最強マッチング

スペシャルインタビュー

【第1回】臨床研修制度必修化の前に

臨床研修制度の必修化が決定されたときのことについて、お聞かせください。2000年に参議院の国民福祉委員会で附帯決議がなされ、2002年12月に臨床研修に関する省令が出されましたね。

前野:2000年に筑波大学に赴任し、この問題をどうするかについて検討していました。私がそのときに考えていたことは必修化の主旨は何かということですね。それはあくまでプライマリケアができること、将来の専門科に関わらず、医師として身に付けるべきものを身に付けることにあります。大学病院で行われる高度医療ではなく、臨床医だったら、どの診療科でも持っておくべきスキルを身に付けさせる仕組みが必修化です。それとマッチング制度ですね。マッチング制度が導入されれば流動化が起き、魅力ある研修病院でないと生き残れないと考えました。それまでは卒業した大学に7割以上が残っていました。特別なクオリティコントロールをしなくても一定数は残ってくれていたわけです。しかし、卒業生が必ず入るということにあぐらをかいていたらとんでもないことになるという危機感を強く持っていました。そこで、主旨に沿って、勝てるプログラムを作ろうと思ったのです。

具体的にどんなことをなさったのですか。

前野:2004年の必修化に先駆け、2002年に新しい研修プログラムを始動させました。その年の卒業生は入る診療科を既に決めていましたので、さすがにそこは動かさず、1年間はその診療科を研修してもらいました。ただし、もう1年は内科、外科、麻酔科・救急科、小児科の4科を3カ月ずつローテートすること、そして、それを必ず市中病院で行うことにしたんです。大学病院は禁止です。全員が1年間、市中病院を回るのは大きな特徴でしたね。いわゆる今のたすきがけです。放射線科に行きたい人、病理科に行きたい人も全員、そうしました。

画期的でしたね。

前野:それゆえに、抵抗もありました。「なぜ国がやれという2年前にそんなことをしなくてはいけないのか、予行練習なんていらないのではないか」という抵抗です。そこで、私が説明していたのは2年後にそういったシステムが流動化したときに、いいスタートに立っていないと、そこで大きな差がついてしまうということです。研修の魅力が51ある病院と49ある病院なら、研修医数は51対49にはならず、100対0になります。新しい流れに対応するモデルを示さないといけません。でないと、負け組に転落します。負け組に転落すると、人が減ります。人が減れば余裕がなくなります。そうすると、研修医が辛くなるんです。辛い先輩を見たら、後輩は入ってこないですよね。そういう負け組ループに入ります。一度、悪循環に陥ると立て直すのが相当、大変になります。今後、確実に法案は通るし、社会も動きます。2004年に始まることは確定したのだから、そのときまでに「筑波大学には既に2年の経験があります」と言いたかったんですね。

指導医の認定はどのようになさったのですか。

前野:指導医認定も独自に行い、指導医養成講習会の参加も義務づけました。そのときに作ったビデオがいまだに使われているんですよ。研修管理委員会も作りました。もちろん、国が決めた基準のものではなかったので、そこまでかっちりしたものではありませんでしたが、少なくとも雛形は作ったのです。

当時の6年生の反応はいかがでしたか。

前野:抵抗もなくはなかったですが、多くは理解してくれましたね。学生はやはり、そういうローテートをしたいと思っているんですよ。決めきれていない人もいますしね。実際に、そういう仕組みを作って運用して、それで必修化の2004年を迎えたわけです。

【第2回】スタートダッシュ

最初のマッチングは50%でしたね。

前野:そのときに我々は75人という、それまでとそんなに落ちないだけの数を確保できました。2年の予行練習は功を奏したんですね。逆に、筑波大学は大丈夫、きちんととやっているということで安心してもらえました。初年度にそれなりの研修医を確保できたので、いい方の循環が回り始めました。手を抜いたら止まってしまいますが、いいスタートダッシュが切れたのです。今年は少し減らしましたが、それでも全国5位ですし、去年は3位と、ずっとベスト10を維持できています。しかし、この維持ができているのはスタートダッシュだけの問題ではありません。基本的にはそのときに確立したモデルがいまだに通用していることでもあるのです。

モデルの構築にあたって、工夫をされたことは何ですか。

前野:最強のプログラムは何かと考えたときに、やはりそれはヴァリエーションだと思いました。研修医が考えるニーズや優先順位は様々で、Aという研修医にはベストなプログラムも、Bという研修医には酷いものかもしれません。プログラムが一つしかないと、そうなりますね。皆にとっていいプログラムはヴァリエーションを持っていることです。筑波大学のコンセプトは大学病院である良さ、それから市中病院である良さの両取りをすることにあります。大学病院と市中病院は二者択一で語られることが多いけれども、我々は両取りをしたいということです。実はもう一つのファクターがあって、それは大学が管理型となるメリットなんです。

管理型のメリットとはどういうことでしょうか。

前野:市中病院は設立母体が同じところとしか組めません。○○県立病院は同じ県立病院としか組めず、民間病院とは組めないんですね。△△会は△△会としか組めませんが、○○県立病院や△△会という設立母体は研修の質とは関係ない話です。内科は△△会が素晴らしい、外科は○○県立病院が素晴らしいとなったときに、それを全て取れるプログラムは大学でないと作れません。大学は関連病院への派遣施設ですし、派遣するときには設立母体をまたいで派遣しています。大学だからこそ、設立母体を超えて、本当に研修医のために役に立つプログラムを作れるんですね。だから、内科はこの病院でということができます。大学で2年間を過ごすのか、市中病院で2年間を過ごすのか、どちらかを選べという二者択一でしたら、それぞれのいい点、悪い点がありますから、自分にとってどちらの方が上回るかで悩みながら選ぶわけです。でも、筑波大学でしたら両取りができます。

【第3回】大学病院のメリット・デメリット

大学病院のメリットはほかにどんなことが挙げられますか。

前野:「深める」こと、「掘り下げる」ことです。ラーメン屋さんがラーメンを作って、まずいとします。100回作るとうまくなるかというとならないですね。上手なラーメンの作り方を習わないといけないんです。大学病院は「掘り下げる」ところですから、ラーメンの作り方を習えます。それから全部の専門科が揃っていることです。市中病院だと、腎臓内科医がいないとか、神経内科医がいないということがあり、そこで内科研修を行うとなると、その専門科だけ落ちてしまいます。大学は全科が揃っていますし、何より教育機関ですから、教育体制がとてもしっかりしています。

では、デメリットに関してはいかがでしょうか。

前野:大学の悪い点は何かと言うと、コモンディジーズを診られないことですが、コモンディジーズの診療は大学病院の仕事ではないので、それは仕方ないです。市中病院はコモンディジーズを診られますが、大学のような「深める」こと、「掘り下げる」ことが苦手です。そして、もう一つあります。市中病院は全ての科にいい医師がいることがあまりありません。内科はいいけど、外科はいま一つとか、小児科はいいけど、ほかは少し劣るというものがあります。見学に行くと、大体の場合、いい科に連れていかれるんですよ(笑)。それで、その科の医師に憧れて、習いたいと思っても、全部の期間にその医師につけるわけではありません。市中病院は良くも悪くもセットメニューなんです。メインディッシュを食べたかったら、もれなく美味しくない味噌汁がついてくるのですが、必修科だから残さず、食べないといけないんですね(笑)。市中病院は選択肢が狭く、全科が揃わないのです。全て揃っている市中病院もありますが、そういう病院は例外なく、競争率が高いです。

それで、筑波大学はデメリットをメリットに変えられたのですね。

前野:ここで、大学病院が管理型となるメリットが出てきます。大学病院しかできない病院群を構築し、内科なら○○県立病院、外科なら△△会、小児科なら□□赤十字病院という形で選択肢を作ることです。そうすると、逆説的ですが、市中病院に行くよりはいい市中病院研修ができます。また、大学病院も回りますので、大学のメリットも受けられます。それが筑波大学のコンセプトなのです。それは必修化が始まったときからずっと変わらない筑波大学のコンセプトであり、今まで人気病院を保ってきた理由です。初期研修を終えた研修医にアンケートを取ると、かなりの人が「色々な病院を見られたのが筑波大学での初期研修の一番、良かった点だ」と挙げています。

【第4回】前野教授の研修医時代

そういった筑波大学のコンセプトを前野先生はどのようにして考えつかれたのですか。

前野:私自身の経験でもあります。私はプライマリケアがしたかったので、臨床実習を回っていたときに市中病院で初期研修をしようと思っていました。3つ、4つの病院に見学に行き、6年生になったときに河北総合病院に決めました。その頃は総合診療という言葉を知らなかったのですが、幅広く勉強したいと考えたんです。

後期研修では大学に戻ってこられたんですね。

前野:大学病院で働きたかったというよりも、大学のレジデントとして大学に所属することで、研修しやすくしたかったんです。例えば小児科で研修したいと思って、いきなり電話をしても、「誰だ」と言われそうですが、大学からの派遣でしたら受け入れていただきやすく、お給料も出ます。それで帰ってきましたが、大学の内科で驚きましたね。私は市中病院育ちなので、市中病院の研修にプライドを持っていました。症例を豊富に診たし、CVラインも多く入れたという自信がありましたが、5、6年目になると、そんなに大した差ではなくなります。最初の2年が終わったときには大学病院で研修した人が50、私が300から400症例でしたから、確かに違いがあります。でも、大学病院で初期研修をした人は後期研修では市中病院に出ますから、5、6年目になると400と600で、大きな差ではないんですね。50と400は大きいですが、400と600は変わりませんよ。

ほかに、大学病院で学ばれたことはどんなことですか。

前野:大学病院で苦手だったこととして教授回診がありました。市中病院は回診する人も患者さんを知っているので、「あの患者さんね」と分かってもらえていますが、教授回診では現病歴、検査所見などをきちんと言えないといけません。その準備のために、レントゲンなどの画像の読みが深くなりましたね。「リンパ節のこの辺が」ではなく、「何番と何番が何センチ腫れている」などと、所見をしっかり書くようになりました。私は大学病院は酷い場所だと思っていましたが、大学病院にも魅力があるのだと実感しました。その反面、大学のデメリットはもともと自覚していたので、臨床研修をコーディネートする立場に立ったときに、両取りができないか、両取りこそが最強だろうと思ったのです。

【第5回】オーダーメイドの研修プログラム

「両取りで勝ち組に」ということですね。

前野:流動化される中で勝ち組に残っていかなくてはいけません。でも、いきなり聖路加国際病院や亀田総合病院にはなれないのです。そうなると、茨城県内にある病院を組み合わせて、そういった病院に負けないプログラムを作る、いいとこ取りが必要です。いいとこ取りの中には大学病院も入っているんですね。当時は多くの大学は「大学でやればいい。市中病院に行く必要はない。とりあえず、うちに残りなさい」と言い、大学病院と市中病院の二者対立の構造がありました。でも、必修化の目的はプライマリケアですから、そこで編み出された方法がたすきがけだったんです。

筑波大学はたすきがけを採用していないですね。

前野:筑波大学はたすきがけをしません。当初、私は相当な危機感がありました。このまま行くと、大学病院の初期研修医は激減し、大学の良さも否定されてしまうと思っていたんです。私は大学の良さも分かっていましたから、いわゆる勝ち組に残る教育を考えました。最早「卒業生だから残りなさい」は通用しません。それでできたコンセプトが、大学が基幹施設になることで、市中病院に研修に行くよりも良い市中病院研修にできるし、そこに大学のメリットを加えると最良だろうということです。このコンセプトでずっと走っていますから、たすきがけにはしないですね。ただ、ヴァリエーションが一番の価値ですから、たすきがけを希望する人にはたすきがけもできます。国のルールでは8カ月は基幹病院にいないといけないことになっているので、それ以外のほとんどの期間を大学の外で過ごすこともできます。70人いれば、70通りの研修プログラムがあるのです。

研修医一人一人が違うプログラムを組んでいるのですね。

前野:1年目は3カ月ごとに大学の内外を変えたら可哀想なので、半年刻みになっています。2年目になると、ばらばらですね。例えば、大学病院の小児科で2カ月、茨城県立こころの医療センターで精神科、筑波学園病院で腎臓内科を1カ月ずつ回ったあとは大学病院ですとか、小児科を市中病院で研修する人もいますし、大学を出たり、入ったりしながら、いいとこ取りをして回っていきます。

【第6回】研修プログラム実現のために

こうしたプログラムの実現のために、どんなことをなさったのですか。

前野:我々がさらに行ったことは様々ですが、大きくは二つ挙げられます。一つはコーディネート部門の強化です。ほかの大きな病院がなぜたすきがけをするかというと、楽だからです。さらに楽にするのはマッチングのときに分けてしまうという方法です。「○○病院たすきがけコース」にマッチしたら、自動的にそのコースに研修医が入ります。しかし、その先の選択肢がないんですね。我々はコース変更を途中で聞いています。2年目の研修をどうするかを1年目の10月頃に聞くんです。というのは、研修を始めてから希望が変わることはあるし、ほかの大学の卒業生だと、その間に筑波大学の状況を知り、気持ちが変わることもありえます。そういう前提で、きめ細やかにプログラムを組んでいますので、非常に柔軟なんです。ヴァリエーションがあり、それぞれの人にとってベストな研修プログラムを提出するという仕組みになっています。それを実現するためには強力なコーディネート部門が必要です。筑波大学は総合臨床研修センターの「卒後」だけで、医師が3人、事務スタッフが10人います。これは恐らく全国トップクラスでしょう。これだけの部門があるからこそ、対応できているんですね。

もう一つの取り組みについても、お聞かせください。

前野:市中病院研修の魅力を高めるための努力を筑波大学が直接に行っていることです。既にある市中病院にただお願いするのではなく、筑波大学が協力して、市中病院の教育力を上げています。水戸協同病院は筑波大学のサテライトと言いますか、筑波大学なんです。水戸協同病院にいる指導医は筑波大学の教授なんですね。つまり、筑波大学の教育施設を市中病院の中に置いているわけです。フィールドとしては市中病院ですからコモンディジーズが豊富ですが、教育は筑波大学が行っているのです。教育は大学、症例は市中病院なんですね。現在、茨城県内の病院にいる60人以上の指導医が筑波大学の教員です。大学で会ったことのある先生、よく知っている先生が市中病院にいるので、研修医も安心して研修できているようです。

市中病院の魅力までも筑波大学が高めているのですね。

前野:筑波大学の地域医療教育センターを置いている病院は筑波大学の教員が教育しますということを機関決定していますので、教育へのプライオリティが高く、大学と密接な連携のもとで教育できています。大学病院と市中病院の領域というものも、自然発生的な教育病院ではなく、教育力を高めることに筑波大学が直接、関わっているのです。そういう病院を中心に市中病院を回り、大学ではきちんとしたコーディネーターがいるもとで研修できます。ネットワークの中で回ることによって、高い教育力を実現しているのが筑波大学の魅力です。

【第7回】医学生へのアドバイス

臨床研修病院を選ぶ医学生にアドバイスをなさっているのはどんなことですか。

前野:私がよく言うのは「症例数が多い」、「指導医がよく教えてくれる」、「給料がいい」には裏があるということですね。症例数の多いところに行きたいという希望を聞きますが、2年の初期研修ののちに行政に進むというのであれば、臨床に携わる機会は初期研修だけですから症例数は大事です。しかし、例えば外科に進むのなら、これから何十年と外科医をやっていくわけですから、最初の2年の外科の症例数はあまり関係ありません。症例数はファクターの一つではありますが、最重視する項目ではありません。症例数が多い病院は忙しいので、教えてもらえない可能性があります。数を稼ぐというのはスキルの向上に必要なことだけど、数さえ稼げばいいわけではありません。美味しいラーメンの作り方を習って、数をこなす必要があります。だから、指導医から放っておかれて、数だけ稼ぐところは初期研修には向かないと思っています。一方で、指導医がよく教えてくれる病院は指導医が暇な病院で、患者さんが少ないかもしれません。

「給料がいい」はなぜ裏があるのですか。

前野:給料が高い病院はほかに売りがないところです。いい病院は給料は高くないです。マーケットプライスですから、単純に需要と供給の関係ですね。お金しか売りがなく、研修の質が低いところに、2年間の何万円かの差のために、あなたは人生をかけるのかということです。そのあと、いくらでも稼げます。最初の2年間は研修中心になるのだから、その2年間の年収で選んではいけません。再就職の場を選ぶのとは違います。どこの病院も経営は苦しいですから、研修医が集まるところは給料を上げる必要がありません。そのお金があればシミュレーターを買うとか、ジャーナルを揃えるとか、そういったものに投資しますよね。人件費が5万円違っても、年間では相当な違いになります。そうすると、何百万円の差になります。お金を教育に投資するのか、あなたの口座に欲しいのかということですよ。だから、給料で選んではいけませんし、忙しければいいというわけでもありません。

【第8回】研修医のストレスケア

研修医のストレスケアについて、お聞かせください。

前野:私自身は総合診療医ですので、精神症状を主訴に、頭が痛い、眠れない、食欲がないといった総合診療科に来る人が実はうつだというのを診る機会が多く、バックグラウンドとなっていました。スーパーローテート研修で精神的にコンディションを崩す研修医が多くいるのに、それに対してはほとんど知られていなかったんですね。そこで、2004年にその全国調査をしたら、かなりインパクトのある結果が出ました。研修医が高いストレスにさらされているとは予想していましたが、研修開始2カ月後に新たに抑うつ状態になった研修医が25.2%いたというのは想像以上でした。抑うつ状態はうつとはイコールではありませんが、危ない状態です。こういったお話も各地で行ってきました。

悩んでいる初期研修医と直接、お話しすることはありますか。

前野:以前は大学の中でストレスを抱えた研修医一人一人と直接、話す機会を持っていましたが、今は総合臨床教育センターに3人の医師がいますので、そのスタッフが担当しています。研修医は指導医との関係で悩んでいることもあるので、第三者が入った方がいいんですね。研修医のメンタルな問題には対話にスキルが必要です。その問題が発生した診療科の医師もたまたまローテーションの中で預かっていただけですから、ずっと一緒だというわけではありませんし、何度もそういう指導医に当たるとも思えません。どう対応したらいいのかということを総合臨床教育センターのような真ん中の場所に集めた方がいいですね。

研修医のストレスケアについて、筑波大学附属病院ならではの取り組みはありますか。

前野:この対応には王道はないんですよ。やっていることはいくつかありますが、筑波大学ならではというよりも早期発見に心がけるといった一般的なことです。問題があれば、すぐに対応しています。筑波大学の場合は総合臨床教育センターがコーディネート機能を持っていますので、ローテーションの調整や休ませたりなど、産業医と協力しながら復帰支援をしています。総合臨床教育センターがずっと関わりますので、休んでいる間も1週間おきの定期的な面談をしています。話を聞き、ローテートする診療科に連絡して、業務を減らした形で「ここなら始められる」という調整を行っています。

【第9回】指導医の育成

指導医の育成について、お聞かせください。

前野:これも2002年から始めました。臨床能力が高いことと良い指導医であることはイコールではありません。2002年以前の講習会では2泊3日以上が当たり前だったのですが、さすがにそれは全部できないので、半日で行うことになりました。半日だと2泊3日の内容を全て網羅できません。それで、何を入れようかとしたときに、一つは制度の説明で、一つはフィードバック技法をしようということでビデオを作りました。このビデオは今も全国の指導医養成講習会で使われています。

そのビデオの特徴はどんなところにありますか。

前野:ビデオを見て議論するためのものですから、いわゆるトリガービデオです。フィードバックの仕方を説明しているのではなく、あるシーンなんですね。あまり良くないシーンであり、かつ、ありがちなシーンでもあります。そのシーンを使って、「では、どうやったら、より良い指導ができるのか」というワークをします。半日にしないということで必要に迫られて作ったビデオですし、当初は茨城県の中で使おうとしていたのですが、国の整備指針が出た時期とも重なり、全国の指導医養成講習会で参考にしていただけるようになりました。

前野先生は指導医養成講習会のディレクターでもいらっしゃいますね。どのようなお話をなさっているのですか。

前野:今の指導医のニーズに沿った、実践的な話をしています。教育論のような大きな話も大事ではありますが、明日から使える、明日から指導医に変わっていただける、心がけていただけるようなものをできるだけご提供したいと思っています。

2010年には臨床研修制度のマイナーチェンジが行われましたが、このときの対応について、お聞かせください。

前野:最初に厚生労働省が掲げた旗頭が看板倒れに終わったところがありました。「プライマリケアができる能力」を身に付けさせるということでしたが、2年では難しいことが分かってきたんですね。一方で、少しでも早く専門の研修をしたいという声も上がってきたので、2010年に必修がかなり絞られました。大学病院の対応は様々でしたが、筑波大学では例によって両方のヴァリエーションを残しました。今まで通りの7つの診療科を回ることもできるし、そのときの改定に沿った研修をしたい人向けのプログラムも作り、さらにヴァリエーションを増やしたのです。また、水戸協同病院のような、筑波大学が直接、教育に関わる病院も増えてきていましたので、そういう病院に腰を落ち着けて1年間、回れるようなコースも作ったんです。

マイナーチェンジもプラスになったのですね。

前野:筑波大学のマッチ者数は全国10位から落ちないですし、地方大学ではずっとトップです。しかし、今年は和歌山県立医科大学に抜かれてしまいました(笑)。私は和歌山県の指導医養成講習会のディレクターを務めており、毎年、和歌山県に行っています。和歌山県立医科大学は大学病院自体が市中病院の性格を持っているので、地域枠があるのが有利ですね。

茨城県の地域枠はどのような状況ですか。

前野:地域枠は年間40人ですが、筑波大学が県南にあるため、茨城県としては地域枠の人には医師の足りない県北の病院で初期研修を行うように促しています。そのため、筑波大学にとっては地域枠は逆風なのですが、茨城県は全国でも珍しく、医師数が増えている県なんです。地域枠制度のお蔭で、県北の病院が順調に研修医数を増やしていますし、追い風が県北に吹き、逆風のはずの筑波大学も研修医数を減らしていませんから、結果として、茨城県全体が増えている形になっています。

【第10回】筑波大学附属病院での初期研修の特徴

筑波大学附属病院の初期研修では外科と小児科が必修ですね。

前野:新しいルールの中ではマストではありませんが、筑波大学のポリシーとして、外科系ゼロや小児を全く診ないというのは止めようということです。それをすると、2002年以下になると思いました。一つの科だけをずっとやっていきたいという医学生は少数派ですし、全ての診療科をできるだけ多く回りたいという人もそこまで多くありません。一番のマジョリティは自分の興味のある分野にウェイトを置きつつ、幅広く学びたいという人たちなんですね。今は大学病院にほとんどいられるコースもありますが、ほとんどの人が選びません。やはり、皆、市中病院に行ってみたいようです。

エリア制とはどういうものですか。

前野:本人の希望で、例えば水戸にしばらくいられるような配慮をしています。明確なエリア制があるわけではなく、筑波の自宅から通えるかということですね。距離もそうですが、診療科によっては水戸に住まないといけません。できるだけ、引っ越しをしなくて済むようなローテーションになる工夫をしています。ただ、本人の希望が強い場合は引っ越しもありえます。初期研修終了後に「引っ越しが大変でしたが、自分で希望した病院でしたので、良かったです」と言われることもありますね。

「レジデント横の会」について、お聞かせください。

前野:私が赴任する少し前にできました。筑波大学はもともと2年ではなく、後期研修を含めた6年間のレジデント制がありました。その6年間を通して、横の連絡を取ろうという文化や風土があったんですね。その意味で風通しがいいですね。ほかの医局の人を知らないということがほとんどありません。

後期研修への繋がりはいかがですか。

前野:筑波大学には以前からレジデント制がありましたが、後期研修は初期研修とは違って、それぞれの診療科のウェイトが大きくなります。例えば、我々が「この病院は耳鼻咽喉科医を育てるには適さない」といったことを言うことはありませんが、研修の履歴管理をはじめ、採用と修了認定も一括して行っています。コース変更や、どの病院に何カ月間、行っているといったことも全てガラス張りになっているんですね。また、後期研修医が精神的にコンディションを崩したときの対応も行っています。いざとなれば総合臨床教育センターがあるということです。医局でしたら、入局後は何か問題があっても行くところがありませんが、我々は総合臨床教育センターで相談を受けています。研修医同士でどの科でも共通する問題を「レジデント横の会」などで共有して、病院に要望を上げていける仕組みになっています。

「レジデント診療評議会」はどういったものですか。

前野:「オーダー画面を作り変えてほしい」といった、皆が困っているような要望って、ありますよね。オーダー画面を作るときに研修医の声をどこまで取り入れて作っているか分からないものです。病院の仕組みの一番のユーザーは研修医なんですね。したがって、研修医が使ってみて、「こうしてほしい」という要望を聞いたり、看護部などに対しての要望を聞きます。対象の部署に直接、要望を上げても「駄目です」と言われることは少なくありません。つまり、原告と被告しかいないんですよ。駄目と言われたら終わりになってしまいますので、各部局同士で話し合って解決できなかった問題をレジデント診療評議会に持ち寄ります。レジデント診療評議会の議長は副院長が務めており、「看護部はどうなの」などと尋ねますので、尋ねられた部署は答える義務があるんですね。研修医の声を病院全体で受け止めて、業務改善に繋げるための組織です。でも、最近は低調なんですよ。病院が良くなってきたからです。悩みが「シャワー室にシャンプーを置いてください」といったレベルに下がってきたのは喜ばしいです(笑)。

【第11回】教育の筑波

研修医の教育にあたって、心がけていることをお聞かせください。

前野:指導医は臨床医でもあります。研修医が受け持っている症例の臨床も必要ですし、臨床の責任を取るのも指導医です。ですから、忙しいと、ついつい診療モードになってしまうんですね。例えば、自分がこの患者さんの心電図を撮りたいと思ったら、研修医に「心電図を撮ったのか」と聞き、「なぜ撮らないの」という話になります。「早く撮れ」、「オーダーを書け」、「ここに電話しろ」という具合ですね。しかし、それだと臨床医としての指導医と患者さんの間に研修医という御用聞きが入っているだけなんです。したがって、この研修医の学びをいかに意識するかということですね。「どうして心電図を撮らなかったの」と尋ね、「こう思ったからです」という答えが返ってきたら、「ああ、なるほど。そこはそう思ったのね。では、こういう場合はどうなの」と聞くのが指導ですね。指導医は教育者と臨床医という両方の役割を持っているわけです。臨床医としては患者さんの安全を守らなければいけません。患者さんの安全を守ろうと思ったら、一番簡単な方法は研修医に何もさせないことなんです。指導医がやれば一番早く、一番確実です。でも、それでは研修医の学びになりません。研修医が針を刺すのをハラハラドキドキしながら見守るのは時間もリスクも負いますし、かつ一定レベル以上の安全も確保する責任を負うので、教育者としての自分を意識するようにしています。自分が帰るのが30分遅れても、患者さんへの説明が少し長くなってしまっても、研修医にさせます。そこからできるだけ学んでほしいし、学びを引き出したいと思っています。

コーディネーターのお立場からはいかがでしょうか。

前野:研修をコーディネートする立場から言えば、常にトップを走り続けるために気を緩めないようにしています。研修医はどうせ集まってくると思っていたら、あっという間に落ちてしまいます。筑波大学は臨床研修病院としてのいわゆる仕掛けはしました。しかし、現場で直接、指導する指導医が研修医に良い教育をしてくれなかったら、今のマッチ者数はありません。筑波大学の一番の秘密は教育する文化です。筑波大学の前身は東京教育大学ですから、教育する文化がとても根付いているんです。どの診療科でも、回診などをするときは学生が一番前ですし、手技も積極的にさせています。他大学から来た人は驚いていますね。夜に歯を磨くのと同じぐらい自然に教育するんです。「明日、教授回診がある」となれば、指導医が夜の10時からでも準備に付き合ってくれます。自分がやった方が確実に早いし、本来の仕事をしないといけないときでも当然のように教育します。そういう文化があるんです。そういう先輩を見て、後輩が育ちます。筑波大学では毎年40人以上が残りますし、採用試験は9割以上の学生が受験するんです。ほかの病院を1番に書くかもしれないけれども、研修病院にしたくないと思ったら採用試験を受けないわけですから、この病院でもいいという学生が9割以上いてくれているんですね。それは臨床実習のときに先輩たちの背中を見ているからです。

臨床実習も大切なのですね。

前野:ある大学病院が5年生の臨床実習を引き受けるようになったら、マッチ者数が増えたそうですよ。遠い病院ゆえに知られていなかったんでしょうね。でも、そこに研修医が入ったことによって、地域の医師が増え、地域医療全体が活性化するんです。

筑波大学の臨床実習の特徴はどんなところにありますか。

前野:筑波大学の卒然教育は地域実習の期間がとても長いんです。大学の教員が市中病院で指導しているので、「この病院がいいな」と思うようです。ほかの大学の学生だと、大学病院と市中病院の二者択一に悩みながら、とりあえずのメリットとデメリットを天秤にかけて決めていますが、筑波大学なら天秤にかけなくてもいいんです。自分のやりたいようにできますし、市中病院も決して悪くありません。大学のいい点もありますし、何より先輩が楽しそうに働いています。私は最大のマッチング対策は臨床実習だと思います。臨床実習は大学病院ならではのものであり、大学が学生を引き留めたいなら臨床実習を充実させるべきですね。これは大学の大きなアドバンテージですから、そこでいい教育をしないといけません。筑波大学がなぜ人気病院なのかというと、病院自体がいい教育をしていることに尽きると思っています。

教育の大切さを改めて感じます。

前野:総合臨床教育センターが頑張っているから研修医を確保できているわけではなく、筑波大学にはもともと教育する文化があるんです。東京教育大学を前身に筑波大学ができ、医学部ができたときに、当時の先生方が医学教育では全国のモデルになる大学を作ろうと頑張ってこられました。だから、教育の筑波はブランドなんです。臨床研修必修化の2年前になぜ筑波大学が独自の臨床研修を始めたかというと、教育の筑波だからです。卒前教育、卒後教育、レジデント制の導入など、医学教育に関して真ん中でいいとは誰も思っていません。新しいルールができたときに、最低限の内容を言い訳しながらクリアしていこうとは誰も考えていないんです。新しい仕組みができたら、筑波大学は当然、トップを走らなければいけないという思いはずっとあります。私は筑波のDNAだと思っています。教育する文化があり、空気のように教育があります。そして、筑波大学はそれを実現しやすい作り付けの仕組みを最初から持っているのです。それがレジデント制であり、教育専任部門です。私は筑波大学に赴任して以来、そういう良い環境の中で仕事をさせていただいていると思ってきました。先輩方のお名前を汚さぬように、時代に合わせて仕組みを活用して、今に繋がっていると感じています。教育する文化という、筑波のDNAの中には柔軟な組織体系も入っていますので、それを活用できたことで、ピンチがチャンスになったんですね。流動化は我々にとってチャンスでした。大学病院対市中病院という二者択一の流れに乗らず、むしろ両取りという独自路線で研修領域を確立してきました。それはあくまで仕掛けであって、一番は教育する文化なのです。