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プロフェッショナルインタビュー 2026-03-24

第1回「自分に何ができるのかという気持ちになりました。」大阪赤十字病院 看護部 川瀨 佐知子 看護係長

話題沸騰!数々の人気番組に出演している医師たちが語る 「キャリア」「信念」「未来」そのすべてに迫るインタビュー! どのようにしてスキルを高め、逆境を乗り越えてきたのか?日常の葛藤、医師としての信条、そして描く未来のビジョンとは――。

【出演番組一部抜粋】
・news every (TV)
・読売新聞オンライン 大阪・関西万博特集(記事)
・FNN プライムオンライン(記事)

今回は【大阪赤十字病院 看護部】の川瀨 佐知子 看護係長のインタビューです!

テーマは 第1回「自分に何ができるのかという気持ちになりました。」をお話しいただきます。

目次

プロフィール

名 前:

川瀨(かわせ)佐知子(さちこ)

病院名:

大阪赤十字病院

所 属:

看護部 看護係長
先生の写真
先生の写真

経 歴:

1978年に大阪府大阪市で生まれる。
2000年に大阪赤十字看護専門学校を卒業後、大阪赤十字病院に勤務する。
2006年に大阪赤十字病院を退職し、バックパッカーとなる。
2007年に大阪赤十字病院に復職する。
2008年に日本赤十字社国際医療救援要員として登録する。
2009年に日本赤十字社の国際救護要員として、ジンバブエでのコレラ流行に対する医療支援、バングラデシュのサイクロンシドゥル復興支援を行う。
2010年、2011年にハイチの大地震後の緊急医療支援、復興支援を行う。
2014年にロンドン大学衛生熱帯医学大学院を修了する。
2015年にネパールの大地震後の初期アセスメント、緊急救援活動を行う。
2017年、2018年、2019年にバングラデシュでの避難民支援事業に携わる。
2022年7月からパレスチナ・ガザ地区へのリモート支援を行う。
2023年7月3日から11月5日までガザ地区のアルクッズ病院で医療支援事業を行う。帰国後は大阪赤十字病院に勤務する。
2025年4月から9月までジュネーブの国際赤十字・赤新月社連盟本部で勤務する。
2025年10月から大阪赤十字病院に勤務する。

━━ ガザ地区での医療支援を始められたきっかけはどのようなものでしたか。

 新型コロナウイルス感染症の感染拡大により、海外に派遣されていた人たちも戻ってきましたし、現地で活動する機会がかなり限られ、ほとんどなくなってしまいました。私は海外の病院で緊急支援として一時的に働いたことはあったのですが、もともとそこにある病院という施設の中で医療者として働いた経験があまりなかったので、ガザ地区の病院を支援するという声をかけていただいたときに、これは私にとっても貴重な経験になると思いました。リモートでしたし、現地の情勢に影響を受けることもなかったこともあり、そのご依頼をお受けしました。

━━ リモートでどのような活動をされたのですか。

 ガザ地区にあるアルクッズ病院の医療支援です。看護手順書の作成、ワークショップの開催、看護技術のOJTが主な内容でした。週に1回、オンラインで顔を合わせてお話をするのですが、やはり現状をつかむことは難しかったです。ある事業が進んでいないと聞いても、なぜ進んでいないのかという状況を把握しにくいんです。現地に行けば色々な状況が見えてくるのですぐに分かることでも、オンラインですと「何で」となります。そんな中で、「先週、衝突があって、何人が負傷して」というガザの状況を聞くと、自分に何ができるのかという気持ちになりました。週に1回のオンラインで話を聞いたところで、「大変だったね」ぐらいしか言えないので、オンラインの機会が進めば進むほどに何とか現地に行けないかなという思いが少しずつ芽生えてきて、1年後に何とか行けることになったときには「ああ、やっと行ける」という思いになっていました。

━━ 現地にいらっしゃったときには新型コロナウイルスの影響はまだありましたか。

 現地に行ったのは2023年でしたので、コロナ禍はほぼ終わっていました。ほかの国々でもコロナの影響は一旦落ち着き、現地での事業が再開していたのですが、ガザだけは治安の情勢不安があったので、事業が再開していなかったんです。でも5月から6月にかけて最後の現地調査があり、事業の再開に至りました。日赤としては7月から再開という形でしたが、赤十字国際委員会(ICRC)はそもそもずっと現地で活動していますので、何かあればICRCの安全管理のもとで活動するという環境でした。

先生の写真

ガザ地区到着直後のチーム写真


━━ ガザ地区での医療支援の目的は医療サービスの質の向上ですか。

 そうです。もともとパレスチナ赤新月社が運営する病院がガザ地区の中にいくつかあり、その中で一番大きなアルクッズ病院に行きました。アルクッズ病院はベッド数は200床ぐらいですので、日本の基準では全く大きな病院ではないのですが、ガザ地区では最大の規模があります。救急も何でも受けますし、心臓血管外科の手術のほか、心臓カテーテルの検査や治療もするような高度な医療技術を提供する総合病院の一つです。

━━ そこで、どのような医療支援をされたのですか。

 基本的には看護師長さんたちとずっと一緒に働いていました。トップの看護部長さんの下に看護師長さんたちが10何人いらしたし、副師長さんたちもいますので、皆さんと教育について話し合ったり、看護の手順書を作って、それを各部署で広めていったりしました。研修自体は全看護師を対象にしていたので、全ての看護師長さんたちを通して、全看護師に教育が行き渡るように進めていきました。

━━ 看護師さんたちのトレーニングをされたのですね。

 バイタルサインの測定からスタートして、点滴管理や酸素管理、心電図の読み方とアセスメントといった基礎的な看護技術にはなりますが、看護手順書がなかったので、看護師長さんたちと一緒に看護手順書を作ったあとで、全看護師を対象にトレーニングの機会を持ちました。そこで、看護手順書にはこういうことが書かれているけれども、これを実施するにはどういうふうにしていくといいのかなど、プラクティカルなセッションも交え、講義、ロールプレイング、グループワークを合わせたトレーニングを行いました。

━━ 充実したトレーニングですね。

 私たちは7月から行きましたので、手順書作成だけでなく、OJTをしようということで、それぞれの師長さんと話し合って、OJTのためのチェックリストを作ったり、そのチェックリストをどういう点で使っていくのかという具体的な話し合いも進めていきました。10月半ばに最後のOJTのためのトレーニングを企画しており、そこに向けて、皆がいいモチベーションでトレーニングを進めていました。看護部長も教育熱心な方でしたし、教育の機会が限られる中で、こういう教育をようやく受けられるということで、どうやったら医療の質を上げられるのかを考えながら、皆で頑張っていました。

━━ それが軍事衝突で一変したということですね。

 2023年10月7日の軍事衝突により、もちろん事業どころではなくなりましたし、私も最初は何が起きたのか分からない状況でした。おそらく現地の方々も全く把握していない中での衝突でした。それまでは「今度の金曜日にちょっとした衝突がどこどこである」みたいなことを現地の方々は把握していました。特に病院に勤務する医療関係者はそうした情報を把握したうえで、「◯日は患者さんが増えるだろうね」と言っていたんですね。でも10月7日の軍事衝突に関しては誰も知らず、現地のスタッフもかなり動揺していました。そんな中で、看護部長さんは動揺せず、「大丈夫大丈夫。私たちはこの状況には慣れているから。あなたは自分の身を守る行動を取りなさい」と言ってくださいました。そして、その看護部長さんとはそのまま一度も会えませんでした。

先生の写真

ガザ地区 衝突発生後に産まれた子供の健康管理


━━ アルクッズ病院にも患者さんが運ばれてきますよね。

 アルクッズ病院はもともとパレスチナ赤新月社の救急車搬送サービスをしている病院ですので、患者さんは次々に運ばれてきました。最初は看護部長さんと「女性◯人、子ども◯人」みたいなデータを共有していたのですが、そういうデータの共有も一切できなくなり、何人が搬送されてきたのかも分からなくなりました。看護部長さんは「この先どうなるかは分からないけれど、私たちは24時間体制で対応しているし、何とかなるよ」みたいなことを言っていましたが、私はアルクッズ病院には一度も戻れていないので、看護部長や現地のスタッフが送ってくれた写真や情報を赤十字に共有し、アルクッズ病院の医療資器材や燃料がどれだけ残っているのか、赤十字として、どのようなルートでそうした物資の提供をするのかを話し合っていました。

━━ 川瀨さんは当時、どこにいらしたのですか。

 私は爆撃のターゲットのエリアに合わせて、ちょこちょこ移動しており、10月13日に南部に退避しました。それまではガザ市内にいたのですが、本当にすごい数の爆撃があったんです。次の日、扉を開けたら横の壁に穴が開いているんじゃないかと思ってしまうぐらいの大きな爆撃音がしましたし、雨戸やライトや家具が揺れて倒れてくるんじゃないかと心配したことも何度もありました。そういう状況から南部に移動し、南部の中でもまた移動したりしたのですが、どの場所に移動しても周りには避難民の方々が大勢いらっしゃいました。私は結局、アルクッズ病院に戻ることはできなかったのですが、周囲にいた方々はそこに赤十字があるとなると医療が提供されるのではないかと列を作ります。資器材も何もないですし、できることも限られていて、ファーストエイドぐらいにならざるをえないのですが、看護師として、現地の方々と協力をしながら支援をしたり、スタッフの健康状態の管理も行いました。衝突によって受けた傷の処置、高血圧や糖尿病などの持病のある人の薬の手配、妊婦さんの健康チェック、精神的なストレスによってパニック発作を起こした若い女性への対応などをしました。

━━ そして、日本に帰ってこられたのですね。

 11月1日にガザ地区を出て、日本に帰ってきたのが11月5日でした。

連載: プロフェッショナルインタビュー