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プロフェッショナルインタビュー 2025-08-19

第2回「ありきたりなキャリアをそのまま歩むことに、どこか抵抗感がありました。」奈良県立医科大学病院 笠原敬教授

数々の人気番組に出演し、大きな反響を呼んだ医師の方々に直接インタビューをいただくシリーズ! 番組では語り尽くせなかった日常の葛藤や医師としての信念、そして未来への展望とは

【出演番組一部抜粋】
プロフェッショナル 仕事の流儀、NHKスペシャル

今回のゲストは、奈良県立医科大学病院の「笠原 敬」先生です!
テーマは 第2回「ありきたりなキャリアをそのまま歩むことに、どこか抵抗感がありました。」をお話しいただきます。

目次

プロフィール

名 前

笠原(かさはら) 敬(けい)

病院名

奈良県立医科大学病院

所 属

感染症内科

資 格

・日本感染症学会専門医・指導医
・日本化学療法学会抗菌化学療法指導医
・日本内科学会総合内科専門医、ICD(Infection Control Doctor)など
先生の写真
先生の写真

経 歴

1973年に奈良県橿原市で生まれる。
1999年に奈良県立医科大学を卒業後、奈良県立医科大学附属病院第二内科で初期研修を行う。
2001年に奈良県立医科大学大学院に進学し、2005年に奈良県立医科大学大学院を修了する。
2005年に奈良県立医科大学附属病院感染症センターに勤務する。
2009年にペンシルバニア大学に留学し、感染症医であり、微生物検査室ディレクターでもあったエーデルスタイン氏に師事する。
2010年に奈良県立医科大学附属病院感染症センターで講師、感染管理室長に就任する。
2015年に奈良県立医科大学附属病院准教授、副センター長を経て、2022年に奈良県立医科大学附属病院感染症センター教授に就任する。
2023年10月1日に奈良県立医科大学に感染症内科講座を開設する。

━━ お父様と同じ奈良県立医科大学病院の第二内科を選ばれたときのお気持ちをお聞かせください。

 入局先を考えなくてよくなったと思い、ほっとしました。ただ、何を選んだとしても考えないといけないことは次々に出てきます。入局先として選んだのが奈良医大の第二内科でしたが、そこに関してはもう考える必要がなくなったとしても、その次に考えなくてはいけなかったのは奈良医大の第二内科で何をするのかということでした。

━━ 第二内科に入局するまでに色々と悩まれたとお伺いしましたが、どういったことを考えておられましたか。

 私はもともと総合診療や総合内科に興味があったんです。それを行っているのが国立国際医療研究センターや佐賀大学で、その手前にあるものがアメリカへの臨床留学や医学教育という知識だけはありましたので、そのあたりが臨床での選択肢を考え始めたきっかけです。それで言いますと、奈良医大の第二内科にやりたいことがあるかないか、奈良医大のほかの医局にやりたいことがあるかないかということはあまり考えていませんでしたし、奈良医大で臨床研修をするのであれば、第二内科以外の選択肢は多分なかったでしょうね。

先生の写真

2002年、フィラデルフィアで開催されたATS(American Thoracic Society )の際にペンシルバニア大学で勤務されていた赤井先生を訪問

━━ 今は感染症内科がご専門ですが、そこの分岐点でキャリアが変わっていた可能性もあるのですね。

 そうですね。基本的に全部が後付けなんですけどね(笑)。

━━ 大学院に進学しようと思われたのはどうしてですか。

 奈良医大で働くことを決めたときには多分、大学院に行くんだろうなと思っていました。逆に聖路加国際病院やほかの病院に行くことを考えていたときには大学院に入ることは念頭に置いていませんでした。

先生の写真

大学院時代、博多での学会発表後に訪れた志賀島にて

━━ 大学院に進学された方は多かったですか。

 大学院に行く人数は医局によって様々でした。第二内科は少なく、第一内科は多いなど、医局の歴史にも関係があるかもしれません。第二内科の同期でも3年目に大学院に行った人が2人いるので、私を含めて計3人が大学院に行きました。私が研修医2年目のときに教授が定年退官になり、3年目になるときに木村弘教授が着任されました。そこで当時助教授だった三笠桂一先生に「俺、大学に残るから、大学院で感染症やらへんか」と誘っていただきました。その頃の私は大学院に進むことは決めていて、人工呼吸器や呼吸不全を面白そうだと興味を持っていたものの、研究テーマは新しい教授がどういうことをされるのかで決まるんだろうなと思っていました。そのときも結局、自分で決める気がなかったのかもしれません。とりあえず誘われたわけですし、最初に言ってくださった方の言う通りにしようと、三笠先生のご指導を賜ることにしました。私としては大学院で研究すること、博士号を取ること、海外の学会で発表すること、将来は留学したいことという大きなことを先に決めていたので、大学院で感染症を研究するという中身は非常に流動的に決まった感じですね。私らしい決まり方だったと思います。三笠先生に誘われていなかったら、木村教授にご指導いただいていたのではないでしょうか。その後、臨床では木村教授にも可愛がっていただき、大変お世話になりました。

━━ 笠原先生はどのようなキャリアを歩もうと考えていたんですか。

 最近の学生とも話をしているのですが、2000年頃は50歳になったら、あるいは60歳になったらどういう感じになるのだろうということが割と容易に想像できました。私の父を見ていてもそうでしたが、学位を取る、関連病院を回って部長になる、最後は院長か副院長になる、あるいは開業するという先輩方がほとんどでした。ただ、学位に関しては大学院に入って取るのか、大学院という形ではないところで取るのかという、当時は種類が「甲」「乙」に分かれました。私の場合は英語で論文を書いたり、海外の学会で発表したりすることに憧れがあったので、その流れに悩みはなかったです。でも市中病院で総合診療や総合内科をしたいという、ちょっと違ったことや変わったことをしたいと思っていたぐらいですから、普通に予想できるキャリアをそのまま粛々とやっていくことには抵抗がありましたね。

先生の写真

大学院時代、熱帯医学の現地研修で訪れたフィリピンにて

連載: プロフェッショナルインタビュー

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