インタビューが繋ぐ全国で活躍する女性医師


日本赤十字社 医療事業推進本部長 富田博樹先生 /葛飾赤十字産院院長 三石知左子先生

富田博樹先生 略歴

1973年
東京医科歯科大学を卒業
1974年
9月まで武蔵野赤十字病院脳神経外科 勤務
1977年
New York Universityに脳神経外科レジデントとして留学
1979年
東京医科歯科大学脳神経外科助手 就任
1980年
武蔵野赤十字病院脳神経外科副部長 就任
1982年
東京医科歯科大学脳神経外科助手
1984年
武蔵野赤十字病院脳神経外科副部長 就任
1994年
武蔵野赤十字病院救急部部長
1999年
武蔵野赤十字病院脳神経外科部長 就任
2007年
武蔵野赤十字病院副院長 就任
2008年
武蔵野赤十字病院院長 就任
2012年
日本赤十字社事業局長 就任
2016年
日本赤十字社医療事業推進本部本部長 就任

三石知左子先生 略歴

1982年
札幌医科大学を卒業
東京女子医科大学小児科学教室 入局
1987年
東京女子医科大学母子総合医療センター小児保健部門 勤務
1993年
医学博士号 取得
1994年
東京女子医科大学母子総合医療センター小児保健部門講師 就任
1999年
葛飾赤十字産院に副院長 就任
東京女子医科大学非常勤講師 兼任
2006年
葛飾赤十字産院院長 就任

日本赤十字社グループについて

田博樹 先生

日本赤十字社 医療事業推進本部長
日本赤十字社グループでは、研修医に対して教育力が非常に高く、臨床の能力を高める研修の場を豊富に用意しています。
医学部を卒業する方の3割以上が女性となっている現在、日本赤十字社グループでは男性女性に関わりなく、同じようにチャンスを与えています。 その方たちがいかに医師としてフルに活躍するかが、これからの日本の医療を大きく左右するでしょう。
病院によって、得意分野がそれぞれありますから、 その得意分野を学びたい人はほかの赤十字病院に期間を決めて研修に行くことが非常に頻繁に行われています。 徳島の赤十字から東京の赤十字に行くこともあれば、逆もあります。非常に広い範囲でチョイスできます。

石知左子 先生

葛飾赤十字産院院長
日本赤十字社グループでは富田先生がおっしゃられたとおり、本当にやる気のある人には活躍の場がきちんと用意されている職場です。
都心の赤十字病院で研修していても、同じ赤十字グループの地方の病院で地域医療を学ぶこともできます。 赤十字グループの病院は大都市の基幹病院サイズの病院から地方の地域医療を支えるサイズの病院まで多様に揃っていますし、 院長同士もお互いに顔を知っていますから、富田本部長のもとでグループとしてのまとまりがあります。一つの病院ではなく、 赤十字全体の中で研修ができるというふうに考えていただくことが可能だと思います。

インタビュー

Q1三石先生は赤十字病院初の女性院長でいらっしゃるんですよね。

三石正確に言うと2番目なんですが、現役の女性院長は私だけなので、初で良いです(笑)。
前任の院長が辞めるときに「このあと、宜しくね」と言われたのですが、そのときは私はとても院長の器ではないと思いましたから、 私も一緒に辞めますと申し上げました。葛飾は産科と小児科だけで113床の病院ですが、働いている職員とその背後の家族は500人ぐらいいるわけです。 それを私が背負うのは荷が重いですし、副院長と院長では見える景色が違うし、すべき仕事や責任も違うので、最初はお断りしたんです。 最終的に受けざるをえない状況になりましたから、腹くくるしかないと思いました。 優秀なスタッフや仲間がいたので、彼ら彼女らに仕事をしてもらって、最終的な責任は私が取ろうと考えたので、お受けしたんです。
富田私も武蔵野赤十字病院で副院長を経て、院長になりましたが、やはり副院長と院長とでは大違いですね。院長は最終決断者なんです。 色々な意見を周りが言ってくれても、最終的に決断するのは院長だし、責任も全て背負わないといけないので、決断の重さが大変な重さなんです。
三石おっしゃる通りです。私も富田先生と全く同じで、ああだと言われたり、 こうだと言われたりする中で、どうしたら良いのかとなると、自分がこうすると決めるしかありませんが、その決めたことが良かったのか、 悪かったのかとやはり悩みますね。でも、良かったことにするように努力すれば良いと思って、ゴリゴリ押しています。

Q2三石先生がこれまでに刺激や影響を受けた医師の方についてお聞かせいただけますか?

三石私が大学にいたときの直属の上司は女性の教授で、子育てもして、仕事もしてという方でした。 明るくて、物事に対して前向きに取り組むけれども、大らかであっけらかんとしたところもあって、肩肘張っていないところがすごく素敵な先生でした。 私もその先生みたいになりたいと思いました。
その先生は教授をお辞めになったあとで、愛育病院の院長をされていました。私が大学で働いているときに、 これから先はどうしようと考えていたのですが、そこへ当時の葛飾赤十字産院の院長から副院長として来てほしいと言われたんです。その頃は40代前半で、 病院の管理や運営などは全く仕事の範疇になかったものですから、どうしようと愛育病院に相談に行きました。そうしたら、「いいチャンスだからやりなさい」 と背中を押してくださって、力づけてくださったんです。「あの先生がこんなふうになさってきたんだから、私にもどうにかできるんじゃないかな」 と思うことができましたね。
正直、小児科を選んだのは消去法です(笑)。こう見えても、私は小さい頃は病弱で、よく小児科に行っていました。 小児科には素敵な先生方が何人かいらっしゃったので、そこで憧れた気持ちが心の底にはあったのだと思います。実際に大学に進学し、色々な科を見る中で、高齢者は治らないとか、 激務だとか、次々に消していったら小児科が残ったんです。私は神経に興味があったのですが、あの頃は大人の神経は治りませんでしたよね。 大人の神経内科は診断をつけて、おしまいでした。 そこで先の見えるものはないかとご相談した先生から「女子医大がいいんじゃない」と勧められたんです。
私の母校である札幌医大は今と違って、当時はほとんどが北海道出身者でした。1割ぐらいが東京などから来ますが、卒業後はほぼ皆が北海道に残ります。
私としては卒業後にそのまま母校に残るのが嫌だったので、2年ぐらいは東京に出たいと親に頼みました。それで田舎から出てきたネズミのように女子医大に行ったんです(笑)。女子医大で目から鱗だったのは女性だけで医局をやっていることでした。男性医師は少数で、医局長も何もかもほとんど女性で、当直も女性です。 当時の札幌医大は小児科も非常に優秀でしたが、女性はいらないという噂もあるほどでした。どこの大学も似たような状況だったと思います。 それが女子医大では男性も女性も関係ない働き方でしたので、最初に入局したところがそんな場所だったのは良かったです。私にとっては良い初期研修でした。 子育てしながら働く女性が多くいるというのは母校にはなかったことでしたからね。

Q3先生ご自身の子育てとの両立についてお聞かせいただけますか?

三石夫は女性が働くことにとても積極的で、経済的にも女性は自立した方が良いと言っていました。 女性が働くと、男性はお小遣いを好きに使えますしね。でも、夫は今の若い人たちとは世代が違うからか、子どもの面倒についてはあまり協力的ではなかったです。 ただ、姑と同居でしたので、何かあると手伝ってもらっていました。 女性だけの子どもではないのだから、子育ては夫婦がきちんと協力すべきだと思います。子どもは保育園に預けていましたが、 延長保育のないところでしたので、病院の看護助手の人たちの勤務後に迎えに行ってもらい、私か夫か母かの誰かが帰ってくるまでの間、 子どもを見てもらったこともありました。大学の給料は安いのに、ほとんどがシッター代などの保育費で消えました。 今の若い先生方も働いたお金が保育費でどんどん消えていくので、何のために働いているのか分からないと言っていますが、仕事を続けることが大事なんです。 今の方がそれでも手元に残るお金は多いのではないでしょうか。働くことで、社会的にも経済的にももう少し豊かになればと思いますが、 そんなこんなで仕事を続けて来られたのは良かったです。
富田苦労されたんですね。私はてっきりご主人が協力なさっていたのかと思っていました。
三石いえ全く。子どもが6カ月ぐらいの時でしょうか、夫婦で出かけたときに、 私が子どもを抱っこして夫は手ぶらなんです。 私が抱っこしてと頼んだら、嫌だと。どうしてと聞いたら、「重いから」ですって。最低でしょ。離婚しようかと思いました(笑)。
富田これはカットですね(笑)。
三石だけど、どうにか続きましたけど(笑)。

Q4若い先生方の意識は変わりましたが、医療機関側の体制も変わってきたと感じますか?

三石意識としてはもっと変えないといけないですよね。 そこで、院長が集まってイクボス宣言をしていただいたんです。頑張ろうという方向性ではあっても、やはり濃淡がありますから、 色々なところでそういう話に触れていくことが必要です。赤十字の院長のみならず、どこもトップが知っておかないといけないし、一つでも二つでも実行することで、 病院の勝ち組負け組が出てきます。赤十字全体で勝ち組になるには院長に自分はイクボスだと宣言してもらう必要があるし、その自覚を持っていただくことが大事です。
富田働き方改革の流れの中で、病院も労基に対して苦しんでいますが、 長い目で見れば、医師といえども家庭を見て、家庭の仕事もできて、シフト制で働けるといった時代になってくるでしょう。 そういう時代になっていけば、女性は男性と全く同じ働き方ができるようになりますね。

Q5新専門医制度が動き出し、キャリアパスに悩む女性医師も増えてくると思います。赤十字病院グループとしてはどのような支援をお考えですか?

富田女性医師が活躍する領域はかなり広がってきましたから、支援は必要ですね。どの病院も麻酔科は半分ぐらいが女性ではないでしょうか。 生活のリズムが比較的作りやすい診療科に女性医師が集まります。

Q6日本赤十字グループでの福利厚生や働きやすさについてお聞かせいただけますか?

三石日赤全体とすれば、社会保障は手厚いです。産前産後休暇もきちんと取れますし、育児休暇も3年は可能です。 それは医師に限らず、全ての職員が取れますから、良いですね。富田先生もよくおっしゃることですが、看護職を中心に育児休暇中の職員が非常に多く、 赤十字グループ全体で出生率が上がっています。厚生労働省から少子化対策で表彰されてもいいぐらいだと冗談で話しているぐらいです。 こういう制度が充実してから、職員の離職率も大幅に下がりましたね。1人産んで戻ってきて、2人産んで戻ってきてという感じで、皆で頑張っています。
富田女性が働きやすい職場を作ると、永続性が高くなります。女性が働きにくい職場はこれから生き残っていくのが難しくなるのではないでしょうか。
三石葛飾の産婦人科は9人の医師がいて、7人が女性医師なんです。そのうちの5人が子持ちです。 産婦人科の男性の先生方と独身の女性の先生方の協力ももちろんありますが、本人たちも子どもを育てながら、 平日の当直が無理なら休日や土曜日にするなど、お互いに協力し合っています。最初は1人、2人だったのが、そういう協力体制があるので、増えてきましたね。 産婦人科は副院長が中心になっていますが、彼は子持ちの女性医師に対して優しく、カバーもしますし、協力的なんです。 そういう意識が滲み出ているので、他の病院で働くのは大変だけど、葛飾なら働けるといった話を聞いたことがあります。
富田私が現役の頃にはワーク・ライフ・バランスは全くありませんでした(笑)。 仕事だけでしたが、これからは医師の3割が女性ですから、その人たちが上手に働ける環境を作っていかなくてはいけません。女性が「これは女性だから当然の権利なんです」というような態度を取っていると残念ながら職場では受け入れられませんが、 やれるだけのことをやっているなとお互いが認めながらカバーし合えれば、その職場はおそらく安定するでしょう。
三石私も子育てで本当に忙しかったときは家に帰れば家事の「ワーク」でした(笑)。 そういう意味では自分のプライベートを楽しむことはなかったのですが、それでは良くないと思いますし、若い先生方には若いうちからオンとオフをきちんと分けてほしいですね。 その方が仕事の時間がきちんと決まりますから、効率よく仕事ができるはずです。何かに打ち込むという時期があっても良いという意見も分かりますが、 それで身体を壊しても困るし、病院に長い時間いればいいというわけでもありません。どうやって過ごすか、中身の充実の問題だと思います。

Q7これまでのキャリアの中で、印象に残っていることをお聞かせいただけますか?

富田私は脳神経外科医だったので、それこそ生きるか死ぬかの世界を生きてきましたから、 命が助かって感謝してくださる患者さんたちが今でも手紙をくださったり、現状を報告してくださるのは遣り甲斐を感じますね。
三石私は大学にいたときも今もすごく小さく未熟児で生まれた赤ちゃんがNICUを退院したあと、 どういうふうに大きくなるか、いわゆるハイリスクの赤ちゃんをフォローする仕事をずっとしてきました。 葛飾に移って、看護職の採用試験をしていたら、ある看護大の学生さんが来たんです。 助産師志望の学生が多いので、「あなたはどうして助産師になろうと思ったの」と聞いたら、「私は未熟児で産まれたんです」と言うんですね。 それでおもむろに名前を見たら、「ああ、あなたマイちゃん」って。私が大学にいたときにフォローしていた子どもだったんです。 本人は多分、親から話を聞いていたのでしょうが、小さいときから見ていた子どもが大学生として目の前にいて、入職を希望しているなんてことはもうないでしょうから、 その場で「あなたを採用する」と言ってしまいました。事務部長に止められましたが。でも、とても良い子で、何年か葛飾で働いてくれました。本人は淡々としていましたが、 私は感激してしまって、小児科医冥利に尽きるなと思いましたね。内科だと、将来、患者さんと一緒に働く可能性はないでしょう。 だから本当に医師として仕事をしてきた中で一番嬉しかったです。診ていた子と同じ病院で一緒に働けたんですから。
富田私も500グラム、600グラムで産まれた子どもを何とか治して、大きくなってもずっと通ってきてもらって、だんだん大きくなるのを見るのは嬉しいですよね。 成人して、結婚式の写真を送ってくれたときは本当に嬉しかったです。医師冥利に尽きます。

Q8三石先生の1日をお聞かせいただけますか?

三石1日のうち、午前か、午後のどちらかは外来勤務が入っています。 午前中が外来だと、午後は会議だったり、午後に外来だと、午前中は打ち合わせだったりなど、会議や外来で1日が終わります。 1日の半分は患者さんと過ごしていますね。富田先生がいらした武蔵野のような大きな病院だと、 外来は週に1回あるかないかぐらいなのでしょうが、葛飾は医師の数が少なく、私が外来に出ないと、医師が足りないので働いています。
私は小児科医ですが、外来に来る80%の子どもが3歳未満なんです。お母さんも色々な意味で初心者ですから、 できるだけ「優しく、分かりやすく」を自分にいいきかせて診療しています。大学病院にいたときの方が性格はきつかったですね。今は随分、穏やかになりました(笑)。 予防接種の普及で、小児科の病気は減ってきており、ちょっとした風邪や育児相談のようなことも多く、「こんなことで病院に来ていいのかしら」と遠慮されながら受診する、 モンスターペアレンツとは逆のお母さんも少なくありません。 でも、そういう育児の不安やちょっとした病気に対してのケアをきちんと指導させていただくのは小児科医の重要な仕事ですから、 「どうぞ遠慮しないで来てください」というお話も申し上げています。

Q9忙しい合間のプライベートについてお聞かせいただけますか?

三石私は俳句を作っています。医師は結局、医師しか友達がいなかったりしますが、 俳句だと全く違う業種の方と同じ座で同等に優劣を競いますから、楽しいです。最近は夏井いつきさんの「プレバト」が人気で、 俳句を身近に感じてくださる方が増えてきました。俳句をすると、言葉や季節に対して神経が研ぎ澄まされるので、それが良い気分転換になります。
富田私は映画を観に行くのが趣味です。最近は「アベンジャーズ」を観ましたが、その前に観た「スリー・ビルボード」も面白かったですね。

Q10では最後に若手医師の方々にメッセージをお願いします。

富田日本赤十字グループは症例が豊富な病院が多く、指導に熱心な指導医が揃っています。 若いうちの初期臨床研修には最適な環境ですし、チャンスに恵まれる病院だと思います。
三石イクボス宣言もしましたし、日赤にはワーク・ライフ・バランスに対しての考え方が進んでいる院長が多くいますので、 そういう点を評価して選んでいただければ嬉しいです。独自の災害救護や離島への巡回診療などの経験は赤十字でないとできません。その意味ではほかにない特徴を持っていますから、そこにも魅力を感じていただければと思います。 私も熊本地震の際には災害救護で伺い、非常に貴重な経験をさせていただきました。

病院アピール

母と子の笑顔ために
葛飾赤十字産院は、母と子にやさしい病院を目指しています。

概要

名称 葛飾赤十字産院
院長 三石知左子
診療科目 産婦人科・小児科
許可病床数 113床
産婦人科:68床
NICU・GCU等:45床
一般病棟入院基本料 7対1入院基本料
東京都地域周産期母子医療センタ-認定 平成9年10月
敷地面積 3,798.99m2
建物延面積 6,136m2(地下1階地上5階)
所在地 〒124-0012 東京都葛飾区立石5-11-12
電話 03-3693-5211

診療体制

診療科目

産婦人科・小児科

◆ 採用情報【医師】:葛飾赤十字病院  |  ◇ 採用情報 【医師】:日本赤十字社 |  ◇ 日本赤十字社の医師臨床研修 |  ◇ 子育てをサポートしています。 |  ◇女性活躍推進法に関する情報公開

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