指導医インタビュー

医療法人 沖縄徳洲会

中部徳洲会病院

沖縄県沖縄県中頭郡北中城村字比嘉801番地

名前
仲間 直崇(なかま なおたか)先生
職歴経歴
1977年に熊本県山鹿市に生まれる。
音大進学とも悩んだ挙句、2006年に宮崎大学医学部を一浪三留ののちに卒業する。
2006年に中部徳洲会病院で初期研修を開始する。初期研修終了後3年目に同院の救急総合診療科で徳之島などの離島診療にも従事する中で専門を消化器に定めた。
2009年4月に飯塚病院で消化器内科後期研修を行う。
2012年に聖隷三方原病院消化器内科に勤務する。同院ではドクターヘリドクターや緩和ケア診療も経験し、医師としての大まかな方向性が定まった。
2016年4月に古巣である中部徳洲会病院に帰る。
現在は消化器内科・在宅緩和ケア科としての診療に加え、離島僻地診療にも飛び回る43歳のテノール歌手である。
学会等
日本内科学会認定医など。日本消化器病学会、日本消化器内視鏡学会、日本門脈圧亢低症学会にも所属する。

中部徳洲会病院の特徴をお聞かせください。

人口40万人の医療圏を支える急性期病院です。救急車も頻繁に来ますし、外来も忙しいのですが、大きな特徴は診療科の垣根が低く、相互の相談や科を飛び越えての協力体制ができていることにあります。

仲間先生がいらっしゃる消化器内科についてはいかがですか。

私と専攻医2人のチームなのですが、この3人に加え、外科の先生方にもご協力いただき、年間17000件の内視鏡検査や治療をするハイボリュームセンターです。したがって、専門研修中の2人はもちろんですが、消化器内科に回ってきた初期研修医にも積極的に内視鏡に取り組んでもらっています。私が見ている中ではありますが、我々と並列で検査をする猛者のような初期研修医もいます。1人の初期研修医は手技のマスターが早く、消化器内科にいた最後の2週間で完全に戦力になっていました。私たちの手伝いをするうちに上手になっていくようですね。

緩和ケア科についても、お聞かせください。

私は聖隷三方原病院で緩和ケアを学んできたこともあり、当院に戻ってきたときに緩和ケアを始めることになりました。消化器内科医ですので、不幸にして完全に治すことができないがんの患者さんを診る機会が多くあります。自分が診断をつけたところから、患者さんが望めば過ごしたい場所で過ごしたいように過ごすお手伝いがしたいと考えています。これは離島診療にも繋がることですね。私は在宅緩和ケア科医と名乗っていますが、これは離島のご自宅で過ごしたい人が過ごせるようにするお手伝いをするための肩書です。逆に病院で過ごしたいと望まれるなら、それも全力で応援します。

中部徳洲会病院の内科専門研修プログラムで学べる特徴について、ご紹介くださいますか。

専攻医にキラキラ輝いてもらうことを目指したプログラムです。中部徳洲会病院は沖縄県で最も多くの誤嚥性肺炎を診ている病院なのですが、ほかの病院だと誤嚥性肺炎は若手医師を中心に割り振られることがよくあります。しかし、当院は我々のようなスタッフが誤嚥性肺炎を診ています。専攻医は誤嚥性肺炎を持つこともありますが、膵炎、心不全、心筋梗塞などのいわゆる症例として勉強になるものを持っています。プログラムとしては消化器系、循環器系、2021年度からは血液内科系とざっくり分けてはいますが、循環器系の専攻医も膵炎や血液疾患を持つ場合があります。そうした循環器系の専攻医が消化器疾患を持つ場合は指導医の欄に私の名前を入れてもらって、一緒に診ています。逆に消化器系の専攻医が心不全や不整脈を診る場合は循環器科医が指導医になります。当院は残念ながら、スタッフ医師が潤沢にいる病院ではありませんので、そこを逆手に取って学びたいことを縦横無尽に学べる環境を作っています。

中部徳洲会病院内科での専門研修プログラム終了後はどのようなキャリアアップが望めますか。

当院では専門に関して言うと、一点を追求した深い専門性というよりは総合力をつけられます。我々が目指しているのは離島の病院に行ったときに一人の独立した医師として、患者さんの前に出ていける力を身につけてもらえることです。その総合力を活かしたキャリアアップが可能でしょう。

カンファレンスについて、お聞かせください。

内科では月に2回、抄読会を行っています。また消化器内科では毎朝、症例の共有をしているほか、私が読むべきだと感じた論文の提示をしながら、彼らと話す機会をなるべく増やすようにしています。

専攻医も発言の機会は多いですか。

多いですよ。私が毎日、やられています(笑)。

女性医師の働きやすさに関してはいかがでしょうか。

我々の教育が理解されるようになり、専攻医が当院の専門研修プログラムに来るようになって3、4年が経ちましたが、女性の内科専攻医がまだいないんです。プログラムも発展途上ですので、見学にいらしていただきたいです。一方で、今年、内科のスタッフ医師の男性と脳神経外科で専門研修をしている女性の間に子どもが生まれました。出産直後から半年間は女性が育児休暇を取りましたが、先月からは男性が育児休暇中となり、女性は専門研修に復帰しています。当院は何かの問題が生じたときにその人にとってどうしたらベターなのかを皆で相談し合える環境ですので、女性医師が働きやすい病院だと思います。

先生が初期研修で中部徳洲会病院を選んだのはどうしてですか。

気の迷いですね(笑)。私は熊本県出身なので、大学時代は熊本に帰る気まんまんで熊本の病院をいくつも見学していました。ところが、どの病院にするのか。決め手がなかったんです。そんなときに福岡であった研修医募集のイベントで沖縄県のブースにたまたま入ったところ、そこでお会いした先生から「一度、見に来たら。沖縄で初期研修をしても、そのあとでどこに出ていくのかは君の自由だ」と言われたんです。そのお話にそれまでとは違う雰囲気を感じ、一度は見学してみようかなと中部徳洲会病院に来ました。そこでは1年目の初期研修医が救急外来にいて、救急車で来た意識障害の患者さんを受け、診察して、CTを撮って、脳出血の診断をつけて、アンギオバッグを見ながらICUに上げるところまで一人でやって、ICUに上がったところで脳神経外科の医師が来て、一緒に処置を始めたところを見たんです。今はそれを正しいことだとは思っていませんが、当時の私はこの病院に来たら、1浪3留の私でもまともな医師になれるのではないかと考え、当院に決めました。

研修医時代はいかがでしたか。

離島研修では自分の実力不足に正面から向き合いました。離島研修で行く病院は診療所ではなく、総合病院です。診療所よりも総合病院の方が楽だと思われるかもしれませんが、実は逆です。離島にある徳洲会の総合病院にはCTもMRIも内視鏡も心臓カテーテルもエコーも揃っているんです。脳梗塞かもしれない患者さんにCTやMRIもすぐに撮れます。心筋梗塞の患者さんに心臓カテーテルをすることもできるんです。初期研修医にはもちろんそこまで求められません。しかし、何ができるのかということをスタートの段階で判断しなくてはいけません。初期研修医はこの経験をすべきだということで、当院の初期研修は今も離島研修が必修になっています。

先生が消化器内科を専攻されたのはどうしてですか。

初期研修を終え、卒後3年目で救急総合診療科に行ったので、私自身は総合診療で生きていくのだと思っていました。ところが離島研修先で消化管出血症例が来たのです。私は少し内視鏡を触っていたので、それなりに天狗になっており、自分で何とかできると対応したのですが、何ともなりませんでした。大量出血でしたが、離島なので輸血もなく、職員さんたちの生血を使って輸血をしながら、心肺蘇生を繰り返して蘇生を試みました。そして心臓マッサージをしている途中に、ご家族から腕をつかまれ、「先生、もう止めてください」と言われたんです。内視鏡医としての実力不足を痛感した症例でしたね。その翌日にたまたま飯塚病院の先生から電話があり、この症例で悔しかったという話をしていたら、「飯塚に来い」と言われたので、飯塚病院に行きました。消化器内科を選んだというよりは内視鏡を学びたい思いで飯塚病院に行ったのですが、先生方によくしていただき、本当に勉強になりました。行ってすぐに「吐血の場合は仲間にファーストコールをお願いします」と救急外来に貼り紙をし、全ての緊急内視鏡に呼んでいただけるようにしました。飯塚病院には3年間いましたが、内視鏡診療以上の経験を積ませていただきました。

聖隷三方原病院に移られたのはどうしてですか。

東日本大震災のとき、DMATに行く先生方を見送る立場として、その先生方の当直の穴を埋めることでカバーしようと思っていました。そして1年後には東北が医師不足になるはずだから、そのときに東北に行こうとしても、私は内視鏡しかできないことに気づいたんです。そこで主旨が変わってしまったのですが、内視鏡、肝胆膵、救急科を学べる病院を探したところ、聖隷三方原病院が受け入れてくださるとのことでしたので、縁もゆかりもなかった静岡県の聖隷三方原病院に行きました。

聖隷三方原病院でどういうことを学ばれたのですか。

聖隷三方原病院にいた4年間、月に1、2回ですが、週末を中心にドクターヘリに乗せていただく機会を得ました。私は決して救急が好きではありません(笑)。それでも救急から完全に離れたらいけないと思っていたので、救急をせざるをえない状況に自分を追い込むためにドクターヘリに乗っていました。また、聖隷三方原病院は緩和ケアで有名です。私はホスピスは患者さんを看取るだけの楽な科だと誤解していました。ところが、自分の患者さんを診てもらったときに書かれたカルテを見て、驚きました。患者さんのプロブレムが列挙され、解決可能と不可能に分けて、詳細にアセスメントしてあるんです。しかも緩和ケア科の先生方は私に毎日の回診やお看取りをすることを許してくださり、患者さんが亡くなったあとにはスタッフからグリーフケアも受けました。これが中部徳洲会病院に戻ったときに緩和ケアも始めたきっかけです。

専攻医に指導する際、心がけていらっしゃることはどんなことでしょうか。

消化器内科は手技が全面に出てくる診療科なので、専攻医には積極的にやってもらうことを目指しています、つい直前も専門研修1年目の医師にしてもらっていました。今は新型コロナウイルスの影響で、覆われた中で検査をします。私はその覆いの中に最初は入りません。確かにハラハラしますし、私がした方が早いのですが、専門研修が始まって8カ月経っている今はある程度の安全性を担保しながらやれる段階です。これは信頼関係ができていることも大前提ですが、私は彼がヘルプを求めるまで、外で見守っていました。彼がヘルプを求めたところで、私が入り、こういうふうにしたら良かったのではと口頭で伝えながらやってみせるスタンスです。全ての処置に関して、そうしています。

専攻医に対し、「これだけは言いたい」ということはどんなことでしょうか。

プログラムを作るのは専攻医自身です。専門研修のうちに心臓カテーテルができて、内視鏡ができて、血液疾患も診られるようになりたいというのはきついでしょうが、そう望むなら、我々はバックアップしますし、心臓カテーテルと内視鏡を並行して取り組んでいる専攻医もいます。育ちたい自分をイメージしていただければ、その希望を叶えていきます。

現在の専門医制度について、感想をお聞かせください。

私自身が好き勝手に育ってきたということもありますが、3年目になったら専攻医プログラムに乗らないといけないという空気が急激にできてしまいました。私としてはどのプログラムに乗るのかだけではなく、専攻医プログラムに乗らないという選択肢を持ってもいいと思います。そういう選択をした医師がどういう評価をされるのかは10年、15年経ってみないと分かりません。医師は力さえあれば自由です。どの専攻医プログラムを選ぶのかというよりもどの方向を選んだら最も力がつくのか、目の前の患者さんに役立つ自分に近づけるのか、そういう発想でプログラムを選ぶなり、選ばないなりを決めてほしいです。

これから専攻医研修の病院を選ぶ初期研修医にメッセージをお願いします。

当院の専門研修プログラムを作るのは専攻医の先生ご自身です。当院でどういう選択ができるか、当院にどういうツールがあるのかを感じるために、我々の病院に見学にいらしてください。このメッセージを読まれた先生がなりたい自分に近づくための相談や協力を我々は惜しみません。一緒に成長しましょう。お待ちしています。