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プロフェッショナルインタビュー 2025-09-02

第1回「人と関わり、人のために――小児科医として歩み続けた原点と海外への挑戦」シロアムの園 代表 公文 和子 先生

話題沸騰!数々の人気番組に出演している医師たちが語る 「キャリア」「信念」「未来」そのすべてに迫るインタビュー! どのようにしてスキルを高め、逆境を乗り越えてきたのか?日常の葛藤、医師としての信条、そして描く未来のビジョンとは――。

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【出演番組一部抜粋】
NHKプロフェッショナル仕事の流儀・情熱大陸

今回は【シロアムの園代表 小児科医】公文和子先生のインタビューです!
女性医師・小児科医として歩み続けた原点と海外への挑戦。
どんな経緯で海外に行ったのか。何を学び、何を得たのか!
シロアムの園の今後の展望など語っていただきました― ―。

第1回「人と関わり、人のために――小児科医として歩み続けた原点と海外への挑戦」をお話しいただきます。

目次

プロフィール

名 前:

公文(くもん)和子(かずこ)

事業名:

シロアムの園 代表

所 属:

小児科
先生の写真
先生の写真

経 歴:

・1968年に和歌山県和歌山市で生まれ、東京都で育つ。
・1994年に北海道大学を卒業後、北海道大学病院小児科に入局し、北海道大学医学部附属病院、千歳市立病院、市立札幌病院、北見赤十字病院、
 新日鐵室蘭総合病院(現 製鉄記念室蘭病院)で小児科医として勤務する。北海道大学大学院でも学ぶ。
・2000年にイギリス・リバプールに留学し、熱帯小児学を学ぶ。内戦後の東ティモールや内戦中のシエラレオネ、カンボジアの小児病院で医療活動にあたる。
・2002年にJICAの専門家派遣により、ケニアで活動を始める。また国際NGOでも働く。
・2007年に長女を出産する。
・2015年に障害児やその家族の支援事業である「シロアムの園」を設立する。

━━ 医師を目指したきっかけをお聞かせください。

 私は両親を含め、クリスチャンということもあり、小さい頃から人のためになる仕事、人と関わる仕事がしたいと思っていました。ただ、そのような仕事は多くありますし、どのようなキャリアになっていくのか想像がつかなかったのですが、人と関わる仕事に就きたいということはずっと考えていました。中学生のときは女子バスケットボール部に所属していたのですが、2つ上にとてもカッコいい先輩がいたんです。その先輩が図書館で病気になった方の手記や亡くなった方の遺稿のような本を読んでいらっしゃったのを見て、私もそういった本に惹かれて読むようになりました。そこで医療について関心を持ち始めたんです。医療といっても職種は多様にありますので、高校生になってからは様々な職種の方とお会いするようにしていたのですが、その中で一番良かったのはお医者さんだなと思い、医師になる道を選びました。

━━ 北海道大学に進学されたのですね。

 東京で育ち、両親からは「お金もかかるし、東京近辺で自宅から通える大学にして」と言われていたのですが、東京の大学に落ちてしまいました。それで予備校に通ったのですが、その予備校の先生がとても厳しくて、「お前らがこうやって浪人している間に人がどんどん亡くなっていくんだぞ」「どこでもいいから、入れるところに入れ」みたいなことを言われたんです。それまでずっと東京で家族と過ごしてきましたが、少し遠くに行ってみたいという気持ちがあったので、北海道大学を選びました。今は北海道大学を選んで、本当に良かったと思っています。

先生の写真

━━ 小児科を選んだ理由をお聞かせください。

 ポリクリで小児科を回ったときに、小児科の先生方がとてもアットホームでしたし、「子どものお迎えがあるから先にあがります」みたいな環境だったのを見て、ヒューマンヒューマンした先生方が多い科なんだなと感じたことが理由の一つです。90年代は周産期というコンセプトが新しく生まれた時代でしたし、ホスピスという言葉が少し出始めたころで、緩和ケアという言葉も耳慣れない時代でした。私は周産期やホスピスでの仕事に関心を持っていました。それで福岡県にある亀山栄光病院のホスピス病棟で、一週間実習させていただきました。最終的には医学部最後の学年のときにスタディツアーでバングラデシュに行ったことが大きかったです。バングラデシュは発展途上国であり、大勢の子どもがいたんですね。そのときに子どもに関わる仕事をしたいと思い、小児科に決めました。

━━ 海外にはずっと興味がおありだったのですか。

 6年生のときにバングラデシュに行ったのはNGOのスタディツアーだったのですが、それ以来、こういうところで仕事をしたいという気持ちを強く持っていました。でも小児科に入局してみると、色々な子どもたちと出会ったり、面白いこともありましたし、色々な関心も持てるようになりました。当時は血液腫瘍に惹かれていたので、小児の血液腫瘍を専門にしようかなと考えていました。入局前は発展途上国で働きたいという気持ちがあったのですが、入局後は色々な子どもたちとの出会いや学びから血液を研究しようと大学院に入りました。大学院に入ってからは埼玉県立がんセンターなどで2年間、様々なリサーチをしたのですが、ラッキーなことに割と早く結果が出て、博士号につながるペーパーがアクセプトされました。そのままリサーチを続けていくことも考えましたが、折角だからもう一度バングラデシュに行こうかな、パレスチナもいいなと思っているうちに原点に戻り、やっぱりこれだなということを思い出し、学位を取ってからすぐに海外に行きました。大学の医局には申し訳なかったのですが、医局を出てすぐに小さなプロジェクトに参加し、東ティモールに行きました。

連載: プロフェッショナルインタビュー