後期研修医インタビュー

社会医療法人 緑泉会

米盛病院

鹿児島県鹿児島市与次郎1-7-1

名前 山崎 大輔 先生
出身大学 関西医科大学
医師免許取得年度 2013年

医師を目指されたきっかけを教えてください。

僕は一度サラリーマンをやってから医者になりまして、医師になって7年目になります。サラリーマン時代はアパレル業界にいて、将来は起業する予定でずっと働いていました。起業しようと思ったのも、昔から国際協力に興味があって漠然と独立して金を儲けた後、学校とか図書館とか病院を途上国に建てまくろうと思っていました。25歳のときに在職していた企業が支援をしていたNGO団体があったので、その一環でバングラデシュに行ったときに、途上国の現状を見てお金じゃない部分も大事だという事もよく分かりました。自分の能力を培って、それを還元出来ればそのほうが有益なんじゃないかなという風に価値観が変わりました。それで医者を志すようになりました。

その中で、整形外科を学ぼうと思ったのはなぜでしょうか。

先にお伝えしたように、将来は途上国の支援をしたいという思いがあります。その手段としてやっぱり外傷救急をちゃんとしたいと考えました。鈍的外傷に関しては日本が多いのはもちろんの事、途上国も交通手段が発達するにつれて、鋭的外傷やガンショットよりも鈍的外傷の需要が増えています。そのことを考えると、やはりベースとして、死ぬ人を助けられるっていう意味で救急が必要だと思ったので、初期研修が終わってからはまず東京で救急を学びました。
内因性の疾患とは異なり、外傷は1分2分遅れたり、もしくは処置の順番を間違えたりすると死に繋がるので、それを見たときにやっぱり外傷に非常に熱いものを感じたのと、今の世の中の流れとして整形外科やアキュート・ケア・サージェリーの需要がある中で、救急と整形が両方できたら非常に良いと考えました。そういう風に学んで、将来途上国で自分の培った能力を還元したいというのが一番です。

今、先生が整形外科を学ぶにあたって、米盛病院を選んだきっかけはありますか?

それはもう圧倒的な症例な多さと、あとは手術をやらせてもらえるという理由で選びました。もし自分がもっと若ければ大学病院とか行っていたと思います。ただ、さっき言ったように僕の場合はサラリーマンをやってから医者になったので、7年目にもかかわらずもう44歳になっています。つまり他の人が10年かかるところを5年もしくは4年3年で習得したいと思いました。

アカデミックなところは自分でいくらでも補えるとして、やはり手術の経験値は症例数に比例すると思うので、圧倒的に経験を積める手術件数が多いところとなると、ちょっと表現はよくないですけどやっぱり地方都市の病院になります。都会はやっぱり病院も乱立しているし、なかなか下には手術が回って来ません。それはちょっと自分として好ましくないと思っていて・・・。あとはやはり救急も両立したいんですよね。救急のマインドを忘れずに、且つ重症外傷も自分で診られて、内因性疾患の重症も診たいと思うので、整形外科領域だけでなく救急も両立をしたいと思っています。

米盛病院では手術をして、整形外科外来をやって、救急外来も担当できます。こんなに境界線もなく、好きなことやらせてもらえる病院は、正直ここしかなかったので、米盛病院を選びました。

先生のやりたい整形外科と救急を病院としてやらせてくれる事が米盛病院の魅力だったんですね。

病院の方向性としてはすごく良いなと思っています。整形外科でここまで発展して、理事長の熱い思いで地域に役立ちたいということで救急を始めました。ヘリコプターを自前で買うなんて簡単に想像できないと思われるかもしれませんが、それでも導入したり、ハイブリッドERなんてとんでもない最先端なものを導入していたりしている事を考えると、やっぱり理事長の理念は本当に素晴らしいと思うし、それに自分の働き方がマッチ出来ると思ってここを選びました。

実際に働かれてみて、入職前とのイメージに差はありますか。

入った瞬間は「なんじゃこりゃ」っていうところは正直多く、理想と現実の差はありました。
ここ来て2年経ちますが、まあ最初の1年間はっきり言って無茶苦茶しんどかったですが、それはいい経験だったと捉えています。1年経ったときに、やっぱり救急もやれて、これだけ整形外科の手術もさせてもらえる病院ってここしかないと思います。だから今めちゃくちゃ満足しています。しんどいですけど(笑)。

米盛病院の指導医の先生方の指導はいかがでしょうか。

指導体制が完成されているかと問われたら体制摸索中だと思います。ただし、だからこそ理事長はすごく僕らのような若手にすごく気遣ってくれています。僕は米盛病院において、昨年スタートした新専門医制度の登録者としては第二号です。だから、ちゃんと新専門医制度に基づいた専門医を出す事もとても大事なことだと思うので、そういった意味で僕らの希望を叶えて貰っていて、それに準じた人員配置も積極的に考えて下さっています。もともと全員が一人立ちしていて、腕一本で稼げる整形外科医が集まっている病院だったので、その中に僕ら後継者が入ってきて、先生方も試行錯誤しながら指導方法や体制を考えてくれています。だから、こういう記事を読んで後輩が来てくれるときには、さらに良い環境が整っていると思います。

先生が今後目指す医師としてのキャリアやゴールがあればお聞かせください。

ゴールは決めていません。ゴールを決めちゃうとつまんないと思っちゃうんですよね・・・。でも目標はもちろん決めています。僕が尊敬するのはペシャワール会の中村哲先生っていう先生です。この人を上回る理念を持った医者を僕は知りませんが、そのような医師になりたいと思っています。そのためには、まず日本でしっかり恥ずかしくないレベルの整形外科医にまずなること。その技術を持って海外に還元したいと思っています。でもそれは全然ゴールではなくて、目標です。ゴールはその先どうなるかというと、途上国の安全とかそういう事なんですかね。微力ながらそこに貢献していきたいと思っています。でもそれは僕一人で実現するものではなく、僕が尊敬する中村先生も同様に途上国や紛争地域において、連綿と続く命の中実現していく。それを繋げていく事が重要だと思っています。

初期研修を迎える医学生に向けてメッセージがあればお願いします。

初期はもちろんジェネラルを学ばないといけないので、極力画像所見に頼らない、問診と身体所見、聴診器一本でどこまで、患者の病歴、主訴から、診断、治療に至るかっていうのを徹底的に磨かないといけない2年間だと思います。2年間はまずジェネラルを診る。そこで培ったものがあれば、医師人生としてのベースはずっと決まるので、その2年間は一番大事だと思います。新医師臨床研修制度でスーパーローテートになった以上は、3年目から整形外科をやるからと言って、肺炎が診られない事はもう許されない時代です。2年間はどれだけ整形外科医がしたかろうと、脳神経外科をしたかろうと、内科をしっかり学んで、全身が診られる医師になるべきだと思うので、やっぱり初期研修と後期研修はしっかり分けて勉強する必要があると思います。

オンとオフの切り替えはいかがでしょうか。

全然ないです。というよりも元々それがあんまり上手じゃなくて・・・。例えば先輩は、「キャンプ行ったら全部忘れるわ」って言われますが、それは全くないですね(苦笑)。キャンプをしていても、夏休みで一週間休みをもらって実家行ってもずっとなにかしら仕事のことを考えています。でも別にそれはストレスではないです。運動したり、ロードバイクが趣味だったりするので、ロードバイクに乗ったりすると、一過性に仕事の事は忘れますが、オンとオフの切り替えは正直苦手で・・・、でも苦手な人もいっぱいいるので、それはそれでいいかなと思っています。
他の先生方はオンとオフの切り替えはできているので安心して下さい。

後期研修先を探されている、初期研修の先生に対してアドバイスはありますか。

やっぱり症例が多く携われる病院を選ぶと良いと思います。僕が初期研修を選ぶときに重要視したのもその点で、実際に研修を受けたのも全国でもトップ5に入る救急車が多い病院でした。条件としては症例が多いということと重症が来るっていうことだったんですよね。ただ、後期でもその病院に残って救急を学ぶ気はさらさらありませんでした。なぜかというとその病院はER救急で、診断付いたら各科が持っていくんですよね。それはもう初期研修で経験しておかないといけないことだという認識だったので、初期研修の2年間でお腹いっぱいになっていました。

僕を例として、整形外科で考えると、単科の病院では慢性期だけやっていると救急を診ていないのでやっぱり重症患者は扱えません。出来て変形性の関節症とか、圧迫骨折ぐらいだと思います・・・。でも、当院の場合は多種多様な重症外傷の患者様がいっぱい来るわけで、日々学ぶ事はたくさんあります。そういった意味ではやはり、どの科目においても症例数の圧倒的な多さと、重症患者の数が基準としてまず一番大事だと思います。

米盛病院を最後のPRしていただければ、先生が感じた良さはなんですか?

何度も言いますが、症例の多さと重症度だと思います。加えて、僕としては救急と両立できるってことですね。その3つだと思います。

リハビリ病棟もあり、入院から退院まで患者様に寄り添える環境。そして整形はもちろん各診療科に対応できる先進的な設備。各医師の現在と未来を本気で考えてくれる理事長。
他にも魅力は数多くあるので、まずは一度遊びにきて下さい。

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