【出演番組一部抜粋】
情熱大陸、クローズアップ現代
今回は【湘南藤沢徳洲会病院 機能的神経疾患センター長】山本一徹先生のインタビューです!
湘南鎌倉総合病院にて初期研修をした理由。離島医療にて得られた経験。
留学した経緯やどのようにして手技スキルを高めていったのかなど、語っていただきました――。
テーマは 第8回「自分の知らない領域に患者さんを送り出すのは勇気がいることだからです。」をお話しいただきます。
目次
2. 湘南藤沢徳洲会病院で機能的神経疾患センターを立ち上げられ、どのようにチーム医療を進められたのですか。
3. 病診連携をどのように推進してこられたのですか。
4. それは良かったですね。
5. どういった領域の先生方に広めていきたいですか。
6. 先生は手術で必要な機材をデザインされたり、医工連携も進めていらっしゃいますね。
プロフィール
名 前:
病院名:
所 属:
資 格:
日本脳神経外科学会専門医・指導医
日本脊髄外科学会認定医
日本脊椎脊髄病学会認定脊椎脊髄外科専門医など。
学 位:
経 歴:
・2010年 札幌医科大学を卒業後、湘南鎌倉総合病院で初期研修を行う。
・2012年 湘南鎌倉総合病院で脳神経外科の後期研修を行う。
・2016年 湘南鎌倉総合病院脳神経外科に勤務する。
・2019年 東京女子医科大学病院に勤務し、平孝臣氏に師事する。
・2020年 トロント大学Toronto Western Hospitalに勤務し、トロント大学のアンドレス・ロザーノ氏に師事する。
・2022年 帰国後に湘南藤沢徳洲会病院機能的神経疾患センターのセンター長に就任する。
機能的神経疾患センターを軌道に乗せる
━━ 湘南藤沢徳洲会病院で機能的神経疾患センターを立ち上げられ、どのようにチーム医療を進められたのですか。
これはとても重要なご質問です。チームなくして、この医療は行えません。どんな医療もそうだと思いますが、機能神経外科領域も例外ではなく、チーム医療が重要だということを分かっていたからこそ、帰国前から色々な部署に「読んでおいてくださいね」という文書を送っていました。
しかし、帰国後に各部署と直接ミーティングを開き、「こういう流れで行っていきたいので、そちらの部署にはこういうご協力をいただきたいです」とお伝えしたのですが、すぐにはうまくいきませんでした。これは毎回、トラブルシューティングしていくしか方法はないと思います。何か問題が生じたことを改善することの積み重ねでやってきました。新しい職員が入ってきたり、慣れた職員が抜けたりすると、新しい職員に慣れていただく必要があるので、最初に行ったようなミーティングをときどき開いたりといった繰り返しでしたね。
現在は各部署の中心になっている方や核になっている方は動いておらず、麻酔科、マーケティング課の町田さんもそうですし、病棟の方々、手術室の師長さんや主任さん、担当看護師さんもとてもよくやってくれています。各部署に機能神経外科を担当するメンバーがどうやらいるらしく、気を利かせて仕事をしてくれていますね。中心になっているメンバーがある程度ステイしているので、徐々にできあがってきた印象ですが、まだ土台の部分ができあがったにすぎません。今後、このチームをより良くしていくためには協力体制を強めていかなくてはと思っています。
━━ 病診連携をどのように推進してこられたのですか。
これも町田さんをはじめ、色々な部署の方々のお力を借りてきました。例えば、近隣の開業医の先生方を対象とした講演会を開き、「こういう方々が対象です。もしお困りの方がいらしたら、ご紹介ください」とお話しし、連携を呼びかけました。また、学会や勉強会の演者として呼んでいただくと、そこに開業医の先生方やほかの病院の先生方もおられます。
機能神経外科を広めるためには、同じ領域である脳神経外科の先生方の中でだけ講演しても、効果はおそらく限定的でしょうが、ほかの領域で講演の機会をいただくと少しずつ広まってきたかなという印象があります。そうした機会には毎回、「今、困っている方がいるので、ご紹介させてください」というお話をいただけるので、ご紹介をいただき、手術をしてお返しすると、また紹介があるという形で好循環が生まれていますし、その好循環の賜物で、関わりの強いクリニックや病院が増えてきています。
━━ それは良かったですね。
一方で、十分に広まっているとは言い難いです。近隣の方々には随分と知っていただけたのですが、遠方ですとか、全国的な規模で見ますとそうではありません。いまだに「かかりつけの先生に紹介状を書いてと頼んだら断られたので、紹介状なしで受診しました」という患者さんがいらっしゃったり、あまり理解が得られない領域なのだなと思います。 ただ、その先生方のお気持ちも理解できなくはありません。患者さんに「紹介状を書いてください」と言われて、紹介状を書くこと自体は簡単なことでも、自分の知らない領域に患者さんを送り出すのは勇気がいることだからです。自分の患者さんが得体の知れない手術を受けにいくために紹介状を書いたら、紹介状を書いた自分も責任を負うことになると考えるかもしれませんし、責任感の強い先生なら躊躇するでしょう。しかし、私の側から見れば全くそんなことはありません。
紹介状をいただいたら、手術の適否はこちらで判断しますし、最終的に手術をする、しないの判断は患者さんとそのご家族に委ねますので、全ての責任は私にあり、手術は私と患者さんとの間の出来事です。紹介してくださった先生には患者さんがより良くなるきっかけを与えてくださったという感謝の意しかありません。ただ、責任感から「よく分からないところに紹介できないよ」と言われてしまう事態があり得るということは、私もさらに知っていただく努力をしないといけないと思っています。
━━ どういった領域の先生方に広めていきたいですか。
機能神経外科領域の疾患を最も多く診療している脳神経内科、次いで脳神経外科はもちろんのこと、体の動きが悪くなったり体が勝手に動いてしまったりといった症状に対し、整形外科を受診する方も割と多いです。これらの領域の先生方には機能神経外科治療の適応や有用性について、引き続き周知を行いたいです。加えて、精神科の先生方への周知も重要です。これはより一層の努力が必要だと考えています。精神科の領域で、例えば抗精神病薬、すなわちうつ病、統合失調症などの治療薬を飲んでいて、ジスキネジア・ジストニアの症状が出てきてしまう方は少なからずいらっしゃいます。こういう薬を飲んでいると一定の割合でジスキネジア・ジストニアが生じることはよく知られていることであり、精神科の先生方の中にも「一定の割合で出てしまうものだから、出たら仕方のないことだ」と考える方もおられます。そういう先生方は、患者さんやご家族が「こういう症状が出てしまったんです」と伝えても、「そうなんだ。出てしまったんだね」で終わることが少なくないようです。 私がその場に立ち会ったわけではないので、詳細は分からないのですが、私のところにいらっしゃる患者さんが結構な割合でそうおっしゃるんです。こういう場合に紹介状を書いてくださる先生方ももちろん大勢いらっしゃいますが、誤解を恐れずに申し上げますと、紹介状を書くことを患者さんに断る先生方がおられることも事実です。
症状が出ていて患者さんが困っていても「出ちゃったんだ」と流される、説明もないし、話も聞いてくれない、「ふーん」の一言で済まされた、治療できることすら教えてくれなかったなどの話を聞くと、治療法があることをご存知ないことはある意味で仕方がない面もあると理解できる反面、やるせない気持ちになります。治療できることを知らない医師が多いのであれば、私はより一層の努力をして、この治療を知っていただかなくてはいけません。こちらが努力するべきことではありますが、ただ紹介状はできれば断らないでいただきたいです。それを叶えるためにはより広く知っていただく必要がありますね。
熟知していただく必要はなく、紹介先があること、そんな治療があること、治療できる可能性があることぐらいは知っておいていただきたいですので、近隣の病院とも病診連携をさらに強めていかなくてはいけないというモチベーションの一つになっています。
━━ 先生は手術で必要な機材をデザインされたり、医工連携も進めていらっしゃいますね。
手術を行っていく中で「もうちょっと、こんなものがあればいいな」と思うことが度々ありますし、今も「こういう器械で、こうしたいなあ」と考えていることがあります。それらを一つ一つ開発している段階です。私の場合は「これがあったら便利なのにな」というものを自分の頭の中に思い描き、そのデザインを基本的には3DCADを用いて具体的な形にしていきます。
ただ、3DCADでデザインした器械の製作を町工場に依頼するためには当院の資材課を経由する必要があります。「こういう器械を作ってほしいので、町工場の方々へのご依頼をお願いします」と当院の資材課に伝えると、資材課の中に専門的な知識をお持ちの職員さんがいて、「この器械なら、こちらの町工場がいいのでは」と器械の内容によって、町工場を振り分けてくださるんです。私がデザインしたものをデータで出したり、あるいは平面図としてPDFで出力するなりして、複数のデータを資材課に送ると、資材課が内容を確認したうえで町工場に依頼をかけてくださいます。
でも、このフローができあがるまでは苦労しました。以前は、自分で町工場にデータを送ったり、直接やりとりを行っても「こんなのできません」「これは技術的に厳しいですね」とあちこちの町工場から断られたんです。ようやく「製作できますよ」と言って引き受けてくださった町工場があっても、「試作段階で金属の筒が破れました」「これ厳しいので、もうちょっと厚くできませんか」などと製作に苦労したりデザイン細部の微調整を迫られたりといった出来事がありました。
それでも様々な相談を重ねながら試行錯誤していく中でようやくできあがった器械が今、当センターの手術において現役で活躍しています。