全国で活躍する女性医師

2024-11-30

釧路赤十字病院(北海道)

全国の赤十字病院の中から、北海道の釧路赤十字病院にお伺いしました。勤務内容や1日のスケジュール、家庭と仕事の両立など、女性医師ならではの声が聞けるインタビューです。

米原 利栄
(よねはら としえ)
先生

産婦人科部長

1971年に島根県松江市で生まれる。
1996年に島根医科大学(現 島根大学)を卒業後、島根医科大学産婦人科教室に入局し、島根医科大学大学院医学研究科に入学する。
1997年に島根県立中央病院で研修医となる。
1998年に平田市立病院に勤務する。
1999年熊本大学大学院医学研究科神経生化学講座特別研究生として国内留学する。
2002年に島根医科大学大学院医学研究科を修了し、島根医科大学産婦人科教室助手に就任する。
2003年に手稲渓仁会病院に勤務する。
2004年に釧路赤十字病院に勤務する。
2014年に釧路赤十字病院産婦人科部長に就任する。
 

日本産科婦人科学会産婦人科専門医・指導医、日本周産期・新生児医学会周産期(母体・胎児)専門医・指導医、日本超音波医学会認定超音波専門医・指導医、北海道医師会母体保護法指定医師など。

contents

釧路赤十字病院

病院の特徴は?

色々な疾病の患者さんが来られる一般市中病院です。特別なスペシャリティをお持ちの医師がいる病院ではなく、どちらかと言うと野戦病院に近く、ジェネラリストの医師が働いています。一方で、当院は総合周産期母子医療センターを有しているのが特徴です。私も産婦人科医として、釧路市やその周辺の市町村、または根室市などの道東地域の患者さんに受診いただくように広めているところです。

初期研修での人気の秘密は?

「来る者拒まず」のように、来院された患者さんをとにかく診るような研修ができることでしょうか。否応なしに診ざるをえないところもありますが(笑)、それは医師としての力をつける理由になります。それから初期研修医が気にしているのが外来診療です。初期研修を終えると急に一人前扱いされて、外来診療をしないといけなくなるので、そのギャップが辛いという声をよく聞きますが、当院で初期研修をするとその辛さがなくなります。当院では初期研修医が内科や外科などの一般外来も診ますので、外来での経験を積めることが魅力になっているようです。

医師を目指す

医師を目指したきっかけをお聞かせください。

特にこれという理由はなく、高校の担任の先生に勧められたというぐらいの理由です。でも、そんなに責任の重い仕事をすることは自分には無理だろうと思い、興味も持てなかったし、悩んでもいました。おかしな話ですが、では医師以外の進路があるのかと言われると、それも見つけられませんでした。それで医学部に入りましたが、入ってみるとすぐに責任の重い仕事にはそれなりの理由があるのだということが分かりました。これは本腰を入れてやらなければいけない、一生の仕事にできそうだと気づき、そこからは医学について一生懸命、勉強しました。

専門を選ぶ

ご専門を選ばれたきっかけについて、お話しください。

産婦人科を選んだのはこれも志が高かったわけではなく、消去法です(笑)。5年生で臨床実習が始まりましたが、内科は求められる知識の量が膨大で、高い志がないと無理だなと感じましたし、心が折れそうでした。外科や小児科も大変そうでしたし、産婦人科が大変ではないというわけではないのですが、患者さんも基本的には女性ですので、親しみながらできそうな診療科なのかなと思い、産婦人科を選びました。

大学を卒業後にすぐに大学院に入られたのですね。

大学卒業後に母校の産婦人科教室に入局したのですが、医局の方針もあり、すぐに大学院に入りました。当時は臨床と研究を同時にすることができたのですが、若いときのほうが研究でも頭が働くだろうし、臨床と両立できる体力もあるのかなと、分からない自信を持っていました(笑)。

1年後に島根県立中央病院に行かれたのですね。

大学院を休学させていただき、県立中央病院に行きましたが、これは医局人事です。県立中央病院は大学病院とは全く違い、周産期母子医療センターのある市中病院ですので、とても忙しかったです。ただ、県立中央病院で周産期医療の研修をさせていただいたことが周産期医療に携わるきっかけになったのかもしれません。当時はあまり意識していませんでしたが、振り返ってみると、忙しい病院で周産期の患者さんを大勢診たことが今に活きているなと思います。

周産期医療の遣り甲斐はどのようなところにありますか。

妊産婦さんが亡くなると、赤ちゃんも亡くなってしまいますので、遣り甲斐はとても大きいです。患者さんがあまり多くない大学病院で1年過ごしたあとで県立中央病院に移りましたので、ギャップはありましたが、死なさないこと、産まれることを一気にやっていけるようになりたい、こういうところに身を置いて働いてみたいという気持ちになりました。

その後、平田市立病院に移られたのですね。

これも大学院を休学し、臨床に特化してやっていこうという医局人事で、半年間ですが、平田市立病院に勤務しました。そこでは副院長先生と2人きりの産婦人科で、患者さんの数は多くないものの、もう1人が幹部の先生なので、ほとんど私がファーストタッチをしないといけませんでした。副院長先生を気軽に呼びづらいですし、そういった状況での責任のあり方を学びました。分娩も手術も最初に診て、自分で判断して、最終的に副院長先生に来ていただくという形ですね。がんなどの大きな手術はそこまで多い件数がなかったのですが、それは助手を務め、小さな手術は私がメインで執刀もしていました。

大学院に戻られたのはどうしてですか。

私としてはもう少し臨床の経験を積みたいという一方で、若いうちに基礎系の研究もしたかったので、指導教授のお勧めもあり、大学院の2年目として戻る形になりました。そこから大学院修了までは熊本大学に国内留学をしました。私には下垂体ホルモンの基礎研究をしなさいというミッションがあり、熊本大学の宮本英七教授のもとで研究をしました。

熊本はいかがでしたか。

暑かったですね(笑)。島根も暑いのですが、熊本はさらに暑かったです。でもとても楽しい日々でした。研究に関しては「行けば分かる」と言われて、よく分からないまま行ったのですが、宮本教授から丁寧なご指導を受けました。基礎の研究は結果が出ないときついのですが、ご指導の結果、無事に学位を取ることができました。

手稲渓仁会病院にも勤務されたのですね。

大学院を終え、母校の大学病院に勤務していたのですが、大学のときからお付き合いをしていたパートナーが札幌に住んでいたので、私も札幌に行くことにしました。学位も取れましたので、そろそろ環境を変えてもいいかなと思ったんです。パートナーも大学院を修了しましたので、一緒に住もうということになりました。母校の医局にも籍はありますが、札幌に移った時点で北海道大学の医局にも入り、その医局人事で手稲渓仁会病院に勤務することが決まりました。手稲渓仁会病院はとても忙しく、私の医師人生の中で一番きつかった勤務かもしれません(笑)。手稲渓仁会病院にはNICUはないのですが、三次救急病院ですので、患者さんの搬送が多く、忙しさはNICUのある病院と変わりませんでしたね。

釧路赤十字病院に来られた経緯をお聞かせください。

これも医局人事です。パートナーが釧路赤十字病院に赴任することになったので、私も一緒に異動させていただきました。

医師として、影響や刺激を受けた人はいますか。

これまで指導してくださった先生方、一緒に仕事をしてきた同期や後輩からも影響や刺激を受けており、この人という特定の人はいないのですが、内科医のパートナーからの影響や刺激は大きいです。私は大学院にも行きましたし、大学病院に勤務したこともあって、どうしてもスペシャリストに偏りがちで、「これは関係ないでしょ」という感覚が無意識のうちにあったようです。でも、当院でやっと一緒に働けるようになったパートナーの姿を見ると、どんな患者さんでも、どんな状況でも診察をするスタンスがあることに気づきました。そういう資質がもともとあったのかもしれませんが、大学時代は学生なりのことしかしないですし、医師としての姿を当院で初めて見ると、何でも診る医師になっていて、なかなか堂に入っていました。これは負けていられないぞと思いましたし、スペシャリストからジェネラリストに転換しようと決めたきっかけになりました。もちろん当院の場合は四の五の言っていられない状況下で何でも診ないといけないわけですが、「誰でも診ましょう」というパートナーの存在は私の見本や手本になりました。

救急

診察の様子

診察の様子

釧路赤十字病院の救急の特徴をお聞かせください。

三次救急はなく、二次救急の病院です。循環器内科や脳神経外科がないので、心臓病や脳梗塞、脳卒中などの疾患は救急隊のほうが判断し、当院に搬送されることはありません。しかし、そういう疾患が来なくてもファーストタッチが必要なので、ファーストタッチの力はむしろ、こういうバックアップがない病院のほうがつくのかなと個人的には思います。初期研修医も少なく、少数精鋭で頑張っている病院ですので、やる気があれば、救急の力がつきますね。

当直の回数をお聞かせください。

全館当直は免除されていますが、分娩はありますので、産科当直をしています。当院はMFICUを謳っていますので、ICUの当直もあります。そのため、当直は月に4回と、土曜日や日曜日の日中の当直が月に1回か2回あります。

キャリアを積む

釧路赤十字病院での勤務内容をお聞かせください。

月曜日、水曜日、金曜日が外来です。そのうち月曜日は予約をされていない新患さん、水曜日は婦人科の予約の患者さん、金曜日は産科の妊婦さんの健診です。火曜日と木曜日が手術で、件数も比較的多いです。

診療方針をお聞かせください。

今、一般の方々もインターネットなどで医療情報を入手しやすくなっています。しかし、患者さんとお話をしてみると、医師と患者さんの知識の差は圧倒的に違います。そこを埋めてさしあげられるような、分かりやすい話をしたいです。以前は女性同士ですし、妊婦さんも話しやすいと思ってくださっているような感じだったのですが、私も年齢を重ね、妊婦さんより年上になってきたので、ジェネレーションギャップも出てきました。私自身には子どもはいませんが、妊娠、出産、子育てへの考え方が若いときに接していた患者さんとは違っているし、社会のあり方も変わっているので、そのギャップを何とかして埋めたいです。ただ、こちらも年を取っていますので、人生の先輩としてもそれなりのことを教育や指導していかないといけません。一方で、婦人科の患者さんは私と同世代の方や高齢の方も多くいらっしゃいます。悪性腫瘍も診ますし、亡くなっていく方もいらっしゃいますが、そういった死生観のようなものが意外と合っているところがいいですね。若い頃は「あなたに何が分かるの」と言われたこともありましたが、今はそういった患者さんと気が合うようになってきました。産婦人科の良いところは若い世代から高齢の女性までを診ることで勉強になることですね。特に私は産科も婦人科も両方診ていますので、本当に飽きない診療科だと思います。

釧路赤十字病院で実現したキャリアはどのようなものですか。

当院に来るまでに産婦人科の専門医は取得していましたが、周産期の専門医は当院に来てから取りました。それから日赤の病院は災害救護と関わりが深く、勉強になっています。私自身は産婦人科医なので、救護班に入る機会は少ないのですが、最近は災害も多くなってきたので、これからは災害救護にも参加していきたいです。これは大学病院や他院ではなかなか経験できないことだと思っています。

部長としてのお仕事にはどのようなものがあるのですか。

特にないです(笑)。副院長先生が産婦人科におられるので、何かあれば頼りにさせていただいています。産婦人科は若い先生方ばかりなので、とにかく若い先生方が早く一人前になるように育てていきたいと思っています。当院は初期研修医だけでなく、専攻医もかなり多いので、専攻医にも私の持っている知識や技術の全てを早く伝授して一人前にしていきたいという気持ちが強いです。

女性の管理職は多いですか。

部長は私のほかは内科に1人いますが、多くはないですね。女性医師は増えてきたと実感していますので、管理職もこれから増えると思います。

これまでの勤務で印象に残っていることはどんなことですか。

医師になって数カ月目、最初に帝王切開をした妊婦さんです。生まれて2時間後に赤ちゃんが亡くなってしまったんです。2時間のうちに出生届と死亡届を書きました。出生届を書くときに、お母さんが付けていた赤ちゃんの名前を聞いたのですが、元気くんという名前だったんです。私は立っていられなくなりましたし、産婦人科医になりたてのときだったので、これからずっとこういう仕事をしていかなくてはいけないのかと思うと、心が折れかけました。でも、それでこの仕事が嫌になったり、病院に来られなくなることはありませんでした。これで嫌になったら、多分この次も嫌になると感じたからでしょうね。それでも、これから先もやっていこう、こういう事態にきちんと対応できる産婦人科医になっていこうと考えることで精一杯でした。

初期研修医の指導にあたって、心がけていることはありますか。

私はすぐに答えを教えないという嫌なタイプですし、勉強してこなかったら厳しい昭和タイプです(笑)。ただ、愛情を持ってフィードバックしないといけないと思っているので、「いつかいいことがあるよ」と言っています。産婦人科のローテート期間は1カ月しかないので、先ほど話したようなメンタルが弱ってしまいそうになる場面や機会があれば、初期研修医をなるべく呼び、立ち会わせるようにしています。そして、そのフィードバックを必ずしています。

これまでのキャリアを振り返られて、いかがですか。

医学部を目指したのは担任の先生に勧められたからという志の低い理由で、家族にも医師や医療関係者がおらず、全く分からない中で医学部に入り、医師になりましたが、今は医師の仕事は私には合っていたと思います。既に医師のキャリアは半分以上が過ぎ、あと10年少しが残されていますが、担任の先生に勧めてもらえて良かったです。担任の先生が適性を見抜いておられたのであれば、本当に有り難いですね。

担任の先生は先生のどういうところを医師に向いていると思われたのでしょうか。

来る者を拒まないところでしょうか。人生にはどんなことでもあると、基本的には来る者を拒まず、とにかくやってみないと分からないと思っています。それから一人でこつこつやるより、チームで働くことのほうが好きですね。手術も一人ではできませんし、医療活動は患者さんを含めて、人と一緒に進めていくものです。もちろん考えることに関しては一人で頑張らないといけないことですが、実際に医療を行うにあたっては双方向や多方向での人との関わりが必要です。そういう人との関わりの中で何年も関係を持って仕事をしていくということが好きですね。その意味では医師の仕事は私に合っていました。

  • 米原先生の1日のスケジュール

家庭との両立

仕事と家庭をどのように両立されてきたのですか。

両立は全くしていないですね(笑)。パートナーとは休みを合わせて、旅行に行ったりしています。

今後のキャリアプラン

今後のビジョンをお聞かせください。

産婦人科医の仕事は社会情勢を反映しています。例えば、旧優生保護法に基づいて実施された強制不妊手術に対する国家賠償請求訴訟もそうですし、出生前診断などもそうです。遺伝子診断も発達していますので、患者さんにそういった説明もしないといけないと思いながらも、患者さんが求めれば、その診断も必要です。色々なことが変わってきているので、そういう変化にきちんとついていきながら、産婦人科医としての仕事を全うしたいです。早くリタイアしたいというのではなく、社会情勢や医療を取り巻く環境を踏まえたうえで、医療現場にどっぷり浸かって、一診療医として、そういったところにもできる限り長く関わっていきたいと考えています。

育児短時間勤務制度

育児短時間勤務制度を使われている先生方は多いですか。

以前はいたのですが、今はいません。皆さん、フルタイムで働いています。

院内保育所

院内保育所もありますね。

あります。看護師さんの利用が多いのですが、医師も相談すれば、対応していただけるそうです。

病児保育所

病児保育所もありますか。

ありません。

女性医師の会

女性医師の会のようなものはありますか。

院内にはないのですが、釧路市にはあります。釧路市内の病院に勤務する女性医師や市内で開業している女性医師が集まる会が年に2回ほどあります。女性医師が一堂に会して食事をしたり、情報交換をしています。

釧路赤十字病院の福利厚生

福利厚生についてはいかがですか。

希望の日に休みが取れますし、働きやすいです。互助会での旅行もあります。互助会費は給与からの天引きで、一部の本人負担はありますが、旅行は年に3回あり、忘年会もあります。忘年会では抽選会もあります。旅行は応募者多数ですし、予定が合わなかったりするので、私はあまり参加できていません。また互助会ではなく、日赤のグループ保険や自動車保険の団体割引もあります。それから学会に関しても交通費や宿泊費は病院負担、学会参加費が本人負担となっています。図書は申請書を提出して承認されると、病院負担で購入できます。

釧路赤十字病院での女性医師の働きやすさはどのようなところにありますか。

女性医師が使える院内保育所はありますし、一般的な働きやすさがある病院だと思います。

ワーク・ライフ・バランス

旅行先でロバに乗る

旅行先でロバに乗る

ワーク・ライフ・バランスをどのように心がけていらっしゃいますか。

ライフはなく、ワークのみという感じです(笑)。でも、それが嫌ではないんです。これはあまり周りにお勧めできないですね。好きなように働いていますが、休みも取りやすいので、なるべく気分転換をするようにしています。それで困ったことはないので、ワーク・ライフ・バランスを意識しなくても、無意識のうちにできているのでしょう。

ご趣味など、プライベートについて、お聞かせください。

年に1回、1週間、パートナーと休みを合わせて海外旅行をしています。普段はなかなか行けないところに行きたいと思っているので、私が旅行先を提案し、パートナーが計画を立ててくれます。これまでケニア、イスラエル、ヨルダン、インドなどに行きました。病院という環境から1週間だけでも離れるのはリフレッシュできますね。

座右の銘などはありますか。

以前、日赤からの取材でお話ししたのは「仕事の報酬は次の仕事」だということです。何だか売れない芸人さんのようですが(笑)、若い頃に若いというだけで患者さんから信頼されず、外来のあとに患者さんが看護師さんに「手術は上の先生にお願いしてもらえますか」とこっそり言って、知らない間に主治医が変わっていたことがあったんです。仕方ないなと思いつつ、心が折れました。そういうことはある時期まででなくなったのですが、その理由は患者さんに一生懸命に対応して、仕事を真摯にしていくことで、患者さんとの信頼関係が強化されていくことが分かったからだと思います。患者さんとの信頼関係があると貫禄もついてきますし、判断力もついてきます。もちろん年も取っていくので、その意味でも信頼されます。やはり今の仕事を一生懸命にすると、次の仕事に繋がるし、いいことも舞い込むはずです。悪いことが舞い込んだとしても、今の仕事をきちんとすると、次のチャンスが来ます。それに気づいてからは「報酬はお金ではなく、次の仕事だ」と意識するようになりました。

旅行先のイスラエルにて 旅行先のイスラエルにて

メッセージ動画

病院アピール

概要

  • 病院外観
  • 名称釧路赤十字病院
    所在地085-8512 北海道釧路市新栄町21-14
    電話番号0154-22-7171
    開設年月1945年12月
    院長近江 亮
    休診日土曜日、日曜日、5月1日、祝日および年末年始
    病床数全487床(一般:429床、休床:116床)
    入院患者数延べ272人/日(平均)(2023年度)

診療体制

診療科目・部門

内科、小児科、外科、整形外科、泌尿器科、皮膚科、耳鼻咽喉科、眼科、産婦人科、麻酔科、精神科、歯科口腔外科、病理診断科、看護部、検査部、薬剤部、診療放射線科、リハビリテーション科部、臨床工学課、栄養課、地域医療連携室、医療安全推進室、感染管理室、験審査委員会

指定医療機関

  • 保険医療機関
  • 救急告示病院
  • DPC対象病院
  • 医療機関病院群輪番制参加医療機関(二次救急医療)
  • 総合周産期母子医療センター(釧路・根室圏)
  • 北海道小児地域医療センター釧路・根室地方
  • 小児救急医療拠点病院
  • エイズ治療拠点病院
  • 結核指定医療機関
  • 医師臨床研修指定病院(基幹型)
  • 児童福祉施設(助産施設)設置認可施設
  • 指定養育医療機関
  • 難病指定医療機関
  • 指定小児慢性特定疾病医療機関
  • 指定自立支援医療機関(育成医療、更正医療、精神通院医療)
  • 母体保護法指定医師従業医療施設
  • 身体障害者福祉法指定医師従業医療施設
  • 労災保険指定医療機関
  • 公務災害指定医療機関
  • 生活保護法指定医療機関
  • 被爆者一般疾病医療機関
  • 特定疾患治療研究事業委託医療機関
  • 先天性血液凝固因子障害等治療研究事業委託医療機関
  • ウイルス性肝炎進行防止対策・橋本病重症患者対策医療給付事業協定医療機関

取得認定施設

  • 日本整形外科学会整形外科専門医制度 研修施設
  • 日本眼科学会眼科専門医制度 研修施設
  • 日本産科婦人科学会産婦人科専門医制度 専攻医指導施設
  • 日本泌尿器科学会泌尿器科専門医制度 教育施設
  • 日本病理学会病理専門医制度 研修登録施設
  • 日本内科学会認定内科医制度 教育関連病院
  • 日本外科学会外科専門医制度 修練施設
  • 日本小児科学会小児科専門医制度 研修施設
  • 日本消化器外科学会消化器外科専門医制度 修練施設
  • 日本リウマチ学会リウマチ専門医制度 教育施設
  • 日本周産期・新生児医学会周産期専門医制度 新生児専門医基幹研修施設
  • 日本周産期・新生児医学会周産期専門医制度 母体・胎児専門医基幹研修施設
  • 北海道医師会母体保護法指定医師基準に基づく研修機関
  • マンモグラフィ(乳房エックス線写真)検診施設画像認定施設
  • 日本医療機能評価機構(一般病院2)認定施設 > 認定証
  • 日本消化器病学会専門医制度 認定施設
  • 日本乳癌学会専門医制度 認定施設
  • 日本口腔外科学会専門医制度 研修機関
  • 日本糖尿病学会 教育関連施設
  • 日本腎臓学会 研修施設
  • 日本産科婦人科内視鏡学会 暫定認定研修施設
  • 日本麻酔科学会麻酔科標榜研修施設 麻酔科指定病院
  • 日本消化器内視鏡学会 指導連携施設認定証
  • 日本がん治療認定医機構 認定研修施設
  • 日本静脈経腸栄養学会栄養サポートチーム(NST) 稼働施設
  • 日本健康・栄養システム学会臨床栄養師 研修施設

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