもらっていて「ああ、佐藤先生」と声をかけていただけるので居心地がいいです。そして、「待ってくれる」ことも特徴です。救急車が来てファーストタッチしたときに、始めの頃は採血すら時間がかかったり、今も処置に迷うことがあったりしますが、そんなときに待ってくれるのが当院のいいところだと思います。当院でコモンディジーズを診る経験は積みましたが、多発外傷や心筋梗塞などの三次救急をどういうふうに診るのかを勉強したくて、2年目に2カ月、救急を選択し、東京医科大学八王子医療センターに行かせていただきました。八王子医療センターの救急科は大規模で、私が診たかった症例も多く来ましたし、勉強にもなりましたが、やはり超緊急なので「待ってくれる」わけではありません。表現が適切ではないかもしれませんが、考えるより先に手を動かすことが求められます。八王子医療センターの1年目の初期研修医の力も見ましたし、それが重要だとも認識していますが、当院で「待ってくれた」お蔭で、考える時間を持てたり、考える力を身につけることができました。

プログラムの自由度は高いということですね。

高いですね。私は小児科と外科で迷っていましたが、迷っていた身からすると1年目の必修科目を3カ月ずつは回りたいものです。初期研修医の人数が多い病院では回る予定の科の変更ができないと聞きますが、当院は少人数なので、申請すれば可能です。私は外科に決めたのが2年目の夏で、それまでは本当に迷っていて、自由選択で回る科をころころ変えていたんです。回る科を変えられるチャンスをくださるのは有り難かったです。

院外での研修はありましたか。

三次救急と心臓血管外科の研修で東京医科大学八王子医療センターに行ったほか、これから精神科の研修で多摩市の桜ヶ丘記念病院に行きます。また、地域医療の研修では日野市の南平山の上クリニックに2週間、高品クリニックに1週間、渡辺整形外科に1週間お世話になりました。私は大学時代は地域医療にあまり関心がなく、初期研修でクリニックに行くと聞いたときも「クリニックか」と思っていたぐらいだったのですが、クリニックで研修できたことも当院のような市中病院を選んで良かったことの一つです。大学病院は紹介される病院であり、患者さんの方から「こういう症状です」と書かれた紹介状を持ってきますので、実習していても受け身のところがありました。患者さんがどうやって病気になり、どうやって病院に来るのかが想像できていなかったんです。国家試験もあるので、病気や「この病気にはこの薬」みたいなことにしか興味がなかったんですね(笑)。ところが、当院では「この患者さんの病気は治ったけれど、どこに帰すのか」、「もし治らなかったら、どこに紹介すればいいのか」を考える場面が多くあります。そこでクリニックで訪問診療を学んだことで、寝たきりになった高齢の方がこういうふうに開業医の先生から紹介されて当院に来るのだということ、患者さんがどうやって来て、どうやって退院していくかという一連の流れが理解できました。これは医学的なことよりも勉強になりましたね。

地域医療研修で整形外科のクリニックに行くのは珍しいですよね。

来年から外科に行く私としては有り難かったです。ちょっと転んだとか、手をついたとかの対処法を病院で学べる機会はあまりありません。一方で、クリニックではそういう患者さんばかりいらっしゃるので、レントゲンのオーダーの仕方などを教えていただきました。超重症なら三次救急の病院に行くのでしょうが、夜間の外科当直を一人でする場合に骨折などをどう診るのか、整形外科専門ではない医師がすべき対処法を開業医の先生に教わることができたのは良かったです。

どのような姿勢で初期研修に取り組んでいらっしゃいますか。

当院は初期研修医だけでなく、専攻医や指導医も少なく、部長レベルの先生も各科一人ずつみたいな病院なので、縦の繋がりが大きいんです。そのため、どの科を回っても、将来その科を専攻するのだという気持ちでいます。そうすると、指導医の先生方も熱意を持って教えてくださいます。指導医の先生がいて当たり前という状況が当院の場合は当たり前でないこともあり、そこでこそ成長するのだと思います。指導医の先生がいらっしゃっても、「今もし一人ならどうする」、「夜に一人でいるときに、この症例が来たらどうする」と自問自答しながら取り組んでいます。

佐藤先生の写真

指導医の先生のご指導はいかがでしょうか。

皆さん、優しいです。当院は日野市民のための病院なので、大学病院のように論文を読み合ったり、カンファレンスですごい突っ込みが入る場面は少ないのだと思います。そういう力は大学病院で研修している人たちの方があるでしょう。でも、病棟でのマイナートラブルに関しては初期研修医の数が少なく、その科にいる初期研修医は一人だけという状況ですので、病棟からの電話は全て初期研修医にかかってきます。そのため、指導医の先生にとっては大したことではないことでも、初期研修医にとっては悩むことになります。そんなときに「何で、これを相談するんだ」とおっしゃる指導医の先生もいないですし、「待ってくれる」ので、それが嬉しいですし、マイナートラブルに関してのトレーニングを十分に積めていると実感しています。

日野市立病院での初期研修で勉強になっていることはどんなことでしょう。

やはり、患者さんがどうやって来院され、どうやって退院されていくのかという流れが勉強になっています。

何か失敗談はありますか。

失敗は毎月のようにありますね。外科を初めて回ったときに虫垂炎の手術を少しさせていただけることになったのですが、私は緊張すると汗が額から出るんです。清潔操作なのに、術野に思い切り汗を落としそうになり、ガウンから覆布まで、全てやり直しになってしまいました。その後も汗が引かず、額にバンダナを巻いた上から帽子を被りました(笑)。初めての手術は想像していたこととは違っていました。それまで何度も手術を見学させていただいていたのに、術者になるとこんなにも手が動かないものなのかと痛感しましたし、術者の立場にならないと分からないことがあるのだと思ったことが印象に残っています。そのときは私の名前での症例となり、いい経験をさせていただきました。

当直の体制について、お聞かせください。

当院は初期研修医数が少ないので、初期研修医で救急外来を回す文化がありません。内科、外科、小児科、産婦人科、救急の先生が1人ずつ当直されるので、それらの科を回っているときにその科の当直に入ります。1年目の最初の半年は内科なので、月に3、4回ほど、内科の先生と一緒に入ります。内科の当直に入っているときは他科の症例が来ても、初期研修医が自分から申し出ない限りは関与しないので、いわゆる初期研修医の当直というイメージでいると物足りないかもしれません。正直なところ、多くの救急症例が来るわけではありません。ただ、当院の良いところの一つが当直でもあります。私は小児科に興味があったので、小児科を回っているときは小児科だけの当直に入れました。当院は公立病院なので、日野市内で熱が出た子どもや熱性痙攣の子どもが何件来たとしても、絶対に断りません。私が小児科に興味があると言ったら、指導医の先生が「最初の問診からやっていいよ」と言ってくださり、「採血どうする」と質問してくださったりと、隣に交通外傷の患者さんがいらしたとしても、小児科だけに集中できる2カ月を過ごせました。また、夜中に緊急帝王切開になった症例では小児科の先生と一緒に分娩に入ったこともありました。小児科の先生方は日中は何人もいらっしゃるのですが、その夜は専攻医の先生と私しかおらず、どうする、こうすると一緒に考えました。状態の悪い赤ちゃんが生まれてきたのですが、当院で一晩を過ごしたあとは都立小児総合医療センターに搬送されました。無事に搬送されて、感動しましたね。赤ちゃんがどう生まれて、どう搬送されるかという流れを一通り経験できたのも良かったです。

当直では、どんなことが勉強になっていますか。

一般的な初期研修医の当直だと救急外来で救急車の対応をしないといけませんが、当院は手術を優先できるので、それがとても勉強になっています。当院では初期研修医が救急外来を回していく必要がなく、私は外科に興味があると伝えているので、外科で当直するときに虫垂炎の患者さんがいらっしゃったら、「そのまま手術を一緒にしようよ」と言われたり、イレウスの手術を見学させていただいたりしました。先生方には本当に感謝しています。

カンファレンスの雰囲気はいかがですか。

小児科は毎朝、病棟のカンファレンスがあります。部長と専攻医の先生方がカルテの前でカンファレンスをするのですが、プレゼンの力は大事なのだと感じます。「なぜ、ただの風邪だと判断したのか」や「なぜ、重症ではないと判断したのか」といった問いに対する根拠が必要なので、勉強になります。一方で、外科では初期研修医がその週の手術についてのスライドをパワーポイントで作ります。内科は「なぜ、こういう診断にしたのか」というカンファレンスですが、外科は既に診断がついたものに対し、「なぜ、この治療をしたのか」というカンファレンスになるので、内科と外科の違いが分かりました。もちろん内科でも治療の話になりますが、外科では「なぜ、その患者さんは虫垂炎になったのか」ではなく、「その虫垂炎の手術は腹腔鏡でするのか」といった観点からアプローチしていくところが興味深かったです。

コメディカルの方たちとのコミュニケーションはいかがですか。

初期研修医はどうしても救急外来にいる時間が長いので、救急外来の看護師さんにはお世話になっています。名前を覚えてくださっていて、「今日は佐藤先生なんだ、宜しくね」と挨拶されるなど、居心地がいいですね。また、小児の虫垂炎でいきなりCTを撮ると被爆するので、エコーに回すのですが、エコー室の臨床放射線技師さんにもよくしていただいています。私は小児科にも外科にもエコーにも興味があるし、自分でもエコーができるようになりたいと話しているので、ほかの科にいるときでも「これから小児の虫垂炎疑いの患者さんにエコー当てませんか」と呼んでくださったりします。手技を習得できたかと言われると難しいのですが、週に1、2回は症例があるので、経験させていただいています。内科を回っているときも「内視鏡をせずに、エコーに行ってもいいよ」と言われていて、技師さんも「私のお腹に当ててみる」と言ってくださったり、業務終了後も30分ぐらい延長してレクチャーをしてくださったりしています。

研修医同士のコミュニケーションは活発ですか。

一つの医局に内科、外科、小児科の先生方の机の列があり、初期研修医のための独立したスペースもあります。一人一つの机をいただけているのは有り難いですね。机があるからこそ、昼休みや空き時間にレポートを書いたり、本を読む気にもなりますし、やる気の出る居場所になっています。人数が少ないので寂しいこともありますが、男5人でよく話します(笑)。ただ、誰かしら外の病院に行っていますので、5人全員揃う機会はあまりないです。

寮もありますか。

寮はないのですが、家賃補助を出していただいています。5人とも当院の近くにアパートを借りて、一人暮らしをしています。私は実家から通える距離ではありますが、大学時代に一人暮らしに慣れてしまったので、実家に戻るのは嫌でした(笑)。

今後のご予定をお聞かせください。

2年目の夏に外科に進もうと決めました。手術室に職場がある医師になりたいです。医師を目指したきっかけになったのは子どもクリニックの先生でしたが、医学生、初期研修医の8年間で出会った先生方の中で一番かっこよかったのが小児外科の先生だったんです。ただ、小児外科はニッチな世界ですし、症例が少ないことに躊躇もしたのですが、それを理由に小児外科を選ばなかったのだとしたら、将来そういう症例に出会って、小児外科の先生にお渡しするときに小児外科に憧れていたときの気持ちがちらつくような気がしました(笑)。小児外科の症例には10年、20年とやっても数例しか出会わないかもしれませんし、もし無理だと感じたなら、違う科に変われるチャンスも今の時代にはありそうです。20代のうちは興味だけで突き進もうと思いました。当院は慶應義塾大学病院の関連病院なので、専攻医研修では慶應義塾大学の外科教室にエントリーしています。慶應は大教室制なので、外科という大教室の中に小児外科の教授がいらっしゃいます。将来的には小児外科の教授のもとで働きたいです。

ご趣味など、プライベートの過ごし方について教えてください。

コロナ禍ですし、アマゾンプライムで映画を見たり、読書をしたりしています。お子ちゃま気質が抜けないので、酔っ払うとなぜか「バック・トゥ・ザ・フューチャー」を見てしまいますね(笑)。マイケル・J・フォックスがかっこよくて好きです。読書は小説よりも、歴史書や「20代をよく生きるために」みたいな本を読んでいます。

現在の臨床研修制度に関して、ご意見をお願いします。

必修科目が増えましたが、偶然にも私の興味のある科でしたので、最初から回るつもりでした。ただ、将来の専攻科を迷っている時間は実はそんなにありません。病院によっては1年目の最初から自由枠があるところもありますが、当院は最初は内科などの必修科目から回っていく方針があります。内科は基本なので、最初に回るのはいいのですが、迷える時間はなくなります。私は2択なのでまだ良かったのですが、これが3択以上ならその科を回らないうちに専攻する科を決めないといけない時期が来たかもしれません。それを学生のときに知っておくべきでした。

最後に、これから初期臨床研修病院を選ぶ医学生に向けて、メッセージをお願いします。

見学に来る学生さんからも当院に決めた理由や病院を選ぶときのポイントをよく聞かれますが、私は当院しか受けていないんです。マッチングが終わってから二次救急と三次救急の違いを知ったぐらいなので、システムを勉強しておけばよかったという後悔はあります(笑)。でも、それを知っていたとしても、私は当院を選んだと思います。大学病院は特殊な症例が多く、それを当たり前だとすると偏ってしまいそうだったので、初期研修ぐらいは「普通の病院」にしたかったんです。私の家族に医療関係者はいませんし、医師の仕事がどういうものかも知らず、かっこいい仕事というだけで医学部に行きましたが、当院で「普通の医師」がこういうふうに働くのだ、「普通の患者さん」がこういうふうに来院するのだということが分かりました。日本には大学病院よりも当院のような「市民のための病院」の方が多いですし、今後は大学病院で働く期間も市中病院で働く期間もあるでしょうが、最初の2年間が市中病院で良かったです。医学的なことよりも医療職としての働き方が理解できたことで、ようやくスタート地点に立てた気がしています。私の優先ポイントは相模原から東京西部にある市中病院で、結果として当院を選びましたが、当院には私が興味のあった神経内科はありません。全てを優先することはできないので、医学生の皆さんも何を優先するかをしっかり決めておけば、好きな病院が見つかるはずです。

佐藤先生の写真

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