【出演番組一部抜粋】
フジテレビ系番組 ラストドクター に出演。
講義/映像教材:シリーズ 脳血管内治療STANDARD(全10回)に出演。
CareNeTVに出演。
雑誌 家庭画報「米倉涼子さんの『気になる医学』」という連載内で、先生が登場。
今回のゲストは、兵庫医科大学病院の「吉村 紳一」先生です!
テーマは 第1回 「治療技術に固執せず、どうすれば患者さんを良くできるのかだけを考えるようにしています。」をお話しいただきます。
目次
2. 先生はメスを使う外科手術とカテーテルを用いた脳血管内治療の「二刀流」でいらっしゃいますね。
3. その後、どうなさったのですか。
4. お母様、回復されたのは本当に良かったですね。
5. その後、大学院、留学、母校の大学病院での勤務を経て、2014年に兵庫医科大学の教授に就任されました。
6. 教授に就任された当初の脳神経外科はどのような感じでしたか。
7. 最新の脳神経外科事情をお聞かせください。
8. 先生の診療方針をお聞かせください。
9. チーム医療をどのように進めていらっしゃいますか。
10. 病診連携で心がけておられることはありますか。
11. 医工連携についてはいかがでしょうか。
12. どうして沖縄県と組まれることになったのですか。
プロフィール
名 前:
病院名:
所 属:
資 格:
日本脳神経血管内治療学会専門医・指導医
日本脳卒中学会専門医・指導医
日本脳卒中外科学会技術指導医
日本脳神経外傷学会指導医など。
経 歴:
・1989年に岐阜大学を卒業後、岐阜大学脳神経外科学教室に入局する。
・1992年に国立循環器病研究センター病院に勤務する。
・1995年に岐阜大学大学院に入学する。
・1999年に岐阜大学大学院を修了し、ハーバード大学マサチューセッツ総合病院脳卒中研究室に留学する。
・2000年にスイス・チューリヒ大学脳神経外科に臨床研修員として留学する。
・2004年に岐阜大学大学院医学系研究科助教授・臨床教授に就任する。
・2014年に兵庫医科大学脳神経外科主任教授に就任する。
・2014年に兵庫医科大学脳卒中センター長を兼任する。
カテーテルとメスの「二刀流」
━━ 先生はメスを使う外科手術とカテーテルを用いた脳血管内治療の「二刀流」でいらっしゃいますね。
脳血管内治療は1992-1994年に在籍した国立循環器病研究センター病院で教えを受けました。国循での研修を終えて岐阜に戻り、母校の大学院に入ったのですが、その頃に転機となる出来事がありました。母が私の住んでいたマンションに遊びに来て、子どもをあやしていたのですが、母をふと見たら、半身麻痺と言語障害になっていたんです。見た瞬間に「まずい!脳卒中だ」と気づき、すぐに救急車を呼びました。大学病院は救急受け入れ直後でしたので、救急車に同乗して、近くの救命救急センターに運びました。それでCTを見たら、脳出血ではなく、脳梗塞だったんです。当時は今ほど良い器具はなかったのですが、血栓溶解薬を動注すれば良くなるケースもあるので、「カテーテル治療をやらせてください」とお願いしたところOKが出ました。先輩に治療をお願いしようかとも考えましたが、障害が残ったりしたら迷惑がかかります。自分でやれば自分の責任です。ですので誰も呼ばず、一人でやることにしました。脳血管を撮影すると、何カ所かに閉塞があったので、血栓溶解薬を動注したのですが通りません。重度の麻痺と言語障害があったので、詰まったままではまずい。しかし薬を増やすほど出血リスクも高まります。そんな状況の中、自分の親ということもあり、フリーズしてしまいました。
━━ その後、どうなさったのですか。
そのときに先輩に「しっかりしろ!」と言われ、はっと目覚めて覚悟を決め、薬剤の最大量を注入しつつ、ワイヤーやカテーテルでつつくと、7割から8割ぐらい開通したんです。その結果、麻痺はすぐに戻ったのですが、言語は全く戻りませんでした。「母の大好きな仕事ができなくなってしまう」と、その夜は布団の中で泣きました。しかし3日後ぐらいから言葉が出はじめ、なんと1カ月で復職したんです。これは強烈な体験になりました。
━━ お母様、回復されたのは本当に良かったですね。
当時は脳梗塞に対するカテーテル治療は隅っこに追いやられていて、「tPA(血栓溶解薬)静注療法が正式に承認されたら、なくなる治療」と言われていました。でも、この体験を経て、カテーテル治療でもなかなか通らない血管が、静注で本当に通るのかという疑問を持ったことがその後の臨床研究に繋がっています。 とにかく、カテーテル治療で脳梗塞になりかけた親を救えたというのは何事にも代えがたいご褒美でした。ですので、「今後はみなさんにお返しするしかない」と思い、一人でも多くの患者さんが治療を受けられるよう、今もカテーテル治療に関する研究をしています。
インタビュー写真
兵庫医科大学の教授に就任
━━ その後、大学院、留学、母校の大学病院での勤務を経て、2014年に兵庫医科大学の教授に就任されました。
もちろん母校に残るという選択肢も考えたのですが、外に出てリーダーになることにチャレンジしたいという気持ちが強かったんです。そのためにはどうしたら良いのか考えましたが、私は地方大学出身でコネもなく、実力をつけるしかなさそうでした。学外の先輩からは「とにかく業績と手術症例数が大事だよ」と言われました。そこで、ハイランクのジャーナルに論文を出すことと、手術数を増やすことを最大限、頑張りました。そのうちに、お声がかかるようになり、2013年に兵庫医科大学に主任教授として着任しました。
━━ 教授に就任された当初の脳神経外科はどのような感じでしたか。
以前からのスタッフが大量退職されたので、極めて少人数でのスタートでした(笑)。ただし、残ったメンバーは皆、臨床の腕はありましたし、人柄が良い人が多かったのです。いつもガハハと笑いあうような雰囲気で、仕事がやりやすかったですね。赴任後、まずスタッフたちと個人面談したのですが、何名かが「学会のシンポジストになりたい」というので、「よし、先生たちが有名になれるよう、一緒に頑張ろう!」と、戦略を練りました。そのためにはまず、手術数が必要です。そこで、どのようにして患者さんを見つけるのか、色々とアドバイスもしましたし、私自身もあちこちに出向いて、患者さんを集め、やる気のある医師を集め、そしてアカデミックな発信をして、ということを繰り返しているうちに10年が経ちました。気がつくと、多くの患者さんやスタッフが集まってくれていて、本当に楽しくやっています。
━━ 最新の脳神経外科事情をお聞かせください。
私は、脳梗塞の患者さんが一人でも多くカテーテル治療を受けられるよう、診療と研究の両方から取り組んでいます。治療が世の中に広がるためには、確かな科学的根拠が必要です。 そのなかでも「ランダム化比較試験」という方法で有効性が証明されると、ガイドラインや保険適応が変わり、多くの患者さんに治療が届くようになります。医学の世界では、これが大きな基準となります。 私たちもランダム化比較試験に挑みましたが、世界の研究が先に発表され、日本は後れをとりました。しかし現場には、研究に参加した患者さんと同じ条件の方ばかりではありません。発症から時間が経ってしまった方や、脳梗塞の範囲が広い方など、さまざまなケースがあります。そこで私は「脳梗塞の範囲が広い患者さん」に注目しました。当時、このタイプの患者さんに治療が効くという報告はほとんどありませんでしたが、自身の経験とこれまで蓄積してきた全国データから「効果があるはずだ」と考え、研究を進めました。ちょうどコロナ禍で研究継続が難しい時期でしたが、日本の参加メンバーの頑張りによって世界で最初に発表できました。その結果、これまで治療対象外だった患者さんにも適応が広がりました。現在も新しい対象に対する研究を進めています。私は二刀流脳外科医として開頭手術もカテーテル治療も行っていますが、特にカテーテル治療の領域で機器開発が進んでおり、脳動脈瘤や脳梗塞の治療選択肢はさらに広がっています。これからもより多くの患者さんが救われるよう頑張っていきたいと思います。
━━ 先生の診療方針をお聞かせください。
私の目標は、とにかく患者さんを良くすることです。一見当たり前に聞こえますが、実際にはそう簡単ではありません。私の外来には、他院で「治療不可能」とされた患者さんも紹介されてきます。そのような患者さんに、逃げずに向き合い、最も良い結果につながる方法を検討します。カテーテル治療でも開頭手術でも、放射線治療との併用でも構いません。手術技術に固執せず、どうすれば患者さんを良くできるのかだけを考えるようにしています。 この姿勢はスタッフにも共有され、血管だけでなく腫瘍や脊髄領域でも同じ考えで診療を進めています。その積み重ねが、当科の良好な治療成績につながっています。
━━ チーム医療をどのように進めていらっしゃいますか。
若い人たちにチャンスをあげたいと思っています。私自身も多くの機会をいただいて成長してきたので、できるだけ若手にチャンスをあげたいのです。 大学病院では教授やベテランだけが手術をして若手は補助に回る、というスタイルが多いと思いますが、当科は若手も多くの術者を経験しながら成長できる環境を大切にしています。また、最近では働き方改革に合わせ、負担を分散できるように工夫しています。例えば一人主治医制からチーム制に変更し、患者さんを皆で診る体制にしました。 こういった工夫のおかげで、今ではスタッフが交代で休みを取りながら、国内外の学会や海外留学にも行ける体制が整い、教育と医療の両立ができています。
━━ 病診連携で心がけておられることはありますか。
患者さんの紹介あってこその私たちですから、病診連携は非常に大切にしています。 まず、受け入れに関しては状態や疾患を問わないようにしています。「脳かな?と思った患者さんは基本的に受けますので、ぜひ紹介してください」と、広くお受けするスタイルで連携しています。特に夜間や休日、手術適応の患者さんは受けるけど、それ以外の患者さんは渋る、といったことがないよう、常に注意しています。 また、紹介元の先生方とのコミュニケーションを密にすることを心がけています。術後のフォローも人任せにせず、できるだけ自分たちで責任を持って診療するようにしています。
━━ 医工連携についてはいかがでしょうか。
私たちは脳卒中患者さんをより適切な病院に搬送できるコンピューターアプリケーション作成に取り組んでいます。以前は救急隊員が個人の経験や知識を頼りに搬送先を決めることが多かったため、ある病院に搬入後、再搬送が必要になるケースもありました。 そこで過去に診療した約3,000人の患者データを基に、救急隊員がスマートフォンで必要項目を入力すると診断の予測結果が円グラフで示されるアプリを開発しました。このアプリは評判が良く、徐々に全国に普及してきています。現在はAIを搭載して、さらに精度を高めたバージョンもあります。 さらに最近、もう一歩進んで、意識障害をターゲットとしたアプリも開発中です。救急隊から「一番困るのは意識のない人です」という言葉を聞いて開発を始めました。本人とコミュニケーションが取れない上、非常に多くの疾患が候補に上がってしまいますから当然と言えば当然です。 それで、沖縄県の救急科の先生方と共同研究を開始し、意識障害のある患者さんの搬送時のデータを入力いただいています。すでに5,000名以上のデータが登録され、研究は順調に進んでいます。救急隊員が駆けつけた際、簡単に何項目かを入力するだけで、想定される疾患が円グラフで表示されるソフトウェアの完成を目指しています。
━━ どうして沖縄県と組まれることになったのですか。
私たちの脳卒中判定ソフトウェアの全国展開については、東京電機大学の研究推進社会連携センター、知能協創発研究センター災害救急医療情報学グループ長をされている横田勝彦先生のお世話になっています。 先生はコンピューターにもフィールドワークにも強い方で、意識障害に関するソフトの開発について相談したところ、「沖縄県は本島だけで100万人以上の人口があり、患者さんがほかの県に移ることが少ないので、データ漏れがなく、全てを把握しやすい」というアドバイスをいただいたため、沖縄県と組むことになりました。琉球大学病院の救急科の先生方をはじめ、多くの先生方と共同作業を進めているところです。
兵庫医科大学にて手術中の画像