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プロフェッショナルインタビュー 2026-02-24

第3回「当時の国循ではカテーテル治療はあまり人気がなかったんです。」兵庫医科大学病院 脳神経外科 吉村紳一教授

話題沸騰!数々の人気番組に出演している医師たちが語る 「キャリア」「信念」「未来」そのすべてに迫るインタビュー! どのようにしてスキルを高め、逆境を乗り越えてきたのか?日常の葛藤、医師としての信条、そして描く未来のビジョンとは――。

【出演番組一部抜粋】
フジテレビ系番組 ラストドクター に出演。
講義/映像教材:シリーズ 脳血管内治療STANDARD(全10回)に出演。
CareNeTVに出演。
雑誌 家庭画報「米倉涼子さんの『気になる医学』」という連載内で、先生が登場。

今回のゲストは、兵庫医科大学病院の「吉村 紳一」先生です!
テーマは 第3回「当時の国循ではカテーテル治療はあまり人気がなかったんです。」をお話しいただきます。

目次

プロフィール

名 前:

吉村(よしむら)紳一(しんいち)

病院名:

兵庫医科大学病院

所 属:

脳神経外科

資 格:

日本脳神経外科学会専門医
日本脳神経血管内治療学会専門医・指導医
日本脳卒中学会専門医・指導医
日本脳卒中外科学会技術指導医
日本脳神経外傷学会指導医など。
先生の写真
先生の写真

経 歴:

・1963年に岐阜県岐阜市で生まれる。
・1989年に岐阜大学を卒業後、岐阜大学脳神経外科学教室に入局する。
・1992年に国立循環器病研究センター病院に勤務する。
・1995年に岐阜大学大学院に入学する。
・1999年に岐阜大学大学院を修了し、ハーバード大学マサチューセッツ総合病院脳卒中研究室に留学する。
・2000年にスイス・チューリヒ大学脳神経外科に臨床研修員として留学する。
・2004年に岐阜大学大学院医学系研究科助教授・臨床教授に就任する。
・2014年に兵庫医科大学脳神経外科主任教授に就任する。
・2014年に兵庫医科大学脳卒中センター長を兼任する。



━━ 国立循環器病研究センター病院での日々はいかがでしたか。

 国循には宅直や待機の予定表があるんですが、その全日程私の名前が並んでいました。宅直は30分以内、待機は1時間以内に駆けつけなさいというもので、そうすると病院から1時間以上かかるところには行けないわけですよ(笑)。 そういうありえない状況でしたが、それまでに見たこともないような治療もありました。その一つが脳血管内治療です。それから、後にチューリッヒ大学の教授になられた米川泰弘先生の手術も拝見できました。巨大脳動脈瘤やバイパス手術など、それまであまり経験のなかった治療が多く、本当に勉強になりました。一方で、当時の国循ではカテーテル治療はあまり人気がなかったんです。

━━ どうしてでしょうか。

 脳の血管内治療はまだ一般的ではなかったのです。「カテーテル治療は外科医の仕事ではない」「手術が下手な医師がするものだ」という雰囲気がありました。しかし、しかし、私としては当時、国循で足や心臓の血管にステントを入れ始めていたので「脳も将来は3割ぐらいの疾患がカテーテルで治療できるようになるのではないか」と、なんとなく予想していたんです。「脳はほかの臓器よりカテーテルの導入が遅れてるし、今はまだモノが良くないけれど、いつか脳にも血管内治療ができるようになる日が来る」と思っていました。それがすぐなのか、かなり先なのかは分かりませんでしたが、私はその日は「来る」と信じていました。
それで入院予定のシートを見て、血管内治療になりそうな患者さんの主治医の欄に片っ端から自分の名前を書いていきました(笑)。そのため、20人ほどの患者さんを抱えていたのですが、とにかく参加することが大事だと考え、積極的に携わっていました。

━━ どなたに血管内治療を教わったのですか。

 国循に行ってすぐの頃の私はまだ治療法を学ぶレベルになかったのですが、しばらくして本格的に学ぶようになったときの師匠は風川清先生です。風川先生はその後、福岡大学筑紫病院の教授に就任され、現在は福岡脳神経外科病院の理事長でいらっしゃいます。とても優しい先生で、手取り足取り教えてくださいましたし、「血管内治療は将来伸びるよ」「一緒にやろう!」とかわいがっていただきました。それから熊本大学からいらしていた濱田潤一郎先生です。濱田先生は1年しかご一緒していないのですが、強烈なキャラクターの持ち主で、イジられつつもかわいがられていました(笑)。素晴らしい先生で、私が教授になるところまで応援してくださったんです。そのお2人が血管内治療のメンターのような存在です。
米川先生がチューリッヒ大学にご異動された後は、橋本信夫先生に脳神経外科医のスピリッツから論文の書き方まで丁寧にご指導いただきました。風川先生だけでなく、濱田先生は金沢大学、橋本先生は京都大学の教授になられましたし、そういうアカデミックな先生方に教わりつつ、自分でも気づかないうちに成長していったのだと思います。

先生の写真

国立循環器病研究センターのメンバーと


大学院に進学

━━ 国循から岐阜に戻られて、大学院に進学されたのですね。

 そうです。私は国循で多くの論文を書いたので、内科の先生方からは「多分、国循に残れるよ」と言われていたのですが、橋本先生が「帰ったほうがいいよ」とおっしゃるので、「あんなに頑張ったのに」とがっかりしていました(笑)。でも、尊敬する橋本先生のおっしゃる通り大学に戻ることにして、大学院に入学しました。

━━ 大学院ではどのようなことを専攻されたのですか。

 脳神経外科の初代教授である山田弘先生に「どこに行きたい」と聞かれたので、「血管内治療の研究をしたいので、病理学教室に行きたいです」と言ったんです。そうしたら山田先生に「そうか。じゃあ行くか」と言われたので、ついていくと突然、同じ階の生化学教室のドアをノックされたんです。
それで「病理に行く前に挨拶に寄られたのかな」と廊下にぽつんと立っていたら、山田先生が「今度、来る奴を連れてきたぞ」と言われました。そして、野澤教授が「この人ですか。いつから来ますか」と聞かれ、山田先生は「今日の今日では早すぎるから明日から頼みますわ」とおっしゃって、握手をさせられました。私は何が起きているのか分からず、山田教授に「先生、私は病理学が希望ですが」と言うと、「病理もええけど、お前には生化学のほうがええやろ」とよく分からないことを言われ、翌日から生化学教室に行くことになってしまいました。

━━ 生化学教室はいかがでしたか。

 夜も電気が消えない不夜城のような研究室でした(笑)。24時前には帰れないような雰囲気で、いつも2時、3時になっていました。今ではありえないですよね。ただ野澤教授は本当に素晴らしい方で、非常に多くのことを教えていただきました。たとえば、お昼に弁当などを食べながらのセミナーが1時間ほどあるのですが、そこで毎日5報から10報の論文を紹介してくださるんです。そして、「君、この論文の解析を脳神経系の細胞でやってみたらどうかね?」などと具体的にアドバイスがもらえるのです。そのおかげで、日々の実験テーマに困ることはまったくありませんでした。生化学研究室は月曜日から日曜日まで夜中まで動いていたので、他科の先生たちや留学生の協力もあって、たくさんの論文を出せました。
とは言え、やはり私は臨床医ですので、手術の方も修練を続けたいと思っていました。そこで、血管内治療のある日は外勤後に頑張って参加していました。

━━ 外勤はどちらの病院に行かれていたのですか?

 県立下呂温泉病院です。遠いし県立なので給料が安く、人気がなかったので一番若い私が行かされたのです(笑)。お昼に外来が終わるとすぐにおにぎりを買って2時間半ぐらい運転して病院に駆けつけていました。血管内治療の指導医だった郭 泰彦先生は優しくて、私が到着してから治療が始まるようにしてくださっていました。その後、郭先生がチューリッヒ大学に留学されることになり、先輩と私が大学病院と関連病院の血管内治療を一手に引き受けるようになりました。
ただ、実際には血管内治療の経験が多かった私が執刀を任されることが多くて、その2年間で100例ほど治療させていただきました。今から思えば、充実した大学院生活でしたね。

連載: プロフェッショナルインタビュー