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プロフェッショナルインタビュー 2025-08-05

第1回「自分の考えとは違う方向に無理して進まなくてもいいでしょう。」奈良県立医科大学病院 笠原 敬 教授

話題沸騰!数々の人気番組に出演している医師たちが語る 「キャリア」「信念」「未来」そのすべてに迫るインタビュー! どのようにしてスキルを高め、逆境を乗り越えてきたのか?日常の葛藤、医師としての信条、そして描く未来のビジョンとは――。

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【出演番組一部抜粋】
プロフェッショナル 仕事の流儀、NHKスペシャル

今回は【奈良県立医科大学病院 感染症センター教授】笠原 敬先生のインタビューです!
テーマは 第1回「自分の考えとは違う方向に無理して進まなくてもいいでしょう。」をお話しいただきます。

目次

プロフィール

名 前

笠原(かさはら) 敬(けい)

病院名

奈良県立医科大学病院

所 属

感染症内科

資 格

・日本感染症学会専門医・指導医
・日本化学療法学会抗菌化学療法指導医
・日本内科学会総合内科専門医、ICD(Infection Control Doctor)など
先生の写真
先生の写真

経 歴

1973年に奈良県橿原市で生まれる。
1999年に奈良県立医科大学を卒業後、奈良県立医科大学附属病院第二内科で初期研修を行う。
2001年に奈良県立医科大学大学院に進学し、2005年に奈良県立医科大学大学院を修了する。
2005年に奈良県立医科大学附属病院感染症センターに勤務する。
2009年にペンシルバニア大学に留学し、感染症医であり、微生物検査室ディレクターでもあったエーデルスタイン氏に師事する。
2010年に奈良県立医科大学附属病院感染症センターで講師、感染管理室長に就任する。
2015年に奈良県立医科大学附属病院准教授、副センター長を経て、2022年に奈良県立医科大学附属病院感染症センター教授に就任する。
2023年10月1日に奈良県立医科大学に感染症内科講座を開設する。

━━ 医師を目指したきっかけはいかがですか。

 父親から勧められたというところが大きいと思います。最近、周りの人と話していて思うのは医学部に行くということはある意味で贅沢なことではありますが、楽な流れなんですよね。医学部以外の学部に進学するとなると、今度は就職のときに「どんな仕事をしよう」などと考えないといけませんが、流れのままに医学部に入ると、その後の進路をそこまで考えなくていいわけです。つまり、将来の仕事のことなどを考えていない人や決まっていない人、親から強く勧められた人は医学部に行けばエスカレーター式に仕事が決まります。そういう意味で、私は自分の未来をあまり自分で決めていない気がしますね。

━━ お父様が医師だったこともあり、キャリアがイメージしやすかったんですね。

 父は私が3歳ぐらいのときに開業しており、職場が自宅兼診療所でした。そのため、午前診や午後診などで患者さんが途切れると自宅に戻ってきて横になっているみたいな姿を目にしていました。その頃は訪問診療もそこまでしていなかったですし、休みの日には趣味だったオーディオを探しに大阪の日本橋に買い物に行ったりして、優雅な生活をしていたと思います。父は以前は奈良県立医科大学附属病院の第二内科の医師でしたので、私も奈良医大の医局や奈良県医師会の集まりについていくことがありました。父は基本的に「自分の生活やキャリアが一番。お前も同じようにしろ」という人だったので、こういう生活をするようになってほしいんだろうなということは感じていました。

先生の写真

父とともにプールにて

━━ お父様は笠原先生に医師を目指してほしかったのですね。

 父が「自分のようになれ」と言ったのは医師になることはもちろんですが、勤務医ではなく、開業しろというメッセージだったと思います。開業すると個人事業所のような自由さや裁量があり、経済的にもある程度恵まれますので、食いっぱぐれがないという理由もあったのではないでしょうか。

━━ お父様のように、今後は開業するなどの計画はありますか。

 開業は素晴らしいなと感じますし、もう一度生まれ変わるなら開業してみたいです。むしろ今後、開業するのもありですね。もはや今は勤務医、開業医のどちらかしか選べないという時代ではないので、何のために開業するのかを考える必要があるにせよ、このまま定年までというふうには思っていません。

先生の写真

開業まもない笠原内科の前にて

━━ 開業というビジョンもおありなのですね。

 奈良医大の教授という今のポジションを持ちながら、開業医が行うような事業をすることも考えられますし、今のポジション、かつ「何か」という形で実現することはあり得ます。そもそも制度も大きく変わっていくでしょうから、そういうことが当たり前になっていく可能性もあります。

━━ 昨今、医師のキャリアについては多様化が進んでいますね。

 開業医か、勤務医かなど、自身でラベルやレッテルを貼ったりすることが以前からあまり好きではないので、そこは別に決める必要がないですね。結局、何がしたい、どんな状態でいたいというビジョンがあれば、「それは開業医だ」「それは勤務医だ」と定義されることがあったとしても、自分が何であるのかをラベル付けしようという意識がありません。今も勤務医や教授と呼ばれることに違和感があります(笑)。自分が何かをするときに一番都合の良いポジションが何なのかを考え、その結果がついてくればいいと思っています。

━━ 将来の専門領域が定まらない若手医師についてはどのように考えておられますか。

 ここ数年、教授という立場になったことで、実習で回ってくる100人以上の学生の最後の総括をしていますが、私が話をするというよりも学生の話を聞いて終わるような総括です。その総括の場で学生がどこまで本音を言っているのかは分からないのですが、その話を聞いたり、あるいは自分の経験から思うのはその人の性格がかなり大きいということです。基本的には皆が自分のことしか分からないのですが、将来のことをしっかり決めている学生もいれば、流されるように優柔不断に決めていく学生もいます。それはどちらが正しいということではなく、どちらが向いているのかという話です。その人が悩んだ結果、その人なりの結論になるでしょうし、自分の考えとは違う方向に無理して進まなくてもいいでしょう。私自身は古き良き学生だったし、自分の将来をしっかり決めていたわけでもありません。先輩がこう言うから、親がこう言うからというような理由で決めていきました。それから、年をとってくると、どこかのタイミングで自分のキャリアを正当化していきます。私も54歳を過ぎましたが、残りの人生が少なくなってくると後悔はしたくないですし、職位も上がっていきますので、そうすると自分の強みが何かということを考え出すのですが、それをあたかも最初から考えていたかのように打ち出すだけなのだと思います。それに、決断するタイミングには期限が存在しますが、その人なりに考えて時間切れになったとしても、最終的にはその人なりの結論が成立しますよ。私も悩んだふりはしますが、期限切れになるのを待つタイプでした。

先生の写真

西医体終了後にバレーボール部の仲間と海水浴

連載: プロフェッショナルインタビュー