【出演番組一部抜粋】
情熱大陸、クローズアップ現代
今回は【湘南藤沢徳洲会病院 機能的神経疾患センター長】山本一徹先生のインタビューです!
湘南鎌倉総合病院にて初期研修をした理由。離島医療にて得られた経験。
留学した経緯やどのようにして手技スキルを高めていったのかなど、語っていただきました――。
テーマは 第5回「24時間という時間を考えると、湘鎌以上でしたね!」をお話しいただきます。
目次
2. アンドレス・ロザーノ (Andres Lozano)先生にどのようなメールをされたのですか。
3. どのような審査なのですか。
4. カナダにはアメリカのUSMLEみたいな資格は必要ないのですか。
5. フェローシッププログラムの採用が決まると、すぐに留学できるのですか。
6. フェローシッププログラムが始まってみて、いかがでしたか。
7. 手術以外ではどのような経験を積まれましたか。
8. トロント大学では研究もされていたのですよね。
プロフィール
名 前:
病院名:
所 属:
資 格:
日本脳神経外科学会専門医・指導医
日本脊髄外科学会認定医
日本脊椎脊髄病学会認定脊椎脊髄外科専門医など。
学 位:
経 歴:
・2010年 札幌医科大学を卒業後、湘南鎌倉総合病院で初期研修を行う。
・2012年 湘南鎌倉総合病院で脳神経外科の後期研修を行う。
・2016年 湘南鎌倉総合病院脳神経外科に勤務する。
・2019年 東京女子医科大学病院に勤務し、平孝臣氏に師事する。
・2020年 トロント大学Toronto Western Hospitalに勤務し、トロント大学のアンドレス・ロザーノ氏に師事する。
・2022年 帰国後に湘南藤沢徳洲会病院機能的神経疾患センターのセンター長に就任する。
24時間という時間を考えると、湘鎌以上でしたね!
━━ アンドレス・ロザーノ (Andres Lozano)先生にどのようなメールをされたのですか。
「あなたのもとで勉強させていただきたいです」というメールをしたところ、「近々、日本に行くので、会いましょう」というお返事をいただきました。「会いましょう」というお返事をくださったことにすごいなあと思いました。ロザーノ先生は日本にいらして、学会での招聘講演をされたのですが、私も学会に参加して、講演を聴きました。ロザーノ先生にご提案いただいたように、講演のあと直接お話に行こうとしたんです。そうしたら、ずらっと長蛇の列ができたんです。それを見て、「ロザーノ先生とお話ししたいという一心で、こんなにも多くの方が並ぶんだなあ」ということに驚きました。「この先生はもしかしたら有名な方なのでは」と今さらながら知人の先生に伺うと、「あの先生は世界的に有名な方だよ」とのことで、平先生もさることながらロザーノ先生もすごい人なんだと分かり、私も長蛇の列の最後尾に並びました。そして、ようやく私の番が回ってきたのですが、後ろにもまだ人が並んでいたので、短時間で「将来的には先生のもとで勉強したい」とお伝えすると、「是非ともおいでなさい」と言っていただきました。でも、そのときは知らなかったのですが、ロザーノ先生のもとで学ぶためには厳しい審査をクリアしなければいけませんでした。
━━ どのような審査なのですか。
トロント大学にはフェローシッププログラムというものがあり、そのプログラムの中で採用されないといけません。ロザーノ先生のプログラムの採用枠は年に2人ということもこのときには知りませんでした。その枠に毎年世界中から100人ほど応募するそうです。100人が応募して、2人しか採用されない枠によく入り込めたなと思いますが、運も良かったのでしょうね。厳しい書類審査もあり、そこもくぐり抜けて、ようやくフェローシップが許されたのが2020年でした。
━━ カナダにはアメリカのUSMLEみたいな資格は必要ないのですか。
USMLEがあったほうが書類審査には通りやすいのかもしれません。アメリカにはUSMLE、ECFMG certificateがありますが、カナダではそれらは必須ではなく、あっても付加価値と考えられます。それ以上に、各出願者に何ができるのか、そしてトロント大学においていかに貢献できるのかを見られているのではないかと思いました。それゆえ、それまでどのような研究や臨床経験を積んできたかを厳しく審査されているのだろうと思われます。
━━ フェローシッププログラムの採用が決まると、すぐに留学できるのですか。
いいえ、そのあとにとても長い書類の手続きがあります。これはトロント大学でフェローシッププログラムを経験した人々は皆、知っていることですが、ものすごい数の書類があって、そのやり取りにしても毎回、向こうからの返事は遅いですし、時間も手間もかかります。それをようやく終えると、カナダで、正確にはオンタリオ州で医療行為ができるという医師免許を発行されます。実は日本の医師免許があり、フェローシッププログラムで採用されると、ワークパミットという就労ビザのような就労許可が得られるので、医師免許の発行も可能になります。このオンタリオ州の医師免許とワークパミットがあってはじめて、フェローシッププログラムが開始となります。
━━ フェローシッププログラムが始まってみて、いかがでしたか。
日々、学ぶことばかりでした。ロザーノ先生の手法は平先生のものと異なる部分も多く、私は二人の偉大な師匠のいいとこ取りをしました。手術もやはり多かったので、数多くの経験をさせていただきました。フェローシッププログラムでは基本的にフェローに手術を行わせます。もちろん最初は指導医と一緒に入り、指導医に教わりながら手術をします。機能神経外科には3人の指導医がおられたので、ロザーノ先生以外にも、ケーリア(Suneil Kalia)先生、ホダイ(Mojgan Hodaie)先生のお2人とも一緒に入っていただいていました。でも、かなり初期の段階で一人で手術を任されるようになり、機能神経外科手術の大半を執刀させていただきました。そのため、ものすごい数の手術を行っていきました。例えば脳深部刺激療法(DBS)という手術だけでも、ほかの病院では経験できないような年間100数十件はさせていただきましたし、その他の手術も合わせると、年間約300件の機能神経外科手術を経験しました。トロントに行った年は新型コロナウイルス感染症が感染拡大した年で、予定手術を制限しないといけないという通達があり、機能神経外科はそのあおりをもろに受けたんです。通達内容は確か4割程度に抑えなさいというものでしたので、ロザーノ先生も相当な数を抑えていた中で、それでも相当な件数の手術を経験できたのは良かったです。その中で知識、技術、経験、それから手術中の判断能力が養われていきました。
パーキンソン病DBS
━━ 手術以外ではどのような経験を積まれましたか。
オンコール対応です。ここで言うオンコールというのは当直のようなもので、院内全体の脳神経外科入院患者と救急診療を一人で一手に引き受けます。病院の中に常駐し、ページャー、すなわちポケベルで呼ばれます。ポケベルと言うと古いのですが、実際には自分の携帯電話の番号を知らせておくと、そこにテキストが届くというものです。このページャーが鳴り止まないんですよ(笑)。24時間、毎回毎回ずっと鳴り続けます。「この番号に電話してくれ」とテキストが来るので、電話をしていると、次のテキストが来て、患者さんの対応をしていると、次のテキストが来る。ずっとその繰り返しです。院内の脳神経外科患者さん、他科コンサルトに対応しつつ、患者さんがエマージェンシーデパートメント(ED)に運ばれてくるとそれを一人で診るので、24時間ひっきりなしに病棟とEDを往来していました。最初のオンコールの日にページャーが鳴った回数をあとで数えたら130件を超えていました。私は日本一過酷と評される湘南鎌倉総合病院で初期研修を行いましたが、それを彷彿とさせるぐらい激しいオンコールでした。湘南鎌倉初期研修の中でも一番辛いとされる内科当直でも、24時間行うことはありませんでしたので、トロント大学オンコールの24時間という時間を考えると、湘鎌以上でしたね。初めてのオンコール前には、周りの同僚からも「オンコールでは、基本的に24時間寝られないよ。寝られたら、運が良いよ」という話を聞かされていたのですが、やはりきつかったですね。臨床留学をした人の「あるある」ですが、救急のコールを受けると、ものすごく早口の英語を聞くことになります。私の場合は何とかなったものの、すごい早口だなあと驚きながら聞いていました。早口の英語に追いつくのに労力も必要でしたし、通常で話している口調とは違うんだなあと思いながらコールを受けて、診察に行ってというのを繰り返していました。最初の頃は、そういう苦労も多少はありましたね。
━━ トロント大学では研究もされていたのですよね。
ありがたいことに、リサーチフェローとクリニカルフェローのどちらもさせていただきました。厳密にはリサーチで1年間、クリニカルで1年間の計2年間となります。あらかじめ「研究もさせてください」とお願いしていましたので、研究もかなりさせていただきました。これは機能神経外科の魅力の一つでもあるのですが、研究と臨床が表裏一体であり、研究は欠かすことのできない領域なんです。脳機能の解明と直結しますので、研究は間違いなくしなければいけない領域ですし、トロントで得た研究に関する知識、習得した研究手法は今もとても役に立っています。今も研究を続けていますが、臨床にも応用できています。具体的には脳の画像解析です。この研究手法をトロントで学び、実際に研究を行い、トロントにいた2年間で論文を30編、執筆しました。主著のものも共著のものもありますが、パブリッシュされたものが30編ありますし、帰国後に続けたプロジェクトも多かったので、結局トロントに行ってからパブリッシュされた論文がトータルでは約50編になりました。その数も大事ですが、それ以上にトロントで学んだ研究手法はとても大事だと思っています。現在は脳画像解析を行って、それをもとに手術計画を立てている部分もありますので、実際の臨床にも直接、役に立っています。技術や知識を学べ、貴重な経験をさせていただいた2年間でした。