医師を志す学生への応援メッセージ

北野夕佳

ドクタープロフィール

北野 夕佳(きたの ゆか)

聖マリアンナ医科大学救急医学 助教・医長

聖マリアンナ医科大学横浜市西部病院 救命救急センター


略歴

1996年に京都大学を卒業後、京都大学医学部附属病院で1年、大阪赤十字病院で3年間、内科各科、麻酔科、診断放射線科、救急部を含むローテート研修を行う。大阪赤十字病院ではチーフレジデントを務める。
2000-2004年、京都大学大学院で基礎研究を行う。
2005年にECFMG certificateを取得し、2006-2009年、米国シアトル市のヴァージニア・メイソン医療センターで内科レジデントを修了し、米国内科専門医を取得する。
2009年に帰国、東北大学病院高度救命救急センター助教に就任する。東日本大震災時にはトリアージ黄リーダーを務める。
2011年に聖マリアンナ医科大学救急医学助教に就任し、救急・集中治療・総合内科臨床を行いながら、初期・後期研修医の教育にあたっている。

研修初日、5人の患者さんの主治医に。1か月後、病棟には1年目の研修医だけがいた

現在のお仕事について、お聞かせください。

北野:総合内科をベースにして、2-3次救急外来を診る救急医としての仕事をしています。また、救急外来から入院した重症症例の集中治療管理も行っていますので、集中治療医もやっています。各科の病棟に振り分けられない複合病態の患者さんは退院までずっと救命センター主科という形で入院主治医として診ていますので、アメリカで言うところのホスピタリスト(病棟総合内科医)としての仕事もしています。

研修医時代に学んだことはどんなことでしょうか。

北野:国家試験が終わり、京大病院での研修が始まったのですが、卒後臨床研修必修化以前であったので、研修医初日から私たちがひとり主治医という時代でした。初日に5人の患者さんを「あなたが主治医だから」と言って渡されました。1年上の研修医は1カ月後には外病院に赴任していなくなるという制度であったので、1カ月間だけ屋根瓦式の研修でしたね(笑)。病棟には1年目の研修医しかいない状態で、指導医も頼まないと見に来てくれません。患者さんに異常があったときに気づくのは自分しかいないんだという切迫感や緊張感が常にありました。採血の結果が少し異常だったり、血圧が昨日よりも低い、37度5分の微熱がある、などの異常のうち、どれが本当に問題であり、どれが経過観察してよいかすらわからず、かつ自分が問題があると判断して呼びに行かないと指導医は見てくれないわけですから、何度も患者さんを診察に行き、検査データの本、今日の治療薬、鑑別診断の本などを必死に調べては悲壮な顔で土日もなく連日、研修医同士で助け合っていました。24時間主治医コールという体制であり、夜中に患者さんが熱発しても、腹痛を訴えられても呼ばれるのは自分でした。良くも悪くもある当時の研修ですが、自分の患者さんの状態に責任を持つのは自分だという職業倫理を最初から叩きこまれたという点では良かったと思います。

今の初期臨床研修とは全く違いますね。

北野:臨床研修必修化に関しては色々な意見がありますが、私は賛成です。私たちの頃のようにいきなり放置されるのは、職業倫理を叩き込み責任感・切迫感を持って成長させるという意味ではいいのですが、患者さんへの医療安全との両立が難しいです。私自身は出産を3回しましたし、切迫流産や子どもが肺炎で入院するなど、患者の立場も経験しましたので、患者さんの安全を犠牲にして研修医教育を優先させるのはありえないと思っています。患者さんの安全と研修医教育の両立のためには、研修医がへその緒をつけた状態で最初の2年間を過ごすことは有用だと考えます。ただ、この制度を有効利用できるかどうかは、この期間の過ごし方次第です。指導医が見てくれているんだという安心感を持って2年間を過ごすのは論外ですね。私が研修医時代には維持輸液ひとつ決めるにも「補液を1日1000ccにしたら脱水になって腎臓機能障害が悪化するかもしれない」とか、「2000ccにしたら、もともと悪い心臓が心不全を起こすかもしれない」といったことや、「吐き気のある患者さんにプリンペランIVをしようと思うけど、知らない禁忌があるのではないか」などの細かいことを決めるだけでも不安でした。自分が指示する内服・静注薬剤をすべて『今日の治療薬』で投与量・禁忌などを見ないと怖くてたまりませんでした。そういう気持ちで2年間を過ごさないと、「プリンペラン、IVしておいてね」、「はーい」では成長しません。禁忌やその薬剤の作用機序を知らない状態にもかかわらず、その薬剤をなんとなく知っているつもりになっているという状態で3年目に独り立ちするのは、危険以外に何ものでもありません。

教えることで、自分も成長できた

卒後4年目に大阪赤十字病院でチーフレジデントになられたんですね。

北野:自分がやるのと人に教えるのとは全く違いますから、眼から鱗の経験でした。分かっていない人に教えるのは自分がどれだけ正確に分かっている必要があるかを再認識しましたね。たとえば腹水穿刺をするとします。エコーを見た上級医から「ここを穿刺しようか」と言われた部位に穿刺するのは簡単ですが、自分しかいないときにそこに穿刺していいのかどうかを判断するには、一般論が理解できている必要があります。

 私がラッキーだったのは、半泣きになっていたときに教えてくれる優秀な先輩研修医や指導医が大阪赤十字病院の時に大勢いらしたということですね。教えていただいたことをベースに、研修医ノートや内科レジデントマニュアルでまた調べて確認して、一般論を自分のものとして蓄積できたのがとても良かったです。1年目の研修医に教えるときに「腹水穿刺は逆McBurney点から穿刺する。なぜなら腹直筋の外縁を走る腹壁動脈を避けるためには、腹直筋よりも外側を穿刺する必要がある。臍よりも可能なら尾側(足側)を穿刺すること、なぜなら肝脾腫のある場合には、臍より上の穿刺は危険だから。手術痕付近は避けること、なぜなら腸管が腹壁に癒着している可能性があるから」など、一般論を教えるようにしています。私が4年目になったときには救急外来などそれなりにマネジメントできるようになり、分かったつもりでいましたが、教えることによって分かっていない部分をより明確に再認識できました。
 また、教えることで言語化しますから、自分の知識の定着になりました。教える事が自分の成長につながることを再認識するという意味で貴重な経験でしたね。

アメリカでも、屋根瓦式の研修なんですか。

北野:アメリカでは内科レジデントであればPGY(post graduate year=卒後年度)1、2、3とあり、PGY2と3が1を教えるシステムです。これは2と3のトレーニングになっていますね。指導医の立場からすれば、PGY1 に教えているのを見ると、PGY2、3がいかに分かっているか、分かっていないかを把握できます。「私の前で教えてみて」と言って、PGY2・3の理解を確かめたり、理解を定着させたりできますので、屋根瓦式はきわめて有効です。知識を言語化して共有しあうことは、最終的には患者さんのためにもいいことだと思います。

北野先生は今も勉強会などに積極的に参加なさっていますね。

北野:野口医学研究所で、毎年7月に野口サマースクールという米国式の臨床教育セミナーを開催しており、私もこの数年毎年講師として参加しています。学生・若手医師対象ですが、指導医講習を行っている年もあります。ぜひホームページをみて参加されてください。最近は湘南鎌倉総合病院で英語の症例検討会に講師として出席しています。前回はジェラルド・スタイン先生と私がコメンテーターで、ジョエル・ブランチ先生がファシリテーターで司会を務められたのですが、優秀な研修医が症例提示を行って、とても良かったです。皆の前でコメントするためには正しいことを言わないといけませんから、日ごろ自分の病院でベッドサイドティーチングしている内容でももう一度調べ直します。このように自分に負荷をかけられる機会はいいですね。医師は一生、成長しなくてはいけませんから。

野口医学研究所では 医学交流セミナー(毎年12月開催) 夏季臨床医学教育セミナー(毎年7月開催)を行っている。
北野Drが堤美代子Drと共にプログラムコーディネーターとして企画運営した2013年12月のセミナーは、定員オーバーの盛況のうちに終了している。北野Drが主導したセッションの一つである「米国レジデンシーから直輸入・5分間ティーチング実践講座」も非常に好評であった。
→詳細はこちら

2017年には内科の基本領域が19に増えますね。総合内科の位置づけも変わってくるのでしょうか。

北野:どの分野も必要な専門領域です。私は総合内科医・救急医ですが、救急外来やICUの患者さんを誰でも診ることができますし、多臓器に渡る複合病態の症例を優先順位をもって判断できるという意味で、総合内科は19領域に入れてもらうべきだと思っています。
 英語でcommitするという言葉があります。Commitに対応する適切な日本語がないので、不謹慎に聞こえるかもしれないですが、私は心不全に1票、肺炎に1票という言い方をしています。心不全かもしれないし、肺炎かもしれないけど、のままでは、治療が進みません。患者さんの問診診察をきちんと行い、「微熱があり、膿性痰がみられる、右下肺野にラ音と浸潤影を認める」のように充分に情報収集をした上で、今回の呼吸困難は肺炎であるとcommitするというように一つづつアセスメントして日々の診療を行っています。そして細菌性肺炎に対して抗生剤で診断的治療を行います。治療に反応して呼吸状態が改善してくれば細菌性肺炎というアセスメントが正しかったということになりますし、改善傾向になければ、最初の細菌性肺炎というcommitを仕切り直します。急性心不全の要素や気管支喘息の要素がないかなどをリアセスメント(再評価)します。初めの肺炎というアセスメントは正しくても、経過中に肺炎→頻脈による心不全、あるいは肺炎→気管支喘息発作の誘発と、主な病態が変わってくることもあります。そのように全体をアセスメントできる総合内科医は、かならず必要です。

絶対に子供を産みたいと思い、妊娠・出産を優先し、一度は諦めたアメリカでの臨床留学。

臨床留学を決意された理由をお聞かせください。

北野:アメリカへの憧れがあったわけではありません(笑)。大阪赤十字病院での経験が大きいですね。3年間、通常業務の他に平均週1回の救急当直があり、私たち研修医がファーストコールを任されていましたが、多臓器にわたる病態でどの臓器別専門科にも割り振れない重症患者さんが多く搬送されてきました。そのような症例に対し、優先順位を決めて、鑑別診断を考えつつ診ることができる医師が必要なのに、そういう医師が少ないと実感したのです。救急部の副部長や上級医に舞鶴市民病院で働いてきた方がおられ、その先生方は優先度を常につけておられ、かつご自分の思考過程をきちんと言語化して研修医に教えられる方でした。下腹部痛の症例で、私が急性腸炎として帰した患者さんについて翌朝プレゼンテーションをすると、「下痢をしていたの」と聞かれたので「下痢はそれほどでもありません」と答えると、「じゃあ、腸炎じゃないよね」と言われ、最終月経や子宮外妊娠の可能性は、など鑑別して尋ねるべきものを常にフィードバックして教えてくださいました。舞鶴市民病院は大リーガー医を招聘している当時の先駆的な病院でしたし、アメリカにはこういう医療があるのだと知りました。だから臨床留学したいと考えたんです。

アメリカへの憧れはなかったのですね。

北野:外国は嫌いでしたね(笑)。学生時代に同級生がUSMLEの勉強会をしていましたが、私にはその気持ちが理解不能でした。私が小学生から高校生ぐらいまでは昭和ですから女子大生亡国論の時代でした。「社会に還元できない女子が大学に行くのは税金の無駄遣いだ」と言われ、医学部に行きたいとうっかり本心を言っただけで各方面からバッシングに遭いました。特に国立大学は学費は払うものの、ほぼ税金で運営されていることを考えると、日本の税金で医学教育を受けたのだから日本に還元しなければならないと思っていました。なのでアメリカで医者をしたいというのは全く理解できないと思っていました。しかし、大阪赤十字病院での救急当直を通じて、必要とされていて不足している分野である、私が手に入れたい総合内科医という領域に関しては、アメリカが進んでいることを知って臨床留学に関して調べ始めました。医師になって1年目から3年目までは消化管出血、気管支喘息発作、気胸、肝性脳症、急性腎不全など典型例をひとつずつマネジメントできるようになることで、自分の急成長を実感できます。しかし4、5年もすると目の前の症例から吸収できる成長が頭打ちになるのを感じ、焦り始める時期がきます。より成長したいと思ったときに見えてきたのが、臨床留学という選択肢でした。

でも、そのときは臨床留学をめざさずに、諦めたのですね。

北野:15年前の私にも、若い人にも人生は計画通りにはいかないものだと言いたいです。医学部に入った人は努力して手に入ったものに慣れているかもしれませんが、計画通りにいかないことが人生なのだと認識しなおした方がいいですね。私は臨床留学の情報収集もかなりしましたし、色々な方に連絡も取りましたが、そのときは悩みぬいた末、断念しました。理由は妊娠、出産を優先させたいと自分で判断したからです。当時は28歳でしたが、USMLEに挑み、マッチングして、レジデントをしていたら30代後半になってしまいます。それまで夫と別居だと出産できないと考えたんです。もちろん、30代後半でもすんなり産める人もいますが、私の娘にも言いたいのは結婚には適齢期はないけど、出産には適齢期があるということです。30代後半から出産しようと試みても授からず、不妊治療を開始しても授からないままの人もいます。どちらを選択するのが正しいということはありませんし、自分で選択して決めないといけません。私は絶対に子どもが欲しいと思いました。結果として、臨床留学はあとから手に入りましたが、そのときは臨床留学という夢が私の人生から永遠に消え去ったという大失恋した気持ちでかなり滅入っていました。本当に哀しかったからこそ、日本でまともな医者になろうという決意も新たになりました。真剣に情報収集し、考え抜いた末に泣いて何かを諦めると、別の分野で一流になろうと思えるものです。真剣に考え、真剣に選択する、自分の選択に言い訳をしない、自分の選んだ選択肢に全力を尽くす、これの繰り返しだと思います。

結果として、臨床留学もなさったわけですが、英語の勉強はどのようにされたのですか。

北野:外国は嫌いでしたし、一度も行ったことはありません(笑)。でも英語の勉強は好きだったので、中学の頃から毎日欠かさず、ラジオ英語講座を聴いていました。中1のときに「基礎英語」から「続基礎英語」と聴いていき、中3の頃には「英会話」が簡単になってきて、毎月のテキストを買わずに、全部ディクテーションしていたんです。ラジオに言われるまま、ぶつぶつと発音の練習をしていたのは良かったですね。留学中も「Yukaの言っていることが分からなくて困ることはない」と言ってもらっていましたし、発音で困ることはありませんでしたね。難しいことやコンプリケーテッドなことは言えなくて困ることもありましたが、言いたいことは、つぎはぎbroken Englishながら(最後までそのままでしたが)、ほぼ言えていました。ただ、私が一番苦労したのは英語耳でした。英語耳は自転車と一緒です。若いときから練習すれば、運動神経が鈍くても自転車に普通に乗れるようになりますが、40歳ではじめて自転車の練習をするのは大変なのと同様です。ですから、人生をもう一度やり直せるとするなら、若い頃に英語耳のトレーニングをしておけばよかったと思いますね。

当時はECFMG certificateの取得にはTOEFLが必須でしたが、私はリスニングも含めてほぼ満点でした。でもTOEFLの英語は、お行儀のいい英語なんです。実際はもっと早口ですし、TOEFLに出題されないアメリカ特有の口語イディオムやスラングが一杯あります。私は耳がどうにもなりませんでしたね。カルテをタイプしているときに「昨日の症例、あの後どうだった」とか、レジデント仲間達がうしろでしゃべっていたとします。そういう時の会話は、超スラング混じりで分からないんです。日本語であれば,電子カルテをタイプしながら耳学問で吸収できるのに、情報量が相当少なくなるのが悔しかったです。コンサルタントとアテンディングが話していてレジデントは横から聞いて理解しないといけない状況の時も、内容面ではなく、言語面で会話の蚊帳の外になってしまい、医学面で分かっていないかのように誤解され悔しい思いをしたこともありました。試合に負けた中学生みたいに悔しくて、帰りの車で泣いてしまったことが何回もあります。

どのように克服されたのですか。

北野:人は話すときは皆、相手につられることに気づきました。私が大きく、ゆっくり話していけば、相手もそうなるので、「つる」コツを覚えました。あと、医療の中身だけは引けを取らないようにPocket Medicine, Sanford, UptoDateなどをこまめに読んで、自分の症例に必要な医学知識をひとつずつ身につけてゆきました。
 弱みがあることはいいこともあります。あるとき、聴覚障害で人工内耳を入れているアメリカ人の看護師さんと仲良くなりました。彼女はアメリカ人ですが、耳が悪いので、私と同様に、まわりの雑談から余分な情報を手に入れることができません。子供の頃からその状況にもかかわらず、勉強して看護師になり、相当努力してきたとのことでした。彼女が「Yukaの気持ちが本当によく分かる。でも、これはぜったいに努力で克服できるから」と言ってくれて、理解しあえる人に出会うのは、嬉しかったですね。今後、臨床留学を目指すに若い人たちに言えることは、文法・語彙力含め日本の英語教育を当たり前のようにこなしてゆくことは必須ですし、論文やUptoDate, Washington Manualが読めないなどは論外です。TOEFLのスコアも十分に取ってください。目的のない語学留学は意味がないなどと学生時代の私のように思わず(笑)、アルバイトしてお金を貯めて、医学生の間に短期留学やワーキングホリデーに行くのもいいと思います。若ければ若いほど耳は順応できます。40代よりは30代、30代よりは20代、20代よりも10代の方が話せるようになるし、聞けるようになるようです。ドラマのDVDもいいですよ。でも、アクションものは戦ってばかりで喋らないし、恋愛ものは会話がベタベタしているので勧めません(笑)。普通のホームドラマがいいです。キャプションの英語を見て、意味が分からなければひたすら調べて理解できるようになっていってください。

ほかにお勧めの勉強法はありますか。

北野:本では『Dr.リトルが教える医学英語スピーキングが素晴らしく上達する方法』がお勧めです。リトル先生はハワイ大学で日本人レジデントに長年、語学指導をしてこられた方で、言語指導だけでなく、医療の中味も分かっていらっしゃる方です。この本では医学英語の中身だけでなく、プレゼンのときはまっすぐ立って話すこと、手をむやみに動かさないこと、右上腹部がと言いながら自分の右上腹部を指すのではなく、言葉で説明すること、手ぶりをするなら腰より高い位置ですることなども教えてくださっています。私はハワイ大学には行かなかったので直接ご指導いただいたことはないですし、私が留学したときにはなかった本です。私の臨床留学の時にこの本があればどんなによかっただろうと思いますね。

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東日本大震災の医療現場に遭遇。基本に立ち返り、問診の重要性を再認識した

帰国後は東北大学病院に勤務され、東日本大震災にも遭遇されたのですね。

北野:個人的には一生、忘れられない経験をしました。私は東北大学病院の正面玄関にいたのですが、立っていられないほどの揺れで、見上げたら7、8階部分が激しく揺れていました。これが崩れてきたら、私の人生は突然、終わるのだなと思いました。死んでも後悔しないように、出勤する前に子どもを怒ったりしないようにしようということも考えましたね。英語の「Don’t walk away angry」です。それがその人と交わす、人生最後の会話になるかもしれないのだから、怒ったまま立ち去らないようにしようということですね。

震災当時の東北大学病院ではどのような医療を行ったのですか。

北野:ガス、水道、電気すべてが止まりました。東北大学病院ですら、簡易トイレに懐中電灯を持って行く状況でした。当然暖房もなく、暗がり・極寒でした。トリアージは超重症の赤、二次救急レベルに相当する黄色、ウォークインの緑に分かれていて、私は黄色のリーダーを務めました。研修医がよく働いてくれましたし、各科の医師もとても協力的でしたね。医療として良かったのは基本に帰れたことです。採血できない、レントゲン撮れない、心電図は電源が切れるまでは取れるという状況の中で、問診・身体所見が最終的に威力を発揮するのだと再認識しました。普段はレントゲンや採血所見につい依存してしまいますが、問診・身体所見を疎かにしてはいけませんね。  例としては、60歳の女性が体育館に逃げていくときに血圧の薬を忘れ、地震3日後に呼吸が苦しくなって来院したことがありました。血圧は200/ ほどで、呼吸音を聴いたら粗いラ音、普段なら心不全疑いでレントゲンを撮影しますが、撮れません。身体所見から掴むしかないのです。聴診上明らかにcoarse cracklesが両下肺野に強くあり、45度にベッドをギャッジアップして頚静脈を見たら怒張を認めます。下腿浮腫も少しあるし、体重は覚えていないということでしたが、起座呼吸もありました。そこで心不全だと判断し、降圧・利尿する方針としました。点滴は本当に必要な患者さんにのみと言われていたので、内服のラシックス・アムロジピンを開始しました。経過を見る過程で、レントゲンは撮れません。頚静脈波形、呼吸状態、聴診で判断します。降圧して利尿がつくにつれ、ラ音も軽快し、患者さんも明らかに呼吸が楽になってこられました。これはほんの一例ですが、私がこれまで身につけてきたもので、ここまでできるのだと思いましたし、研修医にも基本に帰るという意味で非常によい経験になったはずです。ただ、東北大学病院は内陸であり津波は来ていません。沿岸部の病院の先生方は私の想像を超える経験をなさったのだろうと思います。

聖マリアンナ医科大学横浜市西部病院にいらしてからは、どのようなお仕事をなさっているのですか。

北野:救命救急センターで、二次から三次にかけての救急外来を担当していますが、かかりつけの場合は一次の患者さんもなるべく診るようにしています。医療の連続性があった方がいいですから。内容は敗血症性ショック、心不全、脳梗塞、脳出血、多臓器不全、心肺停止、高エネルギー交通外傷、外傷のload & go症例など様々で、私たちも、それから研修医も勉強になっています。研修医とはひたすら一緒に臨床を行っていますが、私たちが取り組んでいるのは育ってきた若手医師にリーダー役をさせ、私たちが監督と雑用をすることです。2年目から4年目の研修医に、へその緒が切れた状態でシミュレーションさせるんです。心肺停止の患者さんが来たときに、私が「気管内挿管ね、ルート取ってね、エピネフリン入れてね」と指示を出していたのでは、負荷がかかるのは私の頭だけです。指示を受けている研修医の頭には負荷がかけられていませんので、「先生が自分しかいないと思ってコードリーダーをやりなさい。私がルートを取るから。先生が抜けていることがあったら言うから」とコードリーダーをさせています。子どもを千尋の谷に突き落とす母の心境です(笑)。

プレゼンはどのように指導なさっていますか。

北野:重症患者さんがICUに入院すると、毎日の回診のときに若手医師にあえてプレゼンをさせています。「65歳男性、もともとCOPDがある、今回は呼吸不全で来られました。鑑別診断としては…」などと言わせると、若手医師がどれだけ分かっているのかが手に取るように理解できます。そこで、「本当にCOPD急性増悪でいいの」とか、「COPD急性増悪のマネジメントを言ってごらん」などを聞くようにしています。これはベッドサイド5分間ティーチングというもので、一般論を教え、分かっているのか言語化させ、分かっていなかったら一つずつ教えるという教育で、毎日行っています。

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「必要としてくれている患者がいる」ことが総合内科医の遣り甲斐

総合内科医としての遣り甲斐はどんなことにありますか。

北野:遣り甲斐は必要としてくださっている患者さんがいることです。大阪赤十字病院時代に総合内科医を志したのは私がやりたいというよりも、一般病棟で急変された方や、救急搬送でいらした方など、総合内科能力が必要とされる患者さんが実際に数多くいたからです。各臓器の知識は専門医には敵いませんが、すべての分野に関して8割、9割のことを分かっているという意味でなくてはならない専門性だと私は思います。一方で、日本ではまだ総合内科医は比較的、不足しています。最近は各地方に広がってきましたし、どの地域にも頑張っておられる先生方がいて、ネットワークもありますので、私たちも成長していけます。今後、もしたとえば神経内科に進むことが決まっていたとしても、神経内科で入院している患者さんが熱を出したり、ヘモグロビンが下がってきたりすることがあります。そんなときに総合内科の知識が必須です。どの専門科に行っても、総合内科で働いた3カ月、4カ月で得た知識は患者さんの役に立ちます。総合内科医を最終的にめざすのでなくてもぜひ、総合内科ローテーションで成長して専門科に進んでくれれば嬉しいです。

夕方にはどうあっても帰らなくてはならないということは、集中して必死に働くということ

ご家庭との両立は大変ではないですか。

北野:忙しいですが、不幸ではないですね。幸せです。男性医師の中には出産は関係ないと思っている方もいるようですが、そんな方も子どもを産んだ人の上司になるわけですから、理解してほしいことがあります。出産したら、時間の制限はありますが、大脳新皮質が胎盤に置換されるわけではありません(笑)。朝、出勤して、トイレに行く時間もなく一気に働いても、夕方には保育園に迎えに行くために走って帰らないといけないというだけです。二流の仕事をしているわけではありません。問診して、きちんと診察して、カルテを書いて、アセスメントして、方針を立てて実行に移し、申し送りして、きちんとした医療を行っています。私たちが研修医の頃のように、医師がずっと病院にいるのは医師の頭が働かなくなりますから、患者さんのためにもならないんです。出産したら戦線離脱なのではありません。わかりやすい比喩としては、開業医の子息である卒後5年目の有能な医師がいたとします。その医師のお父様が体調を崩され、お父様の診療所の夜診を連日しなくてはならなくなったというのと同じ状況だと考えてもらえばよいです。別の仕事が待っているから、夕方は定刻に絶対に走って帰らないといけないのですが、能力として落ちるわけではない、というふうに扱っていただけるのが一番いいですね。

両立にあたっての大事なことはどんなことでしょうか。

北野:勤務時間内にどれだけ必死に働くかでしょうか。疑問点は勤務時間内に調べないと一生調べません。知らないことを日々Pocket Medicine, Sanford, UptoDate, 各種ガイドラインで調べ、それを回診のときに共有しあって、救命救急センター全体としての知識の底上げを図っています。

ご主人の協力も不可欠ですね。

北野:同じぐらい仕事に真剣で、同じぐらい親業にも真剣な人が有り難いですから、夫には感謝しています。忙しい人ほど、「親業」と「家事業」は分けて考えた方がいいですね。「家事業」とは掃除、洗濯、皿洗いを指しますが、いくらでも手を抜いていいんです。先日も子供が「この体操着、3日目で臭いんだけど」と言ってきましたが、「それを着といて。体育の時間、なるべく友達に近寄らないように!」と送り出しました(笑)。でも、「親業」は手を抜いたらいけません。夜8時や9時に「今日の救急外来はきつかった」とふらふらになって帰宅し、ドアを開けた瞬間に子どもたちは、「聞いて聞いて!」「お母さん、今日ね、学校でね!!」「抱っこ!抱っこ!」と走ってきます。「お母さん、疲れてるから後にして」と言ってしまったら、それは「親業」をサボりすぎです。子どもは育ちません。帰りの電車の中で血糖値を上げて、「お母さん、帰ってきたよー」と笑顔で帰宅します。小さい子は膝の上に載せたり、抱っこしたり、大きい子には「今日は学校どうだった?」「今日はリレー、2組に勝った?」「それでそれで?」「お友達に渡すって作ってたもの、渡した?喜んでくれた?」と話したりします。この「親業」さえきちんとやれば、子どもはまともに育ちます。 料理は食育という意味で、家事業と親業の間にあるものですね。私は食育も考えていきたいので、加工食品はなるべく使いません。材料から調理した安全な食事は努力していますが、一汁一菜で明治時代のような食事ですね。安全でおいしい、極めて質素な食卓です。コロッケ?ロールキャベツ?そんな面倒なもの作りません(笑)。

自分しかいないつもりで毎日を過ごし、貪欲に症例に当たれ

初期研修医にメッセージをお願いします。

北野:初期研修の2年間は指導医のお手伝いではありません。自分が決めないといけないという切迫感を持ってください。指導医の中には「こうしようと思いますが、いかがでしょうか」と尋ねられることが好きでない人がいるかもしれませんが、そんなときでも「抗生剤はセファゾリンにしよう。根拠は、量は、体重は、腎機能は…」と調べていけば、自分が独り立ちするまでに何が不足しているかが歴然と分かるようになってきます。自分しかいないつもりで毎日を過ごしましょう。貪欲に症例に当たることも大切です。研修医の腰が引けていると指導医も面倒くさくなって自分でやってしまおうという気になるので、指導医を十分に手伝い、かつ、患者さんとお話ししてコミュニケーションを取り、主治医として患者さんの病態を一番把握しているのは自分なのだという2年間にしてください。症例にあまり当たっていないと伸びません。症例に多く自らあたっているかの要素が9割で、残りの1割はいい指導があるかどうかです。スポーツで言えば、コーチがいないから今日は練習しないというのはありえないですよね。本当は良くないことですが、我流でも必死になって、自分の患者さんの訴えをよく聞き、身体所見を繰り返し取り、バイタル・採血・画像・モニター・尿量を前に悩みつづけていれば、疑問点もわかり、臨床の感触が自然に身についていきます。そこで指導医が良い一般論を教えると、研修医が成長するのです。そこまで来ていない人に一般論を教えても、浸透していきません。

患者さんにどのようにお話をすればいいですか。

北野:研修医時代の自分自身に言いたいことでもあるのですが、患者さんは10年もの付き合いのある指導医から外来で問診・診察され、検査されて入院していたりします。そこへ1年目の研修医が行って、「すみません。お話をもう一度」と言うのは患者さんに申し訳ない気が、私自身していました。若い先生方にも、15年前の自分にも言いたいことは、それでも積極的に問診や診察をしてください。なぜなら、夜に急変されたときに、もとがどんな状態だったのかを理解していないとその急変に自ら対応できないから、つまりは患者さんのためにならないからです。患者さんの目を見て、「入院されている間、主治医となります○○と申します。外来で△△先生が伺っているので申し訳ありませんが、今後、具合が悪くなられたときに、私が気づけないといけませんので、もう一度、問診と診察をさせてください」ときちんと言って、貪欲に問診と診察にあたってほしいです。自分の主治医でない患者さんでも、陽性所見がある方は、診察させていただいてください。申し訳ない気持ちは分かります。私も「こんなに重症なのに、主治医チームでもない1年目の研修医が診察しに来たら嫌だろうなあ」と思っていました。でも、そこで診察させていただかないと成長しないのです。患者さんの良いタイミングを見計らい(検査直後・リハビリ直後でしんどい時は避ける等)、礼儀正しく自己紹介をして「○○と申します。今後のために心臓の音を聴かせてください。宜しいでしょうか」と言いましょう。その際、手を温めること、聴診器を温めること、カーテンを閉めることなどの気配りも当然のこととして行いつつ、今後自分が診る患者さんのために、謙虚に貪欲に診察し続けてください。
 医師自身が患者になることもいい経験ですね。私は妊娠出産後の入院したときに、3交代の看護師さんが「看護師 交代しました」と1日に3回、回診に来られる経験をしました。そのときに軽い問診と世間話だけで出て行く方もあれば、「出産○日目ですね」と言って、もくもくと乳房や出血量、子宮の収縮、足の腫れをチェックしていく方もいました。自分の担当の8時間の責任をきちんと持つという意味で、引継ぎのときにきちんと診察して行かれるのはプロとしてさすがだなと感じました。また、患者の立場からみても、「同じ診察何回されるんだろう」とは意外に全く感じないものだな、むしろ安心感と感謝のほうが大きい、というのを再認識しました。研修医の先生たちも同じように「私が主治医です」と自信と責任感を持って、気後れせずにベッドサイドに行ってください。患者さんはちゃんと認めてくれています。

総合内科は今後伸びてくる分野。高齢化社会でニーズは大きくなってくる

診療科の選択に迷っている研修医にアドバイスをお願いします。

北野:どの診療科も必要な診療科なのだと言いたいです。私は総合内科医・救急医ですが、総合内科医だけではどうにもならないですし、専門科が必要なのです。同時に、専門科だけでもどうにもならないので、総合内科医も不可欠です。「どの診療科がいいでしょう」ということではなく、自分がどのレンガになりたいのかということではないでしょうか。その中で、総合内科・救急は今後、伸びてくる分野ですし、高齢社会に伴ってニーズのある分野です。是非共に成長できる仲間が増えることを期待しています。

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