【出演番組一部抜粋】
国際報道番組「キャッチ!世界のトップニュース」
【ジャパンハート 主なメディア出演】
情熱大陸、グッと!地球便、カンブリア宮殿、世界を変える100人の日本人!など。
今回は【国際医療NGOジャパンハート副理事長 感染症内科・総合診療科】の神白 麻衣子 先生のインタビューです!
テーマは 第3回「日本の常識が通じないことはよくありました。」をお話しいただきます。
目次
2. 沖縄の経験があったのでカルチャーショックはなかったそうですが、実際に働いてみて、いかがでしたか。
3. その後、長崎大学にいらっしゃいましたね。
4. 専門性を身につけようと考えられたのですね。
5. 2011年にジャパンハートの理事に就任されました。
プロフィール
名 前:
病院名:
ジャパンハートアジア小児医療センター(カンボジア)
所 属:
所属学会:
日本感染症学会
日本プライマリケア連合学会
資 格:
・内科学会総合内科専門医
・プライマリケア認定医
・感染症学会専門医
・厚生労働省認定臨床研修指導医
経 歴:
1999年 千葉大学医学部を卒業する。
2007年 沖縄県で地域医療に従事する。
その後ジャパンハートのボランティア医師として「ミャンマー・カンボジア」の活動に参加する。
2009年 タイ マヒドン大学熱帯医学ディプロマコース(6ヶ月)を修了する
2010年 長崎大学病院熱研内科に所属し、熱帯医学・感染症・呼吸器診療、医学生・研修医教育に従事する。
2011年 5月にジャパンハートの理事に就任する。
2016年 5月にジャパンハートがカンボジアに設立した病院で長期ボランティア・スタッフ医師として活動する。
2018年 ジャパンハートこども医療センター院長(現ジャパンハート医療センター)に就任する。
※カンボジア病院事業責任者を兼任する。
━━ 沖縄の経験があったのでカルチャーショックはなかったそうですが、実際に働いてみて、いかがでしたか。
最初に行ったときの感想として、熱帯だから熱帯病ばかりあるのかなと思っていたのですが、意外とそうではありませんでした。もちろん日本で診ないような病気もありましたが、日本で診るような病気の人も大勢いました。それから、受診するのが遅く、症状が進んでから訪れる人も多くいたことに驚きました。日本であれば腫瘍が小さいうちに受診されますが、「これほどになってから来るのか」と、放置していたらこんなふうになるのだと感じることがよくありました。熱帯だから熱帯の勉強をしていかないと役に立たないかなと思っていたのですが、普通の医師の勉強でも役に立つんだと知りました。一方で、暮らしている環境は人それぞれなので、日本の常識が通じないことはよくありました。治療薬にしても、出すことはできるのですが、「家庭での生活は何に気をつければいいか」「水道水も濁っていて綺麗ではないので、飲み水で洗ってください」など、家での生活を想像して、それをもとに家庭療養を指導することは難しかったです。
━━ その後、長崎大学にいらっしゃいましたね。
学生時代から長崎大学には熱帯医学研究所という研究所があるんだなと少し興味を持っていましたが、学生時代はただ知っていただけでした。沖縄で勤務していた最後の1年に、なぜか分からないのですが、その熱帯医学研究所の熱研内科(感染症内科)の先生方が中部病院を訪問され、教授が熱帯医学とは何かという講演をしてくださり、私もその講演を聞き、とても感動しました。当時の中部病院の先生は私がミャンマーに行き来していることを知っていたので、その教授に会わせてくれて、懇親会にも足を運び、お話をさせていただいた際に「いつか熱研内科に見学に行かせてください」と相談しました。そして、本当に見学に行ったのですが、今からすれば人手不足で勧誘されたのでしょうが、「来ないか」と言っていただいたんです。そのときはミャンマーに行くことが決まっていましたし、その翌年はミャンマーに1年間、常駐することも決まっていたので、お断りしたんですね。その後3年ほど経ったときにやはりもう少し日本で感染症を勉強したくなり、長崎大学の教授が「熱研内科は診療と海外活動、診療と研究を両立させる人たちを集めている。そういう人たちが何人もいれば、交代で診療もできるし、海外に出ることもできる。そういう医局を目指している」とおっしゃったことを思い出しました。長崎大学なら感染症も診ることができるし、熱帯医学の勉強も続けられるので、長崎大学にお世話になることにしました。
━━ 専門性を身につけようと考えられたのですね。
そうですね。沖縄にいる間はずっと地域医療をやっていたので、専門性があるかと言われると「うーん」という感じでした。プライマリケア医の意味は分かりづらいですし、専門性がないことが専門みたいなイメージでしたので、ボランティアをしていて、やはり専門性をある程度、身につけたほうがいいなと考えていました。それに、ジャパンハートは外科手術がかなり多かったので、外科にも興味があり、外科を勉強したいとも思ったのですが、既に36歳ぐらいでしたし、そこから外科医を目指すのは難しいので、感染症を選びました。卒後12年目で初めて大学医局を経験しました。2010年から2016年までの6年間在籍しましたが、最後の1年半ほどは熱研内科にいながら、そこと並行して医療教育開発センターの教員もして、研修医教育にも携わりました。
━━ 2011年にジャパンハートの理事に就任されました。
私は2010年に日本に帰り、長崎大学に勤務することになりましたが、ジャパンハートの活動にはときどきオンラインなどで参加していました。そして2011年にジャパンハートがNPOの認定を受けるにあたり、理事が5人必要になったのですが、人数が足りなかったようで、吉岡先生に「長崎からオンラインで理事会に参加する形でいいので、理事になってくれないか」と頼まれ、理事になりました。毎月の理事会には全てオンラインで参加していました。年に1回の総会には直接、顔を出していましたが、それ以外はオンラインでの活動でした。