にいむら病院 理事長 新村友季子先生インタビュー

女性では国内初の ダヴィンチ手術のスペシャリスト

にいむら病院 理事長 新村友季子先生



Index
新村先生略歴

理事長|新村 友季子

プロフィール
2005年
鹿児島大学医学部卒
2007年
鹿児島市医師会病院臨床研修
2013年
新村病院 女性泌尿器科外来 開設
ダヴィンチサージカルシステム
外科医ライセンス取得
2015年
にいむら病院 理事長就任

資格
日本泌尿器科学会専門医・指導医
ダヴィンチサージカルシステム外科医ライセンス
日本ロボット外科学会国内B級ライセンス


所属学会
日本泌尿器科学会
日本泌尿器内視鏡学会
日本内視鏡外科学会
日本ロボット外科学会
日本女性骨盤底医学会
日本骨盤臓器脱手術学会
日本排尿機能学会
日本老年泌尿器科学会
日本抗加齢医学会
日本骨粗鬆症医学会
にいむら病院 理事長 新村友季子先生

INTERVIEW
chapter1
にいむら病院に入職するまで
医師を目指された理由をお聞かせください。
文系の大学院で研究者を目指していました。でも、研究者を目指している皆さんがすごく優秀で、私はここではやっていけないと感じ、手に職をつけようという思いから、医学部を受け直して、医師になりました。父や叔父、祖父が医師でしたので、専門職としては最も身近な職でもありました。
先生が医学部に進まれたときの女性比率はどれくらいでしたか。
35%ぐらいでしょうか。4割近くいたと思います。
泌尿器科を専門とされていますが、外科系の分野に進まれることへの抵抗や不安はありませんでしたか。
それはほぼなかったです。外科、内科を選択する際に自分の性別は意識せずに、何をしたいかということだけで選びました。選ぶのであれば外科系がしたかったので、整形外科か小児外科、または泌尿器科かなと思っていました。
にいむら病院 理事長 新村友季子先生

先生が外科系を選ばれたとき、女性の割合はいかがでしたか。
外科系の女性の割合は少なかったですね。しかし、女性でも脳神経外科や小児外科で頑張っている同級生がいます。
先生の初期研修先はどちらですか。
鹿児島市医師会病院で研修をしました。
医師会病院を選ばれた理由をお聞かせください。
外科系が充実していたことと、症例が多いこと、市中病院に行きたかったことで選びました。私は学生結婚しており、子どもがいましたので、鹿児島県から離れない方が都合が良かった点もあります。
現在、女性医師へのバックアップ体制が整ってきている初期臨床研修指定病院も増えてきていますが、先生の初期研修時代にはありましたか。
特別にはなかったです。研修医時代、頭でっかちの上司がいました。それまで私達夫婦は夫婦別姓で通していました。子どもが生まれた段階で入籍しましたが、仕事上は旧姓で通していたんです。そのときに、その先生から「存在しない名前で公文書を書くのはいかがなものか」と言われたので、「分かりました」とすぐに離婚届を提出しました。書類上は離婚をして、別姓で通しています。なので、私達夫婦は今も事実婚です。早く夫婦別姓法案が通ってくれると良いですね。
当時先生が目標とされる女性の外科医はいらっしゃいましたか。
目標の女性外科医がいました。やはり先輩がいるのといないのとでは大違いですね。外科系で頑張っていらっしゃる方がいると、自分もそうなりたいなと思いながら研修することができました。少ない人数でしたが、その存在が本当に励みになりました。
先生が影響を受けた恩師はいらっしゃいますか。
学生時代も含めて素晴らしい研究医や臨床医に出会えました。医師会病院の有名な院長先生、故迫田晃郎先生と一緒に術場に入れたことは本当に幸せでした。
内科、外科、男性、女性に関わらず、本当に素晴らしい先生達が大勢いらっしゃいました。私は本当に運が良く、周りの方に恵まれていると思います。ありがたいことですね。
にいむら病院 理事長 新村友季子先生
chapter2
結婚・出産・子育てを経て
学生結婚とのことですが、ご結婚は入学されてすぐですか。
医学部に入学して1年少し経った頃でした。
ご結婚を決められたとき、周囲から反対の声はありましたか。
なかったです。私は文系の大学院を経て、26歳のときに医学部に再入学しました。なので結婚は早すぎる年齢でもなかったですし、早く医師にもなりたい、子どもも欲しい、そう考えたら仕事を始めてから休むよりも、学生のうちに子供を産むのもありかと考えました。今となっては学生時代にもう一人産んでおけば良かったと思ったりもしますね。
医学部入学後、妊娠されたときは不安や迷いはありませんでしたか。
学生時代に産もうという計画出産だったので、不安や迷いは通常の妊婦さんと同程度だったかと。早く現場に出るために留年はしたくなかったので、夏休みに出産できるよう計画的に妊娠、出産しました。妊娠中や出産後もクラスメイトにも良くしてもらえましたし、学生出産された先輩がいたので様々なことが割とスムーズでした。
にいむら病院 理事長 新村友季子先生

ご主人のバックアップ体制が整っていらしたということですか。
そうですね、パートナーがいかに理解してくれるかではないでしょうか。あとは家族のバックアップの有無は大きいですよね。私の場合、夫もですが私の母が120%バックアップしてくれました。母の存在なくては不可能でしたね。本当は社会がそうあってほしいですが、社会が変わるには時間がかかりますので、自分がやりたいことを叶えてくれる相手が誰なのかを見極める目が一番大事だと思います。また、子どもを産むタイミングは生物学的には、いつまでもは待ってくれないですし、必ずタイムリミットがあります。今私は40代ですが、周りには不妊治療している人も少なくありません。将来的に子どもが欲しければ、できるだけ計画的に考えた方がいいですね。なかなか思い通りにはいかない事柄ですが、自分がどうしたいかを常に意識する事は必要かと。
さまざまな自己研鑽をされる中で、子育てとの両立やお子さんとの時間はどのように確保されていましたか。
正直言って、日常では子どもとはあまり過ごしていなかったです。母と夫に任せていた部分が大きくて。息子は「おばあちゃん子」ですね。学会や出張には連れていったりはしていました。本当にたまたま運が良く、子どもがスクスクと育ってくれ、「別にママがいなくても」みたいな感じでした。祖父母と父親の存在のお陰ですね。でも今振り返ると、子どもが小さい時期にもう少し一緒に遊んでおけばよかったなという気持ちはあります。ただ医師という仕事は変われないですし、仕事をやる以上は子供を理由にすることなく、しっかりやらないといけないと常に思っていました。
ご主人はどのようなサポートをしてくださったのですか。
夫は小児科医局が始まって以来、初めて男性で育休を取った人です。鹿児島大学に新しい教授が就任されてすぐのことでした。当時、男性の医師で育休を取った方はいなかったので、新任教授は「鹿児島大学は進んでいるね」とおっしゃっていました。当時の教授や医局にはとても感謝しています。
ご主人が育休を取られる際、周りからの批判的な声などはありましたか。
夫は何も言いませんでしたが、あったとしても不思議はないですよね。ただ、小児科という分野は子どものことを親目線でもよく知っていた方が医師として役に立つでしょうから、夫は育児を楽しそうにやっていましたね。育休を取ったことは、小児科医としてのキャリアにプラスに働いたと夫は言っています。
にいむら病院 理事長 新村友季子先生
chapter3
にいむら病院に入職して
初期研修後、鹿児島医師会病院からにいむら病院に入職されていますが、病院を継ぐという意識で入職をされたのでしょうか。
継ぐという意識はなく、大学医局に入局しようか迷っていました。当時、にいむら病院には宮崎大学、鹿児島大学、琉球大学、帝京大学から先生が来ており、大学医局でなくても、色々な大学のやり方が学べそうでした。それで、初期研修の最後に指導を受けていた整形外科の先生に相談したところ、「僕は医局に入るのは勧めないよ。色々な大学から先生たちが来ているのだったら、各大学の良いところを学べばいいわけだから、1つの医局に入る必要はないのでは」と言われて方向が決まりました。それに、同級生で泌尿器科に入局する同期が7人もいたのです。それであればにいむら病院に入職しようと考えました。
にいむら病院に入職後、各大学の違いを感じましたか。
違いはありましたが、先生方それぞれがにいむら病院のやり方に染まっていく感じでした。「大学ではこういうやり方でもやっているよ」と教えてもらったりもしました。初めのうちは分かりませんでしたが、教えていただくうちに、各大学の特徴も分かってきました。若い先輩が沢山いたので皆親切に教えてくれました。今振り返ると、技術習練にはとても良い環境でしたね。
にいむら病院
外観

にいむら病院
病室

にいむら病院
病棟フロア談話コーナー

chapter4
30代で理事長職に就任
理事長に就任された理由をお聞かせください。
父が引退することになり、後継者が必要だったからです。弟と一緒ににいむら病院で働いていましたが、弟はまだ若かったのと、彼は経営に興味がなかったので、順番的に私が就任しました。彼は今院長です。
30代の若さで理事長に就任されるときにプレッシャーなどは感じられませんでしたか。
プレッシャーはありましたし、継ぎたくて入職したわけではなかったですし、経営をしたかったわけでもありません。父の苦労をみていたので、正直に言うと、あまり乗り気ではなかったです。周囲の経営者先輩方に励まされながらのスタートでした。
理事長就任前に女性外来を新設したのはなぜですか。
泌尿器科は男性の科というイメージが強いので、「女性も診てもらえますか」とよく聞かれていたからです。女性泌尿器科を作ることで、女性の患者さんも受診しやすいのではと思い、新設しました。
にいむら病院 理事長 新村友季子先生

chapter5
ダ・ヴィンチ技術を習得して
にいむら病院はダヴィンチでの手術が有名ですが、いつから導入されていますか。
2013年からです。鹿児島県で1番最初に導入しました。
2019年現在、750件以上の実績となっています。
新村先生はダヴィンチのライセンスを取得されていますが、取得されたきっかけを教えてください。
にいむら病院にダヴィンチが導入されたので、早速資格を取りましょうという流れで自然に取得しました。
にいむら病院 理事長 新村友季子先生
ダヴィンチのライセンス取得のための技術習得はどのように行われましたか。
海外へダヴィンチ手術の見学に行くこともありましたが、にいむら病院に30年前から手術指導に来てくださっていた先生からダヴィンチの技術を学びました。実はその先生が日本にダヴィンチを最初に導入された方で、まだ保険適用されていない時代に東京医科大学に導入されたんです。その先生にダヴィンチを勧めていただき、にいむら病院でも導入しました。
ダヴィンチの技術を習得される中で、難しいと感じた部分をお聞かせください。
ダヴィンチはとても力が強く、最初は力の入れ具合が慣れるまで大変でした。糸を引っ張るときの張力や力の入れ具合だけで切れてしまうこともありました。糸結びをしているだけで糸が切れてしまったり、縫っている途中に気づかずに糸を引っ張って切れてしまったり。連続で縫っていたのにもう一回、最初からやり直しなど、そんなことの繰り返しでした。この力が強い点は、力の強くない女性医師にとって慣れると非常にアドバンテージとなります。今はダヴィンチ以外の手術が苦痛になりました。ロボット手術は素晴らしい文明の力だと思います。


chapter6
女性医師として感じること
にいむら病院に入職されたとき、同期や女性の医師はいましたか。
同期はいませんでした。女性医師も入職時はいなかったです。入って2年目か3年目の頃に琉球大学から女性の先生が1人来られて、一緒に働いたことはあります。
医学部時代や初期研修医時代、にいむら病院に入職されたときなど、男女差別的なものを感じたことはありましたか。
あまり感じなかったです。鈍いのでしょうね。むしろある程度は鈍感になっているのも良いのかもしれません。にいむら病院に入職後は院長の娘という立場でもありましたので、あからさまな意地悪や差別はしにくかったのではないでしょうか。恵まれた環境にいたのだと思います。かなり特殊ですよね。本当に運が良いんです。
にいむら病院 理事長 新村友季子先生

にいむら病院には全国から患者さんがいらっしゃいますが、女性の患者さんは増加しましたか。
女性はやはりお話が好きですし、お友達からのご紹介といった口コミで来院される方が増えています。男性患者さんの家族の方として、女性も診てもらえるらしいよと受診される方もいらっしゃいますね。
外来の患者さんの性別によって、男性医師か女性医師かを分けておられますか。
基本的には患者さん自身に、女性の先生がいいか、男性の先生がいいか選んでもらっています。泌尿器科の場合、前立腺などの病気自体は男性の患者さんが多いので、私も男性の患者さんを手術から術後まで診ています。
女性医師だからこそ良かったと感じることはありますか。
これまで生きている中で女性で良かったと感じたことは多くはありませんが、患者さんから「先生と出会えて良かった」とか、「女の先生で良かった」と言われると、女性で良かったなと実感します。
自己研鑽の時間や臨床、経営、また家族もいらっしゃる中、どのようにそれぞれの時間を確保していらっしゃいますか。
常に優先順位をつけながら、自分の感性に従いながら、周囲に感謝しながら、自分らしく、ですかね。自分一人でできることは限られています。にいむら病院には幸い2人の放射線科の常勤の先生がおり、とても優秀な方々です。その先生方にも助けてもらっていますし、手術は麻酔の先生の協力無しにはあり得ません。泌尿器科の先生も現在私以外に3人います。それぞれの分野で例えばがん専門、結石専門などで活躍してくださっています。私自身が分からなことは他科他院の先生方に教わることもよくあります。結局私はごく一部のことしかしていないですね。ドクター以外の当院スタッフにも全面的に支えてもらっています。常に周囲に助けられていると思います。周囲に恵まれていますね。やはり運が良いのですね。
女性専用外来
女性専用外来
女性専用外来
女性専用外来待合室

chapter7
葛藤と向き合う
挫折したときや葛藤しているとき、立ち直るためにどんなことを意識すると良いでしょうか。
私自身が若いときは、そう思っていなかったのですが、自分一人が医師になるためにどれだけの税金が使われているのかを意識することは必要だと思います。税金を納める側の人間になったからこそ感じたことですが、医学生は投資をされているかと。だから、些細な理由で医師を辞めたり、ましてや結婚や出産を理由に医師を辞めるというのは、私の中ではあり得ないですね。医師になるために、国民からの多額の税金を使ってもらい医師という職業に就かせてもらったという意識を持たなければいけないのかなと思います。国家資格なので。
先生ご自身は進路に迷われたときや葛藤されているとき、どのように乗り越えられていますか。
迷うこともありますが、チャレンジしたいことがあれば、まずはやってみるという気持ちを常に持っています。まず行動に移します。動きながら考えます。
先生が医師として働くうえでの原動力は何ですか。
患者さんの笑顔ですね。あとは幼少期から「働かざる者食うべからず」という意識が強くあります。性別とは関係なく、働くことは当然と思っています。自分で働いたお金で生きていくこと、働くことで自由を手に入れるのは、人として生きる上での基本だと思います。
にいむら病院 理事長 新村友季子先生

chapter8
経営理念と目標
にいむら病院では最先端の医療を取り入れていますが、経営理念をお聞かせください。
私は父と10年余り一緒に働いていたのですが、父の方針が患者さんのために最先端の医療を取り入れることでした。学会には必ず行き、一番新しくて良いとされていることを常に追いかけていきなさいと教わっていましたので、今も父の方針を実践しています。
父は39年前に現在の場所に新村病院を創設しました。東京の大学を卒業後、泌尿器外科の病院を鹿児島で1人で発展、継続させていくことは本当に大変だったと思います。父は世界一尊敬する臨床泌尿器科医の1人です。
先生ご自身の経営理念をお聞かせください。
自分が患者さんの立場だった場合、どんな先生にどんな診断や治療を受けたいかなどを考え、自分が受けたいと思える医療を患者さんにも提供できるよう、意識しています。

新村先生の今後の目標

患者さんがいらっしゃる限り、病院を維持しなければいけないということが目標です

にいむら病院には父の代から受け継いでいる患者さんが今も数多くいらっしゃいます。
当院で多く診させてもらっている前立腺がんの中には発症してから亡くなるまで20年~30年もあるほど、とても息の長い病気です。そのため、父の代からの患者さんや自分が手術させていただいた患者さん方も含めて、長い時間をかけて診ていくことが必要です。その意味で、病院を健全な状態で存続していかないといけません。患者さんがいらっしゃる限り、維持・発展させなければいけないということが目標です。

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