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プロフェッショナルインタビュー 2026-01-27

第4回「早く外国に行こうと言っていました。」福田総合病院 心臓センター 米田正始センター長

話題沸騰!数々の人気番組に出演している医師たちが語る 「キャリア」「信念」「未来」そのすべてに迫るインタビュー! どのようにしてスキルを高め、逆境を乗り越えてきたのか?日常の葛藤、医師としての信条、そして描く未来のビジョンとは――。

【出演番組一部抜粋】
世界のスーパードクターほか、人気メディアに出演

今回のゲストは、福田総合病院の「米田 正始」先生です!
第4回「早く外国に行こうと言っていました。」をお話しいただきます。

目次

プロフィール

名 前:

米田(こめだ) 正始(まさし)

病院名:

福田総合病院

所 属:

心臓センター

資 格:

・日本胸部外科学会認定医・指導医
・日本外科学会認定医・専門医
・三学会構成心臓血管外科専門医認定医機構心臓血管外科専門医
 修練指導医
・米国胸部外科学会(AATS)会員
・AATS Mitral Conclave(僧帽弁シンポジウム) Faculty
・米国臨床胸部外科医会(STS)会員
・ヨーロッパ心臓胸部外科学会(EACTS)会員
・アジア心臓胸部外科学会(ASCVS)会員・理事
・アジア弁膜症アカデミー(Mulu弁膜症国際シンポジウム)理事
 第9回国際シンポジウム会長
・日本冠疾患学会理事・名誉会員
・日本冠動脈外科学会理事・幹事
・日本低侵襲心臓手術学会(旧Japan MICS Summit)世話人・理事
・日本心臓血管外科学会理事・特別会員など
・神戸大学大学院非常勤講師
・岡山大学大学院非常勤講師
・中国・大連大学医学院附属中心医院客員教授
・中国人民解放軍第二軍医大学客座教授
・中国・天津医科大学・泰達国際心臓血管病院客員教授
・昭和大学客員教授、All About 心臓病 ガイド など
先生の写真
先生の写真

経 歴:

・1955年に奈良県橿原市で生まれる。
・1981年に京都大学を卒業後、天理よろづ相談所病院でジュニアレジデントとなる。
・1983年に天理よろづ相談所病院でシニアレジデント、心臓血管外科上級研修医となる。
・1987年に天理よろづ相談所病院心臓血管外科医員となる。
・1987年にトロント大学トロント西病院心臓血管外科に上級医員として留学する。
・1990年にトロント大学トロント総合病院心臓外科に上級医員として留学する。
・1993年にスタンフォード大学医学部メディカルセンターに上級研究員として留学する。
・1996年にメルボルン大学医学部心臓血管外科に主任外科医・助教授として着任する。
・1998年に京都大学医学部心臓血管外科教授に就任する。
・2007年に豊橋ハートセンター、大和成和病院心臓血管外科スーパーバイザーに就任する。
・2008年に名古屋ハートセンターに副院長、心臓血管外科統括部長として着任する。
・2013年に高の原中央病院かんさいハートセンターに特任院長、ハートセンター長、心臓血管外科部長として着任する。
・2015年に仁泉会病院心臓血管外科部長(2024年まで)、野崎徳洲会病院心臓血管外科スーパーバイザー(2016年まで)を兼任する。
・2016年に医誠会病院心臓センターにスーパーバイザーとして着任する。
・2020年に福田総合病院に心臓センター長として着任する。

海外への医療支援

━━ 先生はどのように後進を育ててこられたのですか。

 京大病院にいた頃は若手にもっと多くの手術を経験させたいと思っていたのですが、心臓血管外科を維持するだけの症例もない中で、若手に渡せるだけの豊富な症例がなかったんです。それでも大学病院では興味深い症例がありますから、若手にできるだけ経験してもらって、危ないところだけは私が少し手を出すという感じで教育していました。
そのうえで、どうしたのかと言うと、オフ・ザ・ジョブ・トレーニングを含めて、基本をしっかり教えて、そういう練習を積んだうえで、早く外国に行こうと言っていました。研究室のラットの腹部大動脈は人間の冠動脈サイズなので研修医にも吻合してもらっていました。非常に情けないことですが、国内ではどうにもならないから、外国に頼るしかなかったんです。
外国で200例、300例を実際に執刀して、多くの良い手術も見てきた人は日本に帰国してからもうまく展開しています。だから、それがベストな方法とは言い難いのですが、日本では必要な方法かもしれません。
そのため、留学ありきという形で、全体の教育プログラムを組んでいました。

━━ 留学先はどのように選定されたのですか。

 私と交流のあるところで、かつ若手に手術をさせてくれるところを選んでいました。あるいは手術をさせてくれないが、素晴らしい手術を見られて勉強できるところも選んでいました。

先生の写真

1995年スタンフォード大学実験室で仲間たちと


━━ 海外への医療支援はどのようなきっかけで始められたのですか。

 たまたまご縁があり、ベトナム人の先生が「先生、何とかしてください」とぶらっといらっしゃったのがきっかけです。
話を聞くと、旧サイゴン、今のホーチミンに日本のJICAが建てた立派な病院があるのですが、心臓血管外科がうまくいかない、うまく運営できないと言うんですね。私は「それはできるよ」と言って、まずはその病院の先生方に京都まで来てもらったんです。
しかし例によって、京大病院には手術がそんなに多数ないので、手術日には京大病院で見学してもらって、術後はディスカッションしました。手術日ではない日には今日はここ、明日はここのように周辺の関連病院に行ってもらって、同じように勉強していただきました。それを何度かしてもらった後に、京大で7、8人のチームを作り、ホーチミンの病院に行ったんです。
最初の何例かは私が執刀して、それ以後は京大のスタッフが交代で行き、現地の先生方と一緒に手術をするといった繰り返しで、ホーチミンの先生方が育っていきました。最初は年間ゼロだったところが、1例目を私が執刀してスタートし、20年も経たないうちに年間1500例ほどの国際レベルに到達した病院になりました。これは日本だと1位か2位にあたる規模ですね。

━━ そこまで成長させられるのは素晴らしいですね。

 最初は勉強の仕方、患者さんへの手術や治療の仕方など、色々なことを一緒に勉強して、その都度ディスカッションしてという、普通の方法をしてきたにすぎません。彼らはやる気もあって、優秀なんです。そういうことを毎日やっていたら、どんどんうまくなりますよ。
ベトナムは日本と違って、病院が多すぎるということがないので、一度いい治療をすれば、患者さんが次々に集まってきます。それで年間1500例にまで伸びていったんですね。むしろ日本の場合は病院数が多いので、個々の病院が大きく展開できない状況があります。

━━ 日本は症例数が分散してしまうのですね。

 そうです。日本は平等な国なので、どこの病院も心臓血管外科を持ちたいんです。その結果、どうなるかと言うと、一病院あたり、ひいては医師一人あたりの症例数が減ります。
一方で、フランスやドイツでは国が心臓血管外科はこことここの病院でやるのだというビジョンをはっきり決めて、調整を行っています。日本はそういう調整を誰もしないです。政治家も人に嫌われるようなことはしたくないですしね(笑)。

━━ ベトナム以外の国への医療支援について、お聞かせください。

 中国の大連大学医学院附属中心医院でもそういう支援を行っていました。大連大学医学院にはもともと心臓血管外科がありましたので、私が立ち上げたわけではないのですが、何人かが留学生として来てくれたことがきっかけで交流が始まり、こちらからも伺って、色々と教えたりしました。
それから20年ほど経ちますが、私が指導していた国の病院はどこも立派なレベルになりましたし、症例数が多いだけに今は彼らのほうが上手になっているかもしれません。私が得意としているニッチな領域ではお役に立てることが一杯あるでしょうが、標準的な手術やバイパス、弁置換術、一般的な弁形成術は彼らのほうが上手でしょう。
しかし、当時から中国の先生方も「中国でも大学病院の先生方は臨床だけでなく、研究と教育もされていますが、普通の病院では手術ばかりやっているから上手くなる」とおっしゃっていました。確かに熟練は大事なので、それも理解できます。熟練度だけなら中国の病院のほうが上でしょう。しかし、1例1例を大事にしながら数を増やしていくことは大切ですし、また研究をしているからこそできる、いい手術もあります。
例えば、「こんなのやって大丈夫なのかな」というものを研究室で動物実験をして、「うまくいった。こうやったらうまくいくんだ」という研究をしてから患者さんに応用していくなどですね。この積み重ねにより、大学病院のレベルが上がります。

━━ 日本の場合は症例の取り合いになったりして、症例数を増やせないのでしょうか。

 日本の場合は症例数が少ないですね。ただ、日本の場合は丁寧に行っているのが良いところです。しかし海外のように大きなチームであれば、全体の年間手術例がたとえば3000例で熟練の執刀医が10名ほどいて、それぞれが知恵を出し合いやすくなり、「そんなことをせずに、こうやったらうまくいくよ」と教えあってうまくいくのに、日本の場合はその知恵が入ってこないために回り道になってしまって、良くない結果になることもあります。
では日本みたいな特異な問題を抱えているところでどうすればいいかと言うと、横の交流つまり病院間の交流を深めることだと思います。これで大きなチームのような雰囲気になれるかもしれません。

━━ 先生が手術を行われている一宮西病院で初期研修医に教える機会はありますか。

 一宮西病院には手術の日にしか行きませんので、救急外来などでの指導ではなく、手術室に研修に来た初期研修医や専攻医、若手医師、学生さんに教える機会があります。初期研修医や学生さんにはなるべく安全に、かつ患者さんにご迷惑がかからない範囲で、例えば足の皮膚や足の傷を綺麗に縫うといったことを教えたりしています。教えると、皆さん喜んでくれますね。

━━ 先生に教えていただけるとは一生の思い出になりますね。

 多くの経験を積めば、感覚が分かってきますので、次からはやりやすくなりますし、それで外科を好きになってほしいなと思っています。

━━ 専攻医にはどういう指導をされているのですか。

 一宮西病院には専攻医という立場ではないけれども、若手の先生がいらっしゃいますので、とても教え甲斐があります。色々な苦労をして回り道をしながらゆっくり進歩して、手術ができるようになるというのも一つの道ですが、教えてあげたらいきなり進歩しますので、教えていて楽しいです。今は動画などで勉強もできますし、ディスカッションもできます。
若手の先生に前もってビデオで確認してもらったうえで、現場で実際にやってもらって、そこで「ここはこうする」と指導することなどを実践中です。

━━ 昭和医科大学横浜市北部病院の専攻医にも教えていらっしゃるのですか。

 どの先生がジュニアかシニアか分からないのですが(笑)、昭和医科大学横浜市北部病院は症例数を考え、少数精鋭のようです。大勢の専攻医を雇うことは親切にはならないんですね。言うと怒られるかもしれませんが、以前の市役所は大勢の人を雇用し、同じ部門に多くの人を配置していました。これだと仕事も楽ですし、税金で賄うため給料も減りません。
しかし心臓血管外科の現場はそういうわけにはいかないのです。私がかつていたトロントでも皆で相談しながら、できるだけ医師の人数を絞って、医師一人あたりの手術数を増やしていました。もちろん、あまりに絞りすぎると、誰かが病気になったり、倒れたりしたときに困りますので限度がありますが、外科系の場合、人を減らすことは親切なことなんですね。ただしこれからのワークライフバランス時代には忙しすぎるといくら手術できても困るという考えが増え、調整が必要でしょうね。
昭和医科大学横浜市北部病院は伸び盛りの先生方との交流が楽しいです。私が教えると、ぱっとやれるようになりますので、「先生、見事やね。1年目とは思えないね」と言ったりして、そういう喜びをお互いが感じています。基本ができている人であれば、アドバイスを受けて、ささっとやってくれますので、それも醍醐味ですね。自分がやるよりもさらに嬉しくなります。

先生の写真

1994年カナダ心臓学会でトロントの仲間たちと


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