初期研修インタビュー

2021-12-01

加古川中央市民病院(兵庫県) 指導医(初期研修) 石原広之先生 (2021年)

加古川中央市民病院(兵庫県)の指導医、石原広之先生に、病院の特徴や研修プログラムについてなど、様々なエピソードをお伺いしました。この内容は2021年に収録したものです。

加古川中央市民病院

兵庫県加古川市本町439

医師近影

名前 石原 広之
加古川中央市民病院院長補佐 脳神経内科主任科部長 指導医

職歴経歴 1969年に兵庫県高砂市で生まれる。1993年に神戸大学を卒業後、神戸大学第三内科に入局し、神戸大学医学部附属病院、三木市立三木市民病院で研修を行う。1996年に横浜労災病院に勤務する。1997年に神戸大学大学院に入学する。2001年に神戸大学大学院を修了後、神戸大学医学部附属病院に勤務する。2005年に市立加西病院に勤務する。2016年に加古川中央市民病院に脳神経内科部長として着任する。
日本内科学会総合内科専門医・指導医、日本神経学会神経内科専門医・指導医、日本病院会認定病院総合医、臨床研修指導医、神戸大学医学部臨床准教授など。

加古川中央市民病院の特徴をお聞かせください。

兵庫県の東播磨地域にある中核病院で、全33診療科600床を有しています。基本的には救急病院であり、この地域の救急疾患のかなりの部分を担っています。

石原先生がいらっしゃる脳神経内科についてはいかがですか。

病院の特徴と同じく、当院の脳神経内科も救急領域に力を入れています。意識障害、脳卒中、脳炎、てんかん発作といった救急搬送されるような脳神経疾患が多いですね。ただ、それだけではなく、加古川地域はもともと脳神経内科医が少なかったこともあり、基本的にはどんなことでも対応できるようにしています。また、内科疾患の一症状として脳神経内科の症状が出ることがあります。例えば当院ではリウマチ・膠原病内科の患者さんが非常に多いのですが、そうした患者さんの筋炎などに対し、筋生検をするといった手技の機会も他院に比べると豊富ですので、手技などの経験も積める診療科です。

医師近影

加古川中央市民病院の初期研修プログラムで学べる特徴について、ご紹介くださいますか。

多彩な診療科があり、それぞれの学会の指導医が多く在籍していますので、初期研修医が将来どういう診療科を志望しているにしても対応できることが特徴の一つです。もう一つは救急疾患を数多く経験できることです。これは初期研修では非常に大切なことですが、当院ではどの科でも救急症例が豊富です。さらに、当院では教育支援を重視しています。若い医師だけでなく、看護師や技師なども含め、若いスタッフの教育に力を入れています。日々の診療カンファレンスに加え、レクチャー系の研修を各科で順番に行っていますし、人形を使ったシミュレーション研修もあります。また院内でのICLS研修は全員に受けてもらっています。初期研修プログラムは初期研修医自身が作ります。1年目は必修科目が中心ですが、2年目はメンターという相談役の上級医のもとで、初期研修医が何を学んでいくかを自分で決めていけることも特徴です。

初期研修医の人数はどのくらいですか。

定員は12人で、毎年フルマッチしています。加えて1年目は神戸大学医学部附属病院からのたすきがけの人が6人いるので、計18人です。2年目は12人ですので、1,2年合わせて合計30人います。全体としては数多く見えますが、当院は科自体が多く、脳神経内科をはじめ、各科を回る初期研修医は毎月1人か2人ですので、指導体制としてはちょうどいいですね。

医師近影

指導される立場として心がけていらっしゃることを教えてください。

患者さんの全体像を診ることを意識してもらうように心がけています。病気だけを診ても完結しませんし、「全人的に」と言うように、患者さんのこれまでの生活の背景、家族の背景、そして次の生活や人生といったことを考え、全体像を把握してほしいです。

最近の研修医をご覧になって、どう思われますか。

皆さん、真面目ですね。私たちのときと違ってと言うと、昔は酷かったという話にならざるをえないのですが、私たちの学生時代は臨床配属もあったものの、教科書をなぞった授業が普通で、今のような系統立った教育はありませんでした(笑)。医学部教育は大きく変わり、今の学生さんは医学部の間にしっかりトレーニングされています。患者面接にしろ、OSCEのような実技的なことや臨床推論にしろ、私たちの頃とは雲泥の差です。したがって、今の初期研修医は即戦力として入ってきてくれている感じがします。

「こんな研修医がいた」というエピソードがあれば、お聞かせください。

どの研修医ということではありませんが、自分の志望している科以外の科の研修も興味を持って、一生懸命にやっている研修医は印象に残りますね。そういう初期研修医は回る科、回る科の部長が「彼はうちに欲しい」、「彼女はうちのものだ」と言ってきます。志望しない科であっても、そこを回っている間は目一杯、頑張るだけでなく、なおかつ周囲に好かれる人間性もあるんですかね。どの科でも好かれるというのはすごいことですし、コツがあったら、教えてほしいです(笑)。

研修医に「これだけは言いたい」ということがあれば、お聞かせください。

毎日「今日はこれを勉強したぞ」というような、何か一つの新しい気づきを得てほしいですね。それを1日ずつ積み重ね、学んだものを残していくといいと思います。初期研修の時間はあっという間に過ぎていくので、1日を大事にしてもらいたいです。

先生の研修医時代の思い出をお聞かせください。

私は神戸大学医学部附属病院で1年、三木市立三木市民病院で2年の研修を行いました。三木市は郊外なので、遊ぶところはあまりありませんでしたが、研修医仲間とわいわい過ごしていました。それは今も変わらないですね。同じ釜の飯を食う仲間は大事ですし、それが楽しい思い出となっています。また、私たちはアナログ世代なので、カンファレンス前に夜中まで、場合によっては徹夜でプレゼンの準備をしていました。今は電子カルテか、プロジェクターで映し出されますが、当時は模造紙に手書きして、それを前に出してプレゼンしていたんです。文献検索にしても、土曜日に大学の図書館に行き、半日かけて資料を自分でコピーしていました。現在、当院では文献検索をかなりサポートしており、主な雑誌はほぼ網羅して契約していますので、パスワードで自席パソコンでも全文読めます。専属の司書さんもいます。契約していない雑誌でも、司書さんに伝えると1日か2日で届きます。昔とは雲泥の差ですね(笑)。

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先生はなぜ脳神経内科を選ばれたのですか。

学生時代から脳の解剖にとても興味があり、脳は面白いと思っていました。脳の解剖実習ではこの領域は言語、この領域は視覚、この領域は運動神経などと楽しくて、脳に関係する分野に進みたいと思っていたんです。ただ、当時の神戸大学には脳神経内科の先生はいらっしゃらず、授業もありませんでした。皆、脳神経系の病気に関しては自習していたんです(笑)。しかし、私が研修医の頃に脳神経内科がご専門の苅田典生先生が留学から帰ってこられ、大学の内科に神経グループを立ち上げられたんです。そこに誘っていただいたので、入りました。

横浜労災病院に行かれたのはどうしてですか。

苅田先生の恩師でいらした先生が部長をされていた横浜労災病院脳神経内科に、国内留学しました。横浜労災病院では脳神経内科に特化して勉強しました。非常にハードな病院でしたが、充実した研修が出来ました。若い頃は無理がききますし、そういうときにできるだけ忙しい環境に身を置いた方が将来に役立つのではないかと思います。私としてはもう少し長く横浜にいたかったのですが、大学院の枠があるということで1年で呼び戻されてしまいました(笑)。

現在の臨床研修制度についてのご意見をお願いします。

現在の制度は小児科、産婦人科、外科、麻酔科など、私たちの頃には回れなかった診療科をローテートできます。私たちからすれば、とても羨ましい制度ですね。当院では1年目にとにかく基礎体力をつけ、2年目をオーダーメイドのカリキュラムにしていますが、これはそれぞれの将来に向けての実力を備えられるシステムになっており、素晴らしいものだと感じています。

これから初期臨床研修病院を選ぶ医学生に向けて、メッセージをお願いします。

学生の間にしかできないことを頑張ってください。それはスポーツやアルバイト、自分を磨くことなど、医学以外のことです。そして医療関係者以外の人との交流の機会を持つのがいいと思います。コロナ禍では難しい部分もありますが、学生時代に色々な経験を積むことは社会人として働いていくうえで何かの役に立つはずです。勉強ももちろん大切ですが、それ以外も頑張ってください。最近の初期研修医は皆さん真面目ですが、学びに行くという姿勢を積極的に持っている方に来ていただきたいと願っています。当院は「学べる病院」です。教育支援に力を入れ、病院全体で若い医療者のサポートをしていますので、是非、当院で医師としての第一歩を踏み出してください。


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